美鬼の剣 byフランケンさま
その壱
「藩士をこれだけ斬って、ただですむと思っているのか、竜二郎!」 男は目の前にいる笠を被った若者を睨みつけながら、叫んだ。 男の背丈は六尺ほど(180センチ)であろうか。 肩幅が広く、がっしりとした身体つきの侍である。 歳は三十前後といった所だ。腰に指した脇差はすでに無い。 辺りには仲間と思しき、侍達の屍が転がっていた。 竜二郎と呼ばれた若者は不敵な笑みを浮かべた。 「武士は辛いな。進めば斬られ、退いても斬られるのだからな」 男は汗を滲ませていた。 「言うな!気狂いめ、貴様は鬼だ!」 竜二郎の背丈はせいぜい五尺三寸(159センチ)程度である。 身体つきは細身であり、一見して華奢に見える。 声からして、歳はまだ十代半ばだろう。 男は笠をかぶったままの、竜二郎の額の部分に剣尖をピタリと当て 正眼の構えを取った。竜二郎は黙ったまま自然体に構えると 己の脇差を引き抜き、相手の胸元へ投げつけた。 投げた脇差は男の胸に三寸(9センチ)ほどめり込む。 男は己の胸に突き刺さった脇差を見ると、一瞬、何が起こったのか わからなくなった。竜二郎は呆けている相手の前に進むと 刀で男の喉元を斬り裂いた。裂けた喉からは薄桃色の肉が露出し 一拍子おいて黒い、醤油のような液体がブクブクと泡を立てながら 噴出した。それは人間の血である。人間の血は黒いのだ。 男は己の喉をかきむしると、虚空を見つめたまま、絶命した。 「さようなら、楽しかったよ」 竜二郎はくるりと背を向けると、江戸へ向かった。 享保十五年(一七三〇)の陰暦2月。現代に直せば三月である。 芳町を独りの若い剣士がぶらついていた。歳の頃は10代半ば 浪人である。牢人とも言う。着流しに、浪人には珍しく両刀を指していた。月代は剃 らず、総髪を背中に垂らしている。涼しげな、切れ長の双眸に、透けるような白い 肌、美しく整った顔立ちに、 薄い紅を引いたような唇。それはまさに美貌であった。 芳町とは町の名前ではない。陰間茶屋が密集している場所の事だ。 陰間とは体を売る少年達の事である。客の大半は男だ。 ごくたまに、女も買いにくる。町人の間では男色と言い、 武士の間では衆道と言う。そして衆道の恋人の事を念者と呼んだ。 堺町、湯島天神等が有名である。芳町は江戸に7ヶ所存在する。 若い浪人の名は、藤堂竜二郎、父は七十石の禄を食む藩士であった。 江戸に流れついたのが丁度三ヶ月前のことである。 竜二郎は衆道である。それが原因で国を出奔してきた。 殿様が竜二郎に一目惚れしてしまったのだ。 この殿様も衆道であった。この当時、男同士の愛は それほど珍しいものではなかったのだ。 衆道とは、戦国の武将が小姓を寵愛した名残なのだ。 だから衆道は決して蔑まれる事はなかった。 むしろ武士の嗜みとされていたのである。 殿様に寵愛されればトントン拍子に出世する。 五〇〇〇石の旗本も夢ではなかったろう。 若年寄になれたかもしれない。 だが、竜二郎は殿様を袖にしてしまった。好みではなかったからだ。 可愛さ余って憎さ百倍とは良く言ったもので、袖にされた殿様は、 家来に竜二郎の首を取ってくるように命じた。 殿様は一つ過ちを犯した。たった一つの大きな過ちである。 竜二郎が若くして人斬りである事を知らなかったのだ。 十人も居れば首を取れるだろうと、たかをくくっていたのである。 これで十人の大事な家臣を失うはめになった。 竜二郎はぶらつきながら、故郷の事を考えていた。 このままでは済まないだろう。斬った男達には家族があり、 子、兄弟がいる。それが仇討ちとして自分に向かってくるのである。 斬死した男達の家禄は藩に召し取られ、仇を討つまでは返しては 貰えないのである。無論、向かってくる相手は誰であろうと斬るつもり である。情けなど最初から無いのだ。竜二郎は鬼なのだ。 生まれついての狂人である。狂っていなければ人は斬れないのだ。 最初に人を斬ったのは十二の時である。なんとなく人を斬ってみたく なった。なんとなくである。それで城下町にいた浪人を叩き斬った。 その時、人斬りの味を覚えたのだ。その感覚は射精感にも似ていた。 刀が肉に食い込む感触がたまらなかった。それからの竜二郎は暇さえ あれば次々に人を斬っていった。斬るのは主に浪人、盗人の部類だ。 町人、武士を斬るのは問題だが、浪人、盗人は斬っても良いのである。 たまに金が欲しくなれば商人を襲って斬り、金を奪った。 |