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第一の嗜好



カブキ、それが勘太郎の仇名だ。
そもそも勘太郎という名前からして歌舞伎っぽい。その名前にしても、あいつのお父さんが歌舞伎が好きで、昔のなんとか勘太郎って人が大好きで、だから名付けたそうだ。つまり、カブキって仇名もあながち間違いじゃない。そして、本人も時々歌舞伎っぽい動きをする。お調子者と言っちゃえばそうなんだけど。本人もそういうところ、分かってるんだと思う。皆がカブキに歌舞伎っぽいことを期待するのを。
お父さんが歌舞伎好きだから、カブキも歌舞伎が好きか、というとそうでもない。小さい頃はよく家で歌舞伎の動画とか見せられたとは言ってたけど、別に好きではないらしい。そりゃそうだろう。僕も一度、一緒に見たことはある。面白かった・・・とカブキのお父さんには言っておいた。でも、正直・・・よく分からなかったし退屈だった。
「分かるようになると、面白いんだけどね」
カブキにはそう言われた。つまり、カブキは歌舞伎が分かる程度には見慣れているということだ。でも、好きじゃないらしい。
その理由を僕は聞かなかった。別にどうでもいい。自分がよく分からないものを、友達が好きじゃないからといって、その理由に興味を持つことはないし、持っても意味がないと思う。これが、もし、大好きなものを嫌いだって言ったのなら、何で嫌いなのか、思いっきり理由を聞かれそうではあるけれど。

そんなわけで、学校ではみんなと同じように、勘太郎のことはカブキって呼んでいる。それはみんなの中では普通だし、カブキも別に嫌がったりはしていない。もちろん、勘太郎をカブキって呼んでいじめてる、なんてことは一切ない。
でも、それはあくまでみんなの前でのことだ。僕は勘太郎と二人、あるいは僕の親や勘太郎の親の前では違う呼び方をする。それが「勘ちゃん」だ。
実は、僕に取っては勘太郎はカブキじゃなくて勘ちゃんだった。僕等は幼稚園の時から一緒で、まあ、幼なじみって奴だ。その頃からずっと勘ちゃんって呼んできた僕に取っては、むしろ、カブキって呼ぶ方が、何となく一呼吸余分に掛かっちゃう感じだった。
じゃ、なんでみんなの前でも勘ちゃんって呼ばないのか。
答えは簡単。勘ちゃんが嫌がるからだ。別に勘ちゃんって言われるのが嫌ってわけじゃない。その逆だ。勘太郎は勘ちゃんだ。そう呼ばれたがっている。でも、みんなからそう呼ばれるようになるのは嫌らしい。勘ちゃんって呼んでもいい人は特別なんだそうだ。
僕は、その特別な人の一人。それは正直嬉しい。だって、僕にとっても勘ちゃんは一番の友達だからだ。
ちなみに僕の名前は英智。普通ならえいちって読むだろうけど、これでえいじって読む。だからクラスのみんなからはエージって呼ばれてるけど、勘ちゃんだけにはエーチって呼ぶことを許してる。たぶん、勘ちゃんが相手によって勘ちゃんと呼ぶのを認めてるってのと同じことなんだと思う。
なんだか前置きが長くなったけど、要するに、僕と勘ちゃんはそういうお互い認め合う友達、親友ってやつなんだ。


ちなみに勘ちゃんには2つ年下の妹がいる。名前は智恵美、ちーちゃんだ。こっちは別に歌舞伎には何の関係もない。
ちーちゃんは僕の親友の妹。だから、僕にとっても妹みたいなものだ。
そして、今にして思えば、きっかけはちーちゃんが僕を好きらしい、と勘ちゃんから聞いたことだった。

「お前のことが好きなんだって」
なんの弾みだったかは覚えていない。普通に、いつもと同じような会話をしていたんだと思う。別に誰が好きかを言い合ったり、なんてことをしていたわけじゃない。
「え?」
僕は思わず勘ちゃんの顔を見た。その顔がかなり意外そうな表情だったんだろう。
「そんなに意外?」
そういえば、ちーちゃんは僕にいろいろと世話を焼く。何かと一緒に居たがる。それって、そういうことなのか。腑に落ちる部分はいろいろとあった。
「いや、そういえば・・・」
僕は何となく曖昧に答えた。
「あいつのこと、嫌い?」
勘ちゃんは妹思いだ。ちょっとしたところに出掛けても、ちーちゃんへのお土産は欠かさない。
「そんなことはないけど」
ちーちゃんは可愛い。それは親友の妹で、僕に取っても妹みたいなものだから、ということだけではない。ちーちゃんは小学4年くらいの時から、学校で噂になり始めていた。かわいいって。何人かに付き合って欲しいと言われたこともあるそうだ。そして、それが兄、勘ちゃんにとって心配ごとの一つでもある。
「お前は良いのかよ」
兄として、兄の目から見て僕はどうなんだろう。
「お前なら全然大丈夫だから、付き合っちゃえば?」
そして、付け加えた。
「俺も、お前は好きだし」
その一言だ。その一言から全ては始まった。

「俺も、お前は好きだし」
勘ちゃんにそう言われたその瞬間、なんとなくドキリとした。
「な、なに言ってんだよ」
なんていうか、焦った。取り乱したって言ってもいいかもしれない。でも、僕はそれを押さえ込んで、表面には出ないようにした。それは上手くいったと思う。いつもと変わらないような様子で、いつもと変わらない振りをして、僕は言った。
「ちーちゃんと付き合ったら、お前も付いて来るだろうが」
その場を取り繕うため、取りあえず思い浮かんだ言葉を繋ぐ。
「それって、今と変わらないだろ」
「あ、そっか」
なぜか勘ちゃんが納得する。
「ちぃと俺とお前、今と変わらないか」
僕は何となくほっとする。
「じゃ、俺等3人付き合ってるようなもんか」
勘ちゃんが得意のポーズを決める。カブキっぽい、左手を伸ばし、右手は頭の横だ。
付き合ってるようなもの・・・またドキッとする。僕は、勘ちゃんと付き合ってるんだろうか。ちーちゃんとはどうなんだろうか。

考えるまでもない。
ちーちゃんには好きとかそういう感情を持ったことはない。いや、好きは好きだ、妹としてなら。勘ちゃんに対してもそうだ。友達として、大好きだ。その時までは。
でも、その時、僕は初めて自分の気持ちに気が付いた。勘ちゃんが好きだという気持ちに。それはただの友達として、ではない。それ以上の気持ちだった。だから、勘ちゃんに「お前は好きだし」と言われたときにドキドキしたんだ。勘ちゃんにはそんなつもりはないとしても。
その日の夕方、ちーちゃんがわざわざ僕に「そんなことないから」ってメッセージを送ってきた。その向こう側の感情が見える気がする。一番可哀相なのはちーちゃんだろう。きっと、あの、そういうことについては全然デリカシーのない兄と、喧嘩でもしたんだろう。話をしたわけでもなく、顔を合わせたわけでもないのに想像できる。僕の大好きな二人。そして、僕を好きなちーちゃん。
(勘ちゃんは俺のこと、どう思ってるんだろう・・・)
その夜、僕はベッドの中で考えた。そして、眠れなくなった。
(ヤバいって、これ、マジじゃん)
僕は自分の気持ちをごまかすのを諦めた。

次の朝から、僕等は少しぎくしゃくし始めた。

僕等は毎朝一緒に学校に行く。途中まではちーちゃんも一緒だ。でも、その日は違った。そもそも、会った瞬間から違和感ありありだった。
家の玄関の前で待っていた勘ちゃんは、僕が出て行っても顔を上げなかった。それは、勘ちゃんと顔を合わせにくい僕に取っては好都合だった。二人並んで、二人とも顔を伏せて並んで歩いた。
「ちーちゃんは?」
もうすぐ、3人で歩いていたとしたら、ちーちゃんだけ自分の小学校の方に曲がっていく道だというところで、僕は顔を伏せたまま聞いた。
「日直だから先に行くって」
たぶん、日直っていうのは嘘だろう。そして、勘ちゃんもそれには気が付いている。
「あれ・・・なしな」
その一言で、兄妹にどういうことがあったのか、だいたい分かる。
「うん」
その後は、僕等は学校が終わるまで、話をしなかった。

帰り道も二人一緒だ。
何となく一緒に居辛いのに、いつもの習慣はそうそう変えられないものだ。朝と同じように、二人とも頭を伏せて歩く。
「ちぃと・・・」
勘ちゃんが小さな声で言った。
「付き合わないよ」
僕も小さな声で答える。しばらく、二人とも無言だ。
「あいつとは・・・今まで通り、仲良くしてやって欲しい」
「分かってる。俺にとっても妹みたいなものだから」
僕はようやく顔を上げた。そして、今まで溜まっていたものを吐き出した。
「ちーちゃんのことは大好きだよ、妹みたいに思ってるし。でも、付き合うってのは・・・妹だから」
やっぱり、全て吐き出せる物ではなかった。
「分かった。それでいいから、あいつとは・・・」
勘ちゃんがここまで落ち込んでいるのは珍しい。それほどちーちゃんに怒られたんだろうか。
「俺のことはもう、友達って思わなくてもいいから」
僕は立ち止まる。
「何言ってんの?」
「だって、俺、嫌なこと言ってさ」
少し先で勘ちゃんも立ち止まった。
「ごめんな」
僕は勘ちゃんに近づいた。
「嫌なことなんて言われてない。俺もちーちゃんは好きだし、妹みたいに思ってなかったら、きっと・・・」
(嘘、かな)
そう思った。だから、そこから先は言わなかった。
「それより、俺は・・・」
言い掛けた。けど、言えない。何かが喉の奥を塞いでいる。言ってしまいたいという気持ちがその何かを押し出そうとする。でも、それを言って、もし、勘ちゃんに嫌われたら・・・そもそも、僕も勘ちゃんも男だし、男が男にこんな気持ちなんて・・・
勘ちゃんが初めて顔を上げて僕を見た。そのまま、無言で僕がその先を話すのを待っている。
「あ、いや・・・何でもない」
僕は歩き出す。勘ちゃんの前を通り過ぎると、勘ちゃんが少し後ろで歩き始めた。
「誰か、いるの? 好きな奴」
後ろから声を掛けられた。
僕は無言で頷いた。


すぐに僕等の関係は元に戻った。しばらくはちーちゃんの顔を見るのが少し辛かったけど、ちーちゃんは全然気にしていないように見えた。少なくとも、そう見えるように努力しているようだった。
実際、ちーちゃんは人気が高い。だから、同じクラスとか、上級生とかから声を掛けられることも多い。きっと、僕なんかよりいい奴で、ちーちゃんを好きって言ってくれる奴もたくさんいるだろう。ちーちゃん自身もそう言っている。もちろん、ちーちゃんは自分がもてる、なんて言わないけど。だから、僕は気にしないことにした。
いや、それどころじゃなかったってのが、正直な気持ちだ。
勘ちゃんに会う度に、僕は自分の気持ちに苦しめられる。僕が好きなことに気が付いていない勘ちゃんは、もちろんいつものようにしている。あのちーちゃんとのことはもう、勘ちゃんの中では終わったことになっている。
そういう意味では幸せな奴だ。何て言うか・・・大雑把というか、いい加減というか、水に流すのが上手いというか、気持ちの切り替えが早いというか・・・
でも、僕の気持ちはずっともやもやしている。勘ちゃんにとって僕は何なのか、勘ちゃんは僕をどう思っているのか。そして、もし、僕が勘ちゃんのことを好きだと言ったら、どう思うか。
たぶん、勘ちゃんのことだから好きだと言っても、普通に友達として、と受け止めるのは間違いない。だから、ちゃんと言わないと伝わらないだろう。でも、どう言えばちゃんと伝わるんだろう。女の子じゃなくて勘ちゃんが好きだ、とでも言えばいいんだろうか。僕と付き合って欲しいと言えばいいんだろうか。
(ああ、もう)
自分の気持ちにイライラする。それに勘ちゃんが追い打ちを掛ける。
勘ちゃんは僕には好きな女の子がいると思っている。いや、まぁ、僕があのとき頷いたからなんだけど。それがまさか自分だなんて思わずに、時々、普通に誰が好きなのか聞いてきたりする。
まぁ、ちーちゃんを振ったんだからしかたがないよな、なんて思う時もあるけど、これが結構心にダメージを喰らってしまう。好きな奴から、まさか自分だなんて全然思わずに「誰が好きなの?」なんて聞かれるのは、かなり辛い。正直、凹む。
言ってしまう・・・それを真剣に考えてみたりもした。ひょっとしたら、勘ちゃんも、僕のことを・・・だって、勘ちゃんは「俺も、お前は好きだし」って言ってくれたんだから。でも、分かってる。それは普通の友達としてだ。僕みたいに本気で、恋愛対象として好きって意味じゃない。僕から好きだ、なんて言われても、きっと勘ちゃんなら僕を嫌ったりはしないんじゃないかって思う。でも、絶対じゃない。そもそも、もし勘ちゃんも僕のことを、僕が勘ちゃんを好きだというのと同じ意味で好きだったとしたら、ちーちゃんと付き合えなんて言うわけが無い。つまり、言ってしまったら終わりだってことだ。

でも・・・せめて。

せめて、なんだろう。せめて僕は勘ちゃんとどうなりたいんだろう。このままこんな気持ちのままで、今までみたいな友達でいられるんだろうか。
せめて・・・
せめて・・・

せめて手を繋ぎたい。
それに気が付いたのは夢の中だった。夢の中で、僕は勘ちゃんと手を繋いで、二人で笑い合っていた。勘ちゃんの温度を感じた。それが幸せだった。目が覚めた。手が冷たかった。それが現実だ。そのギャップに落ち込んだ。
だから、せめて勘ちゃんと手を繋ぎたいと思った。

今までに勘ちゃんと手を繋いだことなんて、多分何万回とあったと思う。そんな簡単なこと、それが今は凄く難しくなった。今まで、どんな時に、どんなタイミングで手を繋いでいたんだろうか。そういうことが全然分からなくなっていた。そして、手を繋いだ瞬間、勘ちゃんに全てバレるんじゃないか、なんて思ってしまう。
だから、ごく自然に繋がないと。ごく自然に、でも、ちゃんと手を繋ぎたい。
そんなことを思い始めて2週間、僕は勘ちゃんの手を触ることもできなかった。

そんなことを思い始めると、夜、寝られなくなる。もちろん全く寝られないわけじゃない。でも、夢の中に勘ちゃんが出て来る。夢の中では僕等はいつもの通りだ。いや、それ以上だ。夢の中では普通に手を繋いでいる。そして目が覚める。ますます眠れなくなる。そんなことの繰り返し。毎日が寝不足。そして、日増しに勘ちゃんと普通に話が出来なくなってしまう。
そんな悪循環が苦しかった。

学校のお昼休み、クラスメイトの半分くらいは校庭で遊ぶ。僕と勘ちゃんもそうだった。勘ちゃんは今もそうだ。でも、僕は教室にいた。睡眠不足を補うため、教室の僕の机に突っ伏して眠っていた。もちろん、本当に眠れるわけじゃない。何となくうとうとするか、あるいは浅い眠りの中で、みんなの声や、校庭から聞こえてくる声・・・特に勘ちゃんの声を聞いていた。

でも、その日は勘ちゃんの声が聞こえなかった。

そういう日もある。勘ちゃんがいないわけじゃない。勘ちゃんが何も言っていないわけでもない。ただ、たまたま勘ちゃんの声と誰か他の奴の声が被って聞こえないか、僕が聞き逃したか、それとも僕が本当に眠っていたのかだ。
ガタン、と小さな振動が机に伝わってきた。僕のすぐ前で、何かが擦れる音。
(もう戻ってきたのか)
僕の前の席の奴が戻ってきたんだろう。ということは、もうそろそろお昼休みが終わるってことだ。僕は机に突っ伏したまま、居眠りモードから抜け出そうとした。
「寝てる」
その声は、僕にそう問い掛けたのか、それとも僕の状態をただ言っただけなのか分からなかった。でも、誰が言ったのかは分かる。勘ちゃんの声だったから。
「なんか、最近変だもんな」
僕は顔を上げない。でも、頭はもうすっかり居眠りモードから抜け出していた。なんとなく、突っ伏したまま緊張する。
「何があったのかわかんないけど」
勘ちゃんは一人でゆっくりと言葉を続ける。突っ伏したままの僕にはその様子が想像できる。僕の前の机に後ろ向きに座った勘ちゃん。そして、僕を見ている勘ちゃん。
「言ってくれればいいのに」
(お前のせいだよ)
なんて言えないし、勘ちゃんのせいでもない。僕のせいだから。
ふっと、僕の左手が暖かい何かに覆われた。僕は反射的に顔を上げた。勘ちゃんと目が合った。勘ちゃんが僕の左手の上に手を重ねていた。
僕はまた顔を伏せる。勘ちゃんの手はそのままだ。僕はまるで左手になったかのように、全ての意識が左手に集中している。そのまま、時間が過ぎる。

(今なら・・・)
何分ぐらい経ったんだろう。だぶん、僕が感じているよりずっと短いだろう。その間、勘ちゃんの手は、僕の左手の上に重ねられたままだった。少しだけピクッと動いたりはしたけど、そのままだ。
(今なら、握れる)
今なら、手を握ったって、寝ぼけてたからとか言い訳できる。チャンスだ。
でも、手が動かない。手のひらを返して、ちょっと力を入れるだけ、それが出来ない。
(何やってんだよ、俺)
何となく、外から聞こえる声が減っているように思う。お昼休みが終わりに近づいているんだろう。
そっと、でも大きく息を吸い込む。少し身体を揺らす。
(今しかない)
僕は左手を返した。勘ちゃんの手が離れた。
(しまった)
僕が動いたから、勘ちゃんが手をどけたんだ。僕が起きるんだったら、当然そうするだろう。僕はそのまましばらく固まる。すると、また、今度は手のひらを上に向けた僕の左手に、手のひらをあわせるように重ねてきた。
「んん」
寝ているかのようなふりをしながら、実際はドキドキしながらその手の指に指を絡ませる。指と指を絡ませ、そして、手に力を入れた。
僕はまた左手になった。そして、僕は勘ちゃんと繋がっている。
(夢みたい)
勘ちゃんの手から、夢で見たのと同じ体温が伝わってくる。しかも、今のコレは現実だ。
と、勘ちゃんが僕の指と指を絡めたまま、手を持ち上げた。そして、勘ちゃんの手にも力が入る。僕等は手を握りあった。指を絡ませたまま握りあった。
思わず顔を上げる。手を見る。恋人繋ぎだ。勘ちゃんを見る。勘ちゃんは僕を見ていた。目が合った。その目が微笑んでいる。僕は慌てて顔を伏せた。
「もうすぐお昼休み終わるよ」
そう言いながら、でも、手は繋いだままだった。
「うん」
僕は突っ伏したまま言った。そして、
「もう少し」
僕は手を離さなかった。勘ちゃんも、力を緩めなかった。そのまま、午後の授業が始まる直前まで、僕はそうしていた。

帰り道、僕は少し顔を伏せて歩いた。なんとなく、恥ずかしい。でも、勘ちゃんは普通だ。そんな勘ちゃんは僕の様子を気にしている。気にはしているけど何も聞かない。それを僕は分かっている。
「大丈夫だから」
僕はぽつりと言った。そして、言い直した。
「大丈夫になったから・・・今日」
「そうか」
勘ちゃんが普通に言った。
「今日のお昼休みで大丈夫になったから」
小さくそう言って、僕は顔を上げた。勘ちゃんが僕を見る。僕は笑う。
「そっか」
そして、勘ちゃんが僕の手を取った。僕の手を握った。お昼休みの時のように、指を絡ませて。
「よかった」
勘ちゃんが笑ってそう言う。僕はその手をぎゅっと握りしめる。
「うん」
その手は温かかった。夢で見た時よりも幸せだと感じた。

(やったなぁ)
夜、ベッドで左手を握ったり開いたりしていた。充実感と満足感。でも、お昼休みに手を繋げたのは、半分は勘ちゃんのお陰、いや、ほとんど勘ちゃんのお陰だ。そして、あれがなかったら、帰り道で手を繋ぐこともなかっただろう。
(それでも、手を繋いだんだ、俺達)
その夜はぐっすり眠ることができた。
(でも、勘ちゃんはどんなつもりで恋人繋ぎしたんだろう)
結局、また僕は寝不足の日々が続くことになった。

<第一の嗜好 繋 完>


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