fetishiSM

第二の嗜好



「おはようございま〜す」
この光景もだいぶ見慣れてきた。
最初の頃は、真新しい学生服を着たちっこい奴等が少し緊張した感じで
「お、おはようございます」
とか言っていたのが、今はもう慣れた様子になっていた。俺に対する態度も、まぁ、俺が下級生には優しいってのが分かったからか、少し馴れ馴れしくなってきている。
まあ、俺はそれでも全然構わない。
っていうか、むしろ親しげにしてくれる方が俺は嬉しい。だって、かわいい年下の男の子が俺に懐いてくれるんだから・・・まあ、可愛くない下級生だっているけど、それはそれで。相手によって程度をころころ変えてたら、優しい、良い先輩って言われてるのに傷が付くってものだ。
「あ、武井先輩」
そんな、かわいい下級生達が登校して来る朝の風景。その中で、特に俺が毎朝楽しみにしているイベントが発生した。俺は満面の笑みで振り返りたい気持ちを抑えて、気が付かない振りをして歩き続けた。
「先輩、おはようございます」
そいつが俺の横に並んで俺を見る。俺より頭一つくらい小さいそいつは、今年入った新入生だ。
「おっ光樹、おはよう」
俺が挨拶を返すと、小さくぺこりと頭を下げる。
(うぉっ)
その仕草が可愛い。
「昨日、どうでしたか?」
「ああ、ごめん、昨日は行けなかった」
俺と光樹はスイーツ好きという共通点があった。そして昨日、光樹に駅前に新しく出来たパンケーキ屋を教えてもらい、そこに行くって話をしていたんだ。
「そうなんですか・・・絶対、先輩気に入ると思いますよ」
光樹はけっこうこの街のスイーツの店を知っている。俺もまあまあ知っている方だと思うが、こいつはそんな俺を上回っている。そして、俺が好きな店の名前を挙げると、それだけで俺の好みを理解出来るほど、たくさんある店の味の傾向を把握している。
「まぁ・・・そうだな、今度の休みの日かな、行けるの」
すると、光樹が俺を見てキラキラした瞳で言った。
「じゃ、一緒に行きましょうよ、先輩!」
まるで飛び跳ねんばかりの勢いだ。またその仕草もいちいち可愛い。
(ひょっとしたら、こいつ、俺のこと、知ってるんじゃないだろうな)
今までにも何度か思ったことがある疑念。つまり、俺が年下の男の子好き、というのを知っていて、こんな可愛い仕草をしているんじゃないだろうか。
「ああ」
そう答えると、今度は笑顔がはじける。
「それじゃあ、先輩」
背負っていたリュックを下ろし、そのポケットからあのノートを取り出す。それを開く。
「え〜っと、先輩の好みに合うのが他にもあるんで、一緒に回りましょうね」
そのノート。光樹が食べたスイーツの感想がびっしりと書かれているノート。でも、誰にも見せないそのノート・・・俺はあの日のことを思い出す。俺が、初めて光樹に会ったあの日のことを。

俺はまだ中1だった。その当時から俺はスイーツが好きで、ときどきそういう店に一人で行っていた。一人で、というのは、友達には男のくせにスイーツ好きと思われるのが恥ずかしかったからだ。スイーツの店に中学生の男子が一人で行く。それはそれで恥ずかしいけど、友達にスイーツ好きがバレるよりはマシだった。
あの頃から、駅前には多くのスイーツ店があった。3分の1くらいはずっと昔からある、スイーツというよりは和菓子屋さん。残りのうちの半分くらいが前からあるスイーツの店。残りは新しく出来たり、あるいは無くなったりしている。俺はそんな新しく出来た店に一人でいた。回りは女同士か、男女で楽しそうにしている客ばかりだ。でも、俺は一人でじっくりとそのスイーツを味わう。喋りながらじゃ分からない、微妙な味を口の中で追いかける。多分、回りから見たら、妙に真面目な顔で食べている俺は、単に中学男子が一人でいることよりも遙かに違和感があったんじゃないだろうか。
そんな店に、親子連れが入ってきた。子供の方はカウンターに駆け寄って何か注文する。母親はその後ろに立っているだけだ。やがて、トレイにスイーツを載せて、少し向こうの席に向かう。男の子が奧に座る。母親の背中で少し顔が隠れている。男の子の前に置かれているのは、俺と同じものだった。
俺はその子を見つめていた。優しい、まるでこのスイーツの味のような顔をしていた。そんな顔をして、目をキラキラさせて、スイーツの皿を目より少し上まで持ち上げ、それを見つめている。舌で味わう前に、目で味わっていた。
(ひょっとして、この子もスイーツ好き男子か?)
俺は更に見つめる。ゆっくりと切り分け、それを口に含む。急に真面目な顔になる。少し眉間に皺が寄るほどだ。おもむろにノートを取り出し、何かを書き留める。そしてもう一口。食べ終えるまで何度か繰り返す。俺はその様子をずっと見続ける。

「どしたんですか、先輩」
光樹が俺を見上げていた。手には、あのノート・・・あの時、あのスイーツ店で見たあのノート・・・が握られている。
「いや、別に」
俺はごまかした。
「いいですよね、先輩」
「ああ」
話を聞いていなかったが、たぶん光樹のことだ。新しい店に並びたいとか、知らない店が無いかうろうろしたいとか、そんなことを言っているんだろう。俺は昔の思い出の中に戻った。

まだ、こいつの名前を光樹と知る2年前の話だ。そして、俺は新しくオープンした店で、何度もその顔を、そのノートを見掛けた。しばらくは母親と一緒だった。あの当時、2年前だから、光樹は小5だろう。そして、小柄な光樹はその年齢以上に幼く見える。さすがにそんな奴が一人でスイーツ店に来て、一人で頼んで一人で食べる姿は違和感しかない。だから、親と一緒に来ていたんだと思う。でも、6年生になった頃には時々一人で来るようになり、やがて、母親の姿は見なくなった。

「ほら、ここも、クチコミの通りだったら絶対先輩気に入ると思いますよ」
あのノートを広げて俺に見せる。丁寧な字でびっしりと店のことが書いてある。店の情報はもちろん、ネットとかのクチコミでどういうことが多く書かれているかとか、逆に少数だがこういう意見もあるだとか。そして、その店で光樹が実際に食べた場合は、当然ながらその感想とかがいろいろと書き込まれている。どうやら、その店はまだ光樹も行ったことが無いようだ。
「じゃ、そこも一緒に行くか」
「はいっ」
そして、俺は光樹と一緒にスイーツの店巡りに行くことにした。

確かに光樹の調査は間違いがなかった。
1件目のその店は、俺が好きな味で、俺が好きな甘すぎない感じ。大いに気に入った。それは光樹の予想通りでもあった。
「ほら、やっぱり先輩、これ好きでしょ?」
どうやら光樹は、自分がスイーツが好きなだけじゃ無くて、人が好きそうなスイーツを見つけて食べさせて、その人が美味しいと言ってくれるのが嬉しいようだ。そのための調査には人一倍努力している。そして、その努力の様子をあまり人には見せようとはしない。俺は光樹のそんなところが好きだった。

そう、俺は光樹が好きだ。

あの2年前、初めて見掛けた時からずっと気になっていた。かわいい顔。でも、美少年という感じじゃ無くて、どこにでもいそうな、でも、輝いている少年。それが光樹だった。
それ以来、スイーツを食べることに加えて、その名も知らぬ少年と再会することが、俺のスイーツ店巡りのもう一つの目的になった。
何度か顔を見掛けた。でも、なかなか声を掛ける機会は無かった。
そんな顔を中学校の入学式で見掛けた時、運命を感じた。本気でスイーツの神に感謝したくらいだ。
俺は在校生として、新入生を迎え入れる立場。そして、光樹は真新しい、少し大きめの学生服を着て、新入生の中にいた。俺にとっては光樹は他の誰よりも目立って見えた。なんとなく、まだ身体に馴染んでいないというか、彼に馴染んでいない学生服。その可愛い姿を見て、俺は本当に学校に行くのが楽しくなった。しかも、光樹の家は俺と同じ方向で、朝、彼を見掛けることも多かった。そんな日は、一日幸せに過ごせた。そして、最初に声を掛けてきたのは光樹の方だった。
「おはようございます」
いつだったか、「今日はあいついないなぁ」なんて思いながら歩いていた通学路で、後ろから挨拶された。思わず振り返る。そこに光樹がいた。
「あ、お、おはよう」
一瞬狼狽えた。でも、なんとか持ち直す。
「君は、1年の・・・」
上手くいけば、クラスと名前聞き出せるかも、なんて思った。そして、その通りになった。
「1年A組の貫田光樹です」
そう言ってぺこりと頭を下げた。
「ああ、そうか。俺は武井」
学年を言おうと思った時、光樹が言った。
「先輩、3年ですよね」
何で知ってるんだって思ったけど、襟のところのバッジを見ればすぐに分かることだ。
「うん」
「よろしくお願いします」
そう言って、またぺこりと頭を下げた。

何故あの時、光樹は俺に挨拶したのか。
実は、光樹も俺の顔を覚えていた、ということを知ったのは、それからすぐだった。光樹にとってはスイーツ店で何度も見掛けた顔、それが同じ中学の上級生で、しかも家の方向が同じというのはなんとなく親しみが持てて、始まったばかりの中学生活の中で少し頼もしく思えたのだろう。お互い、ずっと前から顔を見知っていた訳で、上級生と下級生とはいえ、仲良くなるのは時間が掛からなかった。

そして、俺はそんな光樹が好きになっていた。

光樹は俺の気持ちをもちろん知らない。それでも同じ趣味を持つ者として、週末はかなりの頻度で俺とスイーツ店巡りをしていた。あの、初めて光樹を見掛けた店にも行った。そこで、光樹が言った。
「ここで初めて会ったんですよ」
なんと、初めて会ったあの時、光樹も俺がそこにいたことを覚えていた。
「だって、男子で一人でスイーツ食べてる人なんて、いないですから」
だから、俺達は仲良くなったんだ。
「それに・・・真面目だったし」
俺には光樹の言いたいことがすぐに分かった。真面目にスイーツを味わっていた、ということ。あの時、光樹も真面目な顔をしていた。光樹も俺も、スイーツを真剣に味わう仲間だったんだ。
そして、それはお互い今も変わっていない。
光樹は今もスイーツを食べる時は、眉間に少し皺を寄せて、真面目な顔になる。俺も真面目に食べる。そして、二人で味や形、更には乗っている皿の形や色まで議論が始まる。この時間が何より楽しい。そして、そんな時は上級生とか下級生は関係無しだ。俺と意見が違ったら、光樹ははっきりそう言う。俺が何か間違っていたら、はっきり否定する。スイーツに関しては二人とも真剣だ。真面目に俺に反論する光樹。またその顔も可愛かったりするから始末が悪い。俺はその顔が見たくて、わざと光樹なら反論するようなことを言ったりもする。そうして俺と光樹はお互いを唯一無二の仲間として認識していた。

そして、ついに、光樹は自らスイーツ作りに手を出し始めた。
そういうことにも興味を持ち始めた、ということは本人の口から聞いていた。俺としては、光樹がスイーツを作るところを見たいと思っていた。エプロンなんて着けてたら間違い無く可愛いだろうし、きっと作っている最中、後ろから抱き締めてしまいたくなるような破壊的な可愛さなんじゃないかって想像していた。が、光樹はそれを見せてはくれなかった。一緒に店を回るのはいいけど、作ってるのを見られたりするのはまだダメ、ということだった。まだ自分で合格点を出せるようなものが出来ないし、俺が食べて美味しいって言えるようなものが出来ていないから、と言っている。それはそれで可愛い。もう、俺は光樹の全てが可愛く思えてしまう。粉に塗れた光樹とか見れないのは凄く残念だけど、
「いつか、満足出来るようになったら先輩に作ってあげますね」
なんて言ってくれるだけで幸せな気分になってしまう。
そして、その日がようやく、ついにやって来た。


俺の誕生日の前の日、光樹が俺を家に呼んでくれた。
「先輩、1日早いですけど、先輩のために作りますから」
光樹がエプロンを着けて、キッチンに立つ。そして、作り始める。
俺はリビングのテーブルに座ってそれを見ていた。いや、見とれていた。光樹の手の動き。足の動き。指。頭。時々俺を見て見せる笑顔。全て、俺のために。
正直、完成したスイーツがどんな形で、その匂いや色がどんなだったかは断片的にしか覚えていない。ただ、美味しかった。文句無く美味しかった。俺の好みを良く知っている光樹が俺のために、完璧に俺の好みの味を作ってくれた。
だから、正直に俺は光樹に伝えた。
「すごく、今まで食べた中で一番美味しかった」
光樹が少しはにかんだ。
「嬉しいです、先輩」
そして、座っている俺の前に立つ。
「先輩、クリーム付いてますよ」
光樹は少し身体を屈める。そのまま俺に顔を寄せて、口の横に付いたクリームを舌で舐め取った。
「うん、美味しい」
光樹はにっこり笑った。その一方で、俺はパニクっていた。


その後、俺は何を言い、光樹が何を言い、そしてどうしたのか覚えていない。気付いたら、光樹が床に仰向けになって、俺がその身体の上に覆い被さっていた。
「み、光樹」
「先輩」
光樹が俺を見つめている。顔が熱い。光樹の顔も赤らんでいる。俺は光樹の手を握った。光樹も握り返す。
そして、俺は光樹の顔に顔を近づけた。光樹は顔を背けたり嫌がる素振りを見せなかった。俺はゴクリと唾を飲み込む。光樹が目を閉じた。
「い、いいのか?」
すると、光樹が目を開けた。
「良くなかったら、目、瞑らないでしょ?」
「そ、そだな」
心臓がバクバク言っている。
「じゃ、じゃあ」
もう一度顔を近づける。光樹がまた目を瞑る。そして、少し顔を前に突き出した。
俺はぎこちなく、光樹の唇に唇を押し付けた。

それは、どんなスイーツよりも甘く、そして幸せな味がした。


「重いです」
俺がずっと唇を押し付けて幸せな味を堪能していると、光樹が言った。
「あ、ごめん」
俺は慌てて光樹の上から起き上がる。そして、光樹に手を差し出した。光樹は俺の手を握って立ち上がる。
「ごめん、嫌じゃなかった?」
俺がそう尋ねると、光樹が真面目な顔で眉間に皺を寄せた。そのまま、しばらく無言になる。俺は心配になった。
「う〜ん、もう少し、ほんの少し甘くても良かったかな」
こんな時にも光樹は光樹らしく、味の分析を始めた。
「俺は丁度良かったと思うけど」
「いや、ちょっと待ってて下さいね」
そしてキッチンに行く。俺はまたリビングのテーブルに座る。
(キス・・・したんだよな)
左手の中指を唇に押し当てた。今もまだ心臓がドキドキしている。
(あいつはドキドキしてないんだろうか)
そうだ。俺にとってはファーストキスだ。
(光樹はどうなんだろう)
いろいろと考えてしまう。
「お待たせしました」
光樹がまたスイーツを持ってきた。さっきと同じように見える。
「先輩、試してみて」
「おお」
俺は一つ取って口に運んだ。同じ味・・・いや、少し違う。さっきは美味しかった。十分美味しいと思った。でも、今度のは・・・
「さっきのが最高に美味しいと思ったけど・・・これは」
「どう?」
光樹がなんだか楽しそうな顔を少し傾けて俺を見つめている。
「凄く美味しい。さっきのより美味しい」
そういうと光樹はニコッと笑う。
「やっぱり。さっきのよりほんの少し甘くしたんだよ」
正直、甘さの違いは分からない。でも、こっちの方が全体がまとまっている感じがして、美味しかった。
「嫌じゃないよ」
急に光樹が言った。俺には一瞬何のことか分からなかった。
「さっき、聞いたでしょ? 嫌じゃなかったかって」
そして、またキッチンに戻り、今度はコーヒーを運んできた。

光樹はテーブルの、俺の横に座っていた。ゆっくりとコーヒーを飲む。スイーツのようにはコーヒーの味は分からない。でも、光樹は美味しそうに飲んでいる。
「先輩、気付いてなかったんですね」
少し照れたような笑顔で光樹が言う。
「え、何に?」
俺は、コーヒーカップを皿に置く。
「僕が先輩を好きだってこと。てっきり気付いてるんだと思ってました」
「えっ」
俺のコーヒーカップが、がちゃんと大きな音を立てた。
「いつもデートしてくれてたし・・・分かってるもんだと」
「デ、デートって」
顔が熱い。たぶん、真っ赤になってるんだろう。
「お店巡り、あれ、僕はずっとデートって呼んでたんですよ、心の中で」
光樹がさらっと言う。光樹はもう、照れたりどきどきしたりしていないようだ。
「そんなの・・・言ってくれないと分かんないだろ」
俺は光樹を見た。
「でも、僕は先輩が僕を好きだって分かってましたよ」
光樹が俺の手を握る。
「な、なんで・・・」
光樹が俺の手を引いた。
「言わなくても分かりますよ。僕と同じだから」
顔を寄せてきた。俺も顔を寄せる。唇が重なる。光樹が俺の背中に手を回す。俺も、光樹の背中に手を回し、その小さな身体を抱き締めた。
(なんだ、光樹もどきどきしてるんだ)
俺の身体に、光樹の体温と心臓の鼓動が伝わってきた。

<第二の嗜好 接 完>


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