希 望
〜鳥かごの少年〜
「ほぉ・・・こいつか。私の命をねらった小僧というのは」 その男、侯爵にして内閣を牛耳る影の支配者としても知られる鷹栖は、目の前の少年を眺めながら言った。鷹栖は広い食堂の大きな樫のテーブルに座っていた。いつもの通り、より選った食材を使ってお抱えの料理長に作らせた夕食を食べ終え、食後に軽くブランデーグラスを傾けていたところに、その少年を運び込ませるように命じたのは鷹栖自身だった。彼は、その哀れな少年を食後のデザートとして楽しんでいた。 その少年は美しい顔立ちだった。上品な顔立ち、きりっと引き締まった口元。しかし、鋭い目で、鷹栖をにらみつけていた。ただ・・・少年は檻に入れられていた。それも、鳥かごを大きくしたような檻に。立つこともできない、狭い窮屈な檻の中で、少年はただ鷹栖をにらみつけていた。 |
||
「ふん、小暮の息子か。馬鹿な父親にして、馬鹿な息子という訳か。父親の敵でも討つつもりだったか?」少年は瞬きもせずに、鷹栖をにらみつけていた。 「あんな役立たずの敵討ちなどと、馬鹿なことをしおって」 鷹栖の冷笑に、少年がほんの少し、顔をこわばらせる。その変化を見て取った鷹栖は、さらにたたみかけた。 「私がせっかく名前が残るように処分してやったのに、お前はそれを逆恨みするのか」 少年は、思わず檻の中で膝立ちになり、檻を握りしめた。かすかに檻が揺れた。 「あのまま放っておけば、いずれお前の父親は政府に歯向かった政治犯として、お前達家族ともども投獄されていたというのに・・・私はお前達を助けてやったのだぞ、無能な父親の命と引き替えに」 少年は鷹栖の挑発には乗らなかった。怒りを抑え、再び檻の中に座った。鋭い目を鷹栖に向けたまま。 少年の父親、小暮泰三は、政府高官として、政府の中枢で動く鷹栖達の手足として働いていた。したがって、彼らが行っていることを知り得る立場にあった。国の中枢を担う者達は、腐りきっていた。公金の横領、高価な外国製品の私的流用、その他諸々。彼らにとっての内閣とは、単なる金儲けの道具にすぎなかった。地方の小さな商店主から、人々の信望に支えられてここまで来た小暮にとって、そんな内閣は許せなかった。これまで関わってきた政治の世界の中で、きれいごとだけでは済まされないこと、そして、金が政治を動かすこともよくわかってはいた。だが・・・(この国は、この内閣に食い尽くされる・・・)そんな危機感が、小暮を駆り立てた。 小暮泰三は、そんな内閣の実体を暴露しようとした。国のため、国民のため、自分と自分の家族の危険を省みずにそれをすることが必要だと信じていた。そして、行動をおこした。まず、軍中枢と密接につながる鷹栖の悪行を調べ上げ、徐々に証拠をそろえた。そして決定的な証拠となる取引が行われるとの情報を得た小暮は、その証拠写真を納めるべく、その日、その場に向かった。 しかし、翌日の新聞の一面を飾ったのは、「政府高官、反逆者に銃殺さる」との記事だった。反逆者は駆けつけた特別警察に、その場で全員射殺された、ということだった。たった一人で反逆者に立ち向かった小暮の行為は英雄的とたたえられた。 しかし、父の死を知ったその息子、泰信は、それが戯言であることを知っていた。その前日、父からすべてを聞いていた。自分が知っていること、これからやろうとしていること、そして、それが罠である可能性についても。そして、自分の意志をつぐよう、息子に言い含めた。そう、小暮は自分の動きが鷹栖に読まれていることを知っていたのだった。そして、自分を罠にかけたことをきっかけにして、大きな証拠をつかむ、そのために、危険な賭に出たのであった。 その日、特別警察が銃殺したのは、鷹栖に対抗する勢力の主要なメンバーだった。彼らも小暮同様罠にかけられ、そして反逆者として殺された。すべては鷹栖の計略であった。ただ、英雄として死ぬか、反逆者として死ぬかの違いだけ・・・そんなことは鷹栖にとってはどうでもよかった。 泰信にとって、父の意志を受け継ぐことは当然であった。いまは遺言となってしまった父の言葉の通りに、当面は目立った行動はせず、政界に入り、いずれはその内部から告発するつもりだった。そのために、泰信は父の死の真実すら訴えるつもりはなかった。しかし、鷹栖はあまりに狡猾だった。自分に反目する者は、まだ芽生えぬうちから摘み取っておく、それが、鷹栖のやり方だった。皮肉なことに、父の英雄としての死を受け入れ、その真相についてふれようともしない小暮家に鷹栖は疑念を抱いた。そして、その一人息子の動向を探らせ、やがて「摘み取ってしまうべき人物」リストのトップに名前が挙げられたのだった。 鷹栖は小暮の息子に罠を仕掛けた。父に似て、常に冷静な判断が出来る優秀な少年だとはいえ、まだまだ子供の泰信などは、鷹栖の手にかかれば赤子同然であった。彼の父が裏の組織とつながっていたとの偽情報を流し、新聞がその情報でわき返っているときに、鷹栖は小暮につながる筋に、自宅での裏取引の情報を流した。鷹栖の悪行をすべて小暮に押しつけようとしているとの情報は、泰信を動揺させた。さらに幾重にも仕掛けられた鷹栖の罠は、小暮の息子を確実にとらえていった。やがて、泰信は鷹栖の罠にはまり、屋敷に忍び込んだ。が、それもすべて鷹栖にとっては計画通りだった。泰信は簡単に捕らえられ、そして、檻に入れられた。特製の檻に。鷹栖が何羽も飼っている小鳥の檻と同じような、ただ、大きさが違うだけの檻だった。泰信は、鷹栖の手に落ちた。 (こいつは・・・父親よりもやっかいな相手になったかもしれんな)泰信の鋭い視線を浴びながら、鷹栖は思った。(父親を侮蔑する事で多少は反応を見せたが、すぐにそれを押し隠す冷静さ。このまま大人になっていたら・・・おそらくは大した人物になっていたであろうに)最終的に手中に落ちたとはいえ、その過程で見せた、たかだか13才の少年とは思えない冷静かつ的確な判断には、鷹栖も一目置かざるを得なかった。(場合によっては引き込んでも良いかとも思ったが・・・今のうちに処分しておくべきだな)鷹栖は冷徹にそう結論を出した。(しかし・・・すでに少年は手中にある。すこし、遊んでやるか)鷹栖は自身の残虐性を満たす方法を考え始めた。 泰信は、檻に閉じこめられたまま、食堂に放置されていた。食事は与えられず、水だけが毎日少量与えられていた。衣服ははぎ取られ、代わりに木綿の粗末な着物を着せられていた。そのような身なりの者は、この屋敷には一人もいなかった。その衣服は、彼が鷹栖に「飼われている」ことを示すものであった。 「これですか、噂の新しい小鳥は」 その日も、鷹栖の邸宅で、晩餐会が開かれていた。広い食堂に鷹栖の傀儡が何人も呼ばれ、豪華な食事を共にしていた。 「そう、無能の息子のなれの果てってやつですな。お見苦しいだろうが、がまんして頂けるかな」鷹栖が皆に言う。泰信をさらし者にするための晩餐会であった。 「また汚い着物をきているではありませんか。鷹栖さんのこのすばらしい邸宅にはあまりに不釣り合いな・・・」 鷹栖は笑って答えた。「私には、ペットに着飾らせて喜ぶ趣味はありませんのでな」 「ならば、ペットはペットらしく、服なんか着ていないがよろしいのでは?」客の一人が言った。 「なるほど。それもそうですな」鷹栖が、数人の使用人を呼びつける。 「ペットに服は不要だそうだ。はぎ取ってやれ」使用人に命じると、彼らはあっというまに檻から手を差し入れ、泰信を押さえつけ、着物をはぎ取った。 「これで、ますますペットらしくなりましたな」全裸となった泰信を眺めながら言った。 「ほう、これは・・雄ですな」客の一人が檻の前に立ち、泰信の股間を見て言った。それまではずっと鷹栖をにらみ続けていた泰信だが、その言葉で初めて恥ずかしさを感じ、うつむいて、股間を手で覆った。 「ということは・・・そのうちどこかの雌と交尾して、はらませてしまうかもしれませんなぁ」別の客がにやにやしながら言う。 「ならば、早い時期に去勢してしまいませんと」かすかに笑い声が上がる。 「どなたかよい獣医をご存じかな?」鷹栖がまじめな顔でそう訪ねた。 「別に獣医でなくとも、切り取ってしまえばよろしいのでは?」食堂に笑いが起こった。 その後も、鷹栖は泰信に仕掛けた罠を、その罠に落ちたときの様子を客に話して聞かせ、全裸で檻に閉じこめられた泰信を辱め続けた。泰信は羞恥と怒りに体を振るわせていた。しかし、鷹栖にとらえられたあの日以来、泰信は一言も発してはいなかった。それが、今の泰信にできる唯一の、そして小さな反抗であった。 (何日たったんだろう・・・)泰信は、激しい空腹で眠ることすら出来ない夜に、そんなことを思っていた。すでに、泰信をさらし者にする晩餐会も何度か行われていた。最近では、空腹と眠気で1日ぼんやりしていることも多くなっていた。しかし、鷹栖にだけは、相変わらず鋭い目を向けていた。 (もう・・・だめかな)少年は、少し気弱になっていた。 (死ぬ方が楽なのかな・・・逃げることも出来ないのなら、いっそのこと・・・)そんなことすら考えるようになっていた。そんな夜だった。 かちゃ・・・ かすかな音がした。そして、食堂のドアが小さく開き、そこから人影が素早く入ってきた。その人影は、檻の前に立った。 「お腹、空いてるの?」それは、鷹栖の一人息子、総一だった。 「お腹、空いてるんでしょ?」総一は檻の前に座り込んだ。食堂のテーブルの向こうにある大きな窓から月明かりが差し込んで、総一の顔を横から照らし出していた。 「おなか空いたって言えばいいのに・・・」泰信は答えなかった。鷹栖の息子に、鋭い視線を向けていた。総一は、あたりを見回すと、服の下から小さな袋を取り出した。 「これ、食べたらいいよ」そう言って袋を檻の前に置いた。泰信は手を出さない。 「ごめんね、そこから出してあげられたらいいんだけど・・・」総一が言う。 「こんなことするな。あいつに見つかったらなにされるかわからないぞ」そっと、小さな声で泰信が言った。 「初めてしゃべってくれたね。じゃ、これ食べてくれたら、僕、部屋にもどるよ」小さくほほえみながら、総一が言った。 「俺は食べない。早く部屋に帰れ」 「いやだよ。食べてくれなきゃ帰らない」総一の考えが分からなかった。が、泰信はおずおずと袋に手を伸ばした。そして、それをつかむと中に入っていたにぎりめしにむしゃぶりついた。強がってはいたが、空腹は限界だった。 「あわてなくても大丈夫だよ、父さん、今夜は帰らないからね」檻の前にあぐらをかき、頬杖をついて、泰信の顔を上目遣いに見上げながら総一が言った。 「なんでこんなことするんだ」少し、きつい口調で訪ねた。 「さぁ・・・でも、別に悪いことしてるとは思わないし」 「俺なんかに関わるな」檻をつかんで、総一に顔を近づけて言った。 「でも・・・お兄ちゃん、悪い人じゃなさそうだし」月明かりに照らされた顔が、ほほえんだ。 「さぁ、食ったから、早くここから出ていけ」わざと荒い口調で言った。 「うん。また来るからね、おやすみ」総一は立ち上がり、ドアに向かって歩いた。 「もうくるな」総一の背中に向かって言った。 かちゃり・・・小さな音を立てて、ドアがしまった。また静かな、一人きりの夜になった。しかし・・・久しぶりに泰信はぐっすり眠ることができた。 「ねぇ・・・どうして閉じこめられてるの?」 あの日以来、毎晩総一は泰信の檻の前にやってきた。いつも、食べ物や水を運んできて、時には二人で一緒に食べたりもした。少しづつ、二人は話をするようになっていった。泰信にとって3つ年下の総一は、父親のことをあまり知らなかった。泰信も、あえて彼に鷹栖のことを話さなかった。 「どうしてなの?」おそらくずっと前から聞きたかったこと、でも、今まで聞けなかったこと。そんなことが聞ける程度に二人は打ち解けつつあった。 「それは・・・」泰信には答えることができなかった。本当のことを言えば、結果的に鷹栖の悪行も言うことになる。それは総一には聞かせたくなかった。少なくとも、今は、まだ。 「言えない。お前は知らなくてもいいことだ」 「お兄ちゃん、悪い人じゃないよね、悪いことして、檻に入れられてるんじゃないよね?」総一の言葉が、少し胸に突き刺さる。 「俺は・・・みんな、幸せになりたいんだ。だから、時には・・・」 「みんな、幸せに?」 「ああ」 「お兄ちゃん、そのためにここにいるの?」 「ああ、そうかもな。俺達は、みんなが幸せになれるように考えていかなきゃいけないんだ。でも、それを忘れている人たちもいる」 「みんなの幸せのために?」 「そう、みんなの幸せのために、俺達は尽くさなきゃならないんだ。それが、国を動かす者の使命だ」 「みんなが幸せになるためにがんばらなきゃってこと?」 「そう。お前は将来、あいつの・・・お前のお父さんの跡を継いで、この国を動かしていかなきゃならない。そのときに、それを忘れちゃいけないんだ」 「僕が・・・国を動かすの?」 「ああ。きっとそうなる。だから、今日言ったこと、忘れるな」 お互いが、二人の間に通じるものを感じた瞬間だった。そして、不幸の始まりでもあった。 鷹栖は、夜な夜な息子が食堂で泰信と話をしているのに気付いていた。しかし、そのままにしておいた。彼らの青い倫理観が、現実の政治の世界で通用しないことを自分の息子に教え込む良いきっかけだとすら思っていた。自分の息子に帝王学を教え込み、将来、自分の地位を次ぐ者としての教育を行う時期に来ていると、そして、泰信をその教育に利用しようと考えていた。 鷹栖はそれ以来、ことあるごとに自分の息子を政治の場に連れ出した。文句を言う者など一人もいなかった。むしろ、鷹栖とその息子に取り入ろうとする者が彼らの回りに群がった。そして、総一の目の前で、もっともらしく理由付けされた腐った政治が執り行われた。それは、鷹栖による帝王学という名の洗脳でもあった。 「ねぇ・・・本当にそうなの?」総一は、檻の中の泰信に訪ねた。 「本当に、国のために、そうしなきゃならないの?」実際の政治を目の当たりにした総一には、それは信じられないものであった。国を富ますためと称する利権の奪い合い、弱者の排除、特権階級の保護、そして、饗応・・・ 「大事なことを忘れているんだ。みんな、忘れているんだ」泰信は、まっすぐに自分の顔を見つめる総一に答えた。 「違うよね。こんなんじゃいけないんだよね?」意気込んで総一が言った。 「お前や俺が変えていかなきゃないらないことなんだ」 「そうだよね、絶対、そうだよね。変えなきゃいけないんだよね」幼いながら、すでに自分なりの倫理観を持つ総一には、現実の政治や鷹栖の考えは受け入れがたいものがあった。 「俺や総一たちは、人のためにつくさなきゃならない。人を苦しめちゃいけないんだ。それがこの国に希望をもたらすんだ」それは、泰信の信念だった。 「いつか、僕が助けてあげる。きっと・・・だから、ずっと僕のそばにいて。そして、いつか必ず一緒にやろう」総一が、檻のなかに手をさしのべた。泰信はその手を握った。総一はしっかりとその手を握り返した。 しかし、総一の青い倫理観が打ち崩されるのも、そう時間はかからなかった。父の傀儡に取り囲まれ、腐った政治の実体にふれるうちに、徐々に総一は彼の父親の言う帝王学に影響されていった。 「ちがう・・・みんなが幸せになるためには、少しくらい不幸になる人がいても仕方ないんだ」 月明かりに照らし出される総一の顔が激昂していた。一度は共感しあった二人ではあったが、徐々に考えが食い違って行った。泰信はそれを感じ取ってはいたが、どうすることもできなかった。 「政治にはお金がかかるんだ・・・お金がなきゃ、なんにも出来ないんだ。変えることもできないんだよ!」 「お兄ちゃんは甘いんだよ。本当の政治ってもの、ぜんぜんわかってないんだよ!!」 少しずつ離れていった二人の心は、二度と元には戻らなかった。 やがて、総一は泰信の元に来なくなった。 鷹栖は二人の対立していく様子の一部始終を知っていた。そして、それに満足していた。 (あの、小暮の息子も意外と役に立ってくれたようだ。そろそろ、終わりにしてもよかろう) 数日後、元政府高官、小暮泰三の息子である泰信が、政治犯として逮捕されたとの記事が、新聞の一面を飾った。 その日、鷹栖の邸宅の食堂では、総一がその小さな体にあつらえて作られた軍服を身にまとって、檻の前に父親と並んで立っていた。総一の姿は、さながら政治の舞台に立つ鷹栖を小さくしたかのようだった。そして、政治犯、小暮泰信に対する処分が決定されようとしていた。 「お前は親子2代にわたって、政治を混乱させようとした重大政治犯だ。お前達のような血は絶やす必要がある。そうだな、総一?」 「彼のような考えは国を滅ぼすことになります」総一が冷たい目で言い放つ。それを聞いて、鷹栖は満足げに笑みを浮かべた。冷たい笑みだった。 「総一、こいつの処分はお前に任せる」鷹栖が息子に向かって言う。 「反逆者の血は絶やさなきゃならない。国のために、みんなのために」無表情のままで総一は言う。もう、あの夜、檻を挟んで心を一つにした総一ではなかった。 「反逆者とその家族は全員銃殺とする」一歩檻に近づき、泰信を見下ろしながら総一が言い放った。泰信はなにも言わなかった。だた・・・悲しい目で総一を見つめていた。 その翌日、泰信は久しぶりに鳥かごから解放され、そして、彼の母親と共に処刑された。 処刑には、鷹栖はもちろん、総一も立ち合った。かつては打ち解け合い、共感しあった泰信が銃殺される瞬間を、総一は表情一つ変えずに見守った。 <希望 〜鳥がごの少年〜 完> |