き‐きょう【桔梗】 キキョウ科の多年草。日当たりのよい山野に生え、8〜9月ごろ青紫色の釣鐘形の花が咲く。 |
ワンボックスカーの後ろのシートに無言で座っている。 隣にはもう一人。こいつも前を見たまま何も言わない。前のシートには身体の大きな男の人、まるでプロレスラーみたいな人だ。その人も何も言わない。その身体から「何も言うな」って気配を発している。顔を前に向けたまま、目だけで横を見る。外はかなり暗くなっている。ひと気のない道。そんな道をもう1時間以上走っている。 やがて、車が停まる。横のスライドドアが開く。降りろってことだろう。何もないところだ。 「こっちだ」 プロレスラーみたいな人が前を歩く。僕ともう一人がその後に従う。一番後ろは車を運転していた人だ。この人は身体が大きいって訳じゃない。でも、なんだか怖い雰囲気だ。この4人の中で一番ヤバい人だろう。それはたぶん、もう一人も同じように感じているはずだ。こいつも何も言わないし何も逆らわない。それをしたら、たぶん、本気でヤバいことになる。無理矢理あの車に乗せられたときからそれは分かっていた。 しばらく歩くと大きな木の家が見えてきた。窓から明かりが漏れている。そこが目的地だということがすぐに分かる。ドアが開いて、誰かが出てきて僕等を待っていた。 「ご苦労」 出迎えていた人がプロレスラーのような人に声を掛けた。レスラーは軽く頭を下げる。そしてチラリと僕等を振り返り、その家の中に入った。つまり、僕等も入れということだ。 家の中は明るかった。オレンジ色の暖かい光に溢れている。でも、雰囲気は冷たい感じだ。ほとんど何もない。みすぼらしい椅子が3つあるだけだ。学校かどこかそういうところで使っていそうな椅子だ。その椅子の一番奥の一つに既に誰かが座っている。そいつは少し俯き加減でなんとなくおどおどした感じ。僕等より少し年下かな、と思える雰囲気だ。 そういや、僕と車に乗っていたもう一人は、同じ学年か一つ上くらいに見えた。だから、たぶん中2か中3だろう。椅子に座っている奴は小学生くらいに見える。 出迎えていた人が僕等の前に立ち、椅子を手で指し示す。座れってことだ。僕等は入ってきた順番通り、その小学生みたいな奴の手前、3つ並んだ椅子の真ん中に僕が、そして僕の右にもう一人の奴が座った。 「奥田雅巳」 誰かが言った。僕の名前だ。僕は顔を上げて、僕を呼んだ人を探して頭を巡らせた。 「返事は」 その誰かの声が大きくなった。 「は、はいっ」 思わず僕は立ち上がり、同じように大きな声で返事をする。 「座れ。動くな」 目の前の出迎えた人が僕に近づいて睨む。僕は椅子に座る。その人は僕を睨んだまま見下ろす。すると、またさっきの声がした。 「日向拓人」 「は、はい」 僕の左隣、僕等より先にここにいた、小学生くらいの奴が返事をした。 「声が小さい」 また大きな声がする。 「は、は・・・ぃ」 初めは大きな声で、だけど、すぐに小さくなる。目の隅で、膝の上に置いた手にぎゅっと力が入ったのが見えた。 「声が小さいっ」 「はいっ」 今度は大きな声だった。僕の前から男が隣に動く。 「顔を上げろ」 「は、はい」 また小さな声になっていた。僕は俯いて自分の足を見ていた。でも、僕の左で、あの男がこの日向拓人と呼ばれた子を見下ろし、睨み付けているのは分かった。 「戸田陽輔」 「はいっ」 僕の右隣の、一緒に車に乗せられていた奴が、初めから大きな声で返事した。僕の前をあの男が通り過ぎ、右斜め前に立つ。しばらくその人の足が見えた。やがて、その足は方向を変え、僕の視界から消えた。 「立て」 僕等は3人とも立ち上がる。椅子ががたんと音を立てる。誰かが僕等の後ろにいる。でも、振り返ることが出来ない。物音がする。椅子がどこかに運び去られたのを感じる。 「全裸になれ」 (えっ) 僕は声には出さなかった。でも、左の日向拓人は声を上げた。何かが起こると思った。身体に力を入れる。でも、何も起こらない。そのまま、誰も動かず、何も言わないまま時間が過ぎていく。 (さっきのは、何だったんだ?) そう思った。それとほぼ同時に後ろに人の気配。 「ぐっ」 突然、日向拓人が二、三歩前に出た。それが目に入った瞬間、僕の後頭部に何かが当たった。いや、当たったなんてもんじゃない、ぶち当たった。僕の身体も前につんのめる。そして、戸田陽輔の後ろにあのレスラーが立っているのが目に入った。レスラーは戸田陽輔の後頭部を拳で殴りつけた。 (あいつに殴られたんだ) やっと理解した。そして、その理由も。 「並べ」 あの声がした。僕等はさっきと同じように並ぶ。その後はまた誰も何も言わなかった。 僕の右隣で戸田陽輔が動いた。シャツを脱ぐ。僕も同じようにする。日向拓人もそんな僕等をチラリと見て、慌てて服を脱ぎ始めた。僕と戸田陽輔は靴下も下着も脱いで全裸になった。僕の左隣の日向拓人は僕等より少し遅れて下着だけになった。そして、そこで手を止めた。 「あ、あの・・・」 日向拓人の声がした途端、その身体が僕に当たる。そのまま日向拓人は床に倒れた。レスラーが僕等から離れていく。 「早くしろ」 あの声がそれだけ言った。日向拓人は僕を見上げた。僕は目を反らす。立ち上がり、僕の横に戻る。そして、下着を脱いだ。 僕等の前に立っていた、ドアのところで出迎えた男が僕等の周りを回る。 「隠すな」 日向拓人の身体がビクッと動いた。彼は股間を手で隠していた。その手が身体の横に降りていく。 男は僕等の周りをゆっくりと時間を掛けて何周かした。しばらくそうして、やがて右手を小さく上げた。 「服を着ろ」 あの声が今度はそう言った。脱ぐときは一番遅かった日向拓人が一番早く動く。僕も下着を拾い上げるために身体を屈めた。隣で戸田陽輔も同じように身体を屈めた。そして、下着に手を伸ばした瞬間、ちらっと僕を見た。ほんの一瞬、目が合った。そして、その瞬間に僕等の意思が通じ合った。 (俺達どうなるんだ?) (分からないよ) その瞬間、まるでテレパシーのようにこの戸田陽輔の考えていることが分かった。そんな気がしただけなのかもしれないけれど。 下着を拾い上げた頃には、日向拓人はすでに下着とズボンを身に付けていた。それを目の隅で見ながら、少しゆっくりと下着に足を通す。戸田陽輔を意識する。戸田陽輔も僕と同じようにゆっくりと下着を履く。またあの瞬間のように目が合わないか、そう思いながら、ゆっくりと、俯き加減で下着を履く。でも、服を着終えても、あの瞬間のようなことはもう起こらなかった。 「来い」 僕等3人が服を着終えると、あの声がした。周りを見てみると、奧のドアのところに車を運転していた人が立っている。 (あの声、この人だったんだ) その人の方に3人で近づく。今度は戸田陽輔、僕、日向拓人の順番だ。その人がドアを開く。頭をそっちの方に振る。僕等は順番にその部屋に入る。部屋は薄暗く、何もない。僕等3人が部屋に入ると、その人は部屋の外に出てドアを閉めた。部屋が真っ暗になる。そのまま僕等は身を潜めていた。何が起きるのか。何が起こるのか。 でも、何も起こらなかった。 どれくらい時間が経ったろうか。その暗さに目が慣れてきて、なんとなく周囲が見える。でも、見えたところでやはり何もなかった。部屋の隅で僕等は固まって座っている。順番はさっきの部屋で座っていた通りの順番だ。お互い何も言わない。声を出すのがためらわれる。 「誘拐・・・かな」 小さな声で戸田陽輔が言った。 「分からないけど・・・たぶん」 僕も小さな声で答える。それっきり3人とも口を噤む。やがてすすり泣くような声が聞こえてきた。日向拓人だ。 「泣くな」 僕の右から声がした。 「だって」 今度は左側から。 「泣いてもどうにもならないから」 今度は僕。冷たい言い方だな、と思う。でも、実際その通りだ。 「今は・・・」 戸田陽輔だ。 「今は?」 僕は尋ねた。でも、答えがないことは分かっている。 「今は・・・なにも出来ない」 そういうことだ。隣で戸田陽輔が床に横になった。 「寝る」 そう短く言った。 「僕も」 僕も横になる。その僕のすぐ近くに日向拓人が横になった。 「僕等、どうなるのかな」 日向拓人が言った。でも、僕も戸田陽輔も答えなかった。 目が覚めた。何となく、部屋の中が少し明るくなっていた。 「起きた?」 戸田陽輔の声だ。つまり、昨日のあれは夢ではなかったということだ。 「あれ・・・」 僕の横には誰も寝ていない。 「あいつ、連れて行かれたよ」 (なんで?) そんな疑問が湧いたが、それを戸田陽輔にぶつけたところで戸田陽輔に答えられる訳がない。僕は質問を飲み込んだ。 次に思ったのは、なぜそれを止めなかったのか、だ。でも、それも同じこと。そうするべきなのかどうかすら、今の僕達には分からない。 「朝・・・なのかな」 少し明るくなっている部屋の中を見回した。やはり何もない。 「たぶんね」 どこから光が入ってきているのかもよく分からない。ただ、天井の方が少し明るくなっている。 「結局、僕等、どうなったんだろ・・・」 半分独り言、半分戸田陽輔への質問だ。 「分からない」 そこで、初めてまともに戸田陽輔の顔を見た。美少年とかというよりは、凜々しい感じ。その顔を見ると、何となく少し安心出来るような雰囲気。でも、僕は昨日からこの雰囲気を感じていたことに気が付く。 「俺は戸田陽輔」 「うん、知ってる」 戸田陽輔が差し出した手を握りながら答えた。 「僕は奥田雅巳。知ってると思うけど」 「うん」 そして僕は尋ねた。 「戸田君、中・・・」 「2。陽輔でいいよ」 「じゃ、同じ学年なんだ」 「そうじゃないかって思ってた」 いろいろと不安な中で、ほんの少しだけ気持ちが楽になる。でも・・・ 「あいつ、どうなったんだろうな」 陽輔君が言った。一気に気持ちが沈む。 「俺達も、どうなるんだろう・・・」 お互い、どうしてここに連れてこられて、これからどうなるのか全く分からない。もう一人、日向拓人が今どうなっているのか、それも分からない。ここもどこだか分からない。あいつらも誰だか分からない。 「分からないことだらけだ」 僕は呟く。そのまま頭を垂れる。陽輔君は何も言わない。僕もそれ以上は何も言わない。口を開いたら不安をぶつけてしまいそうだ。ぶつけても仕方のない不安。だから、それをしたらきっとパニックになってしまう。何も言わない方がいい。 と、ドアが開いた。僕と陽輔君は同時にドアの方を見た。何かが部屋に投げ入れられる。どさっと重い音がして、すぐにドアが閉まる。 「うう・・・」 投げ入れられたのは日向拓人だった。そして、日向拓人は全裸だった。 「おい・・・」 先に声を掛けたのは陽輔君の方だった。 「だ、大丈夫?」 僕は少し遅れて声を掛けた。と、またドアが開いた。僕等は身構える。また何かが投げ入れられる。今度はさっきのような音はしなかった。それは日向拓人の服だった。 「なにされたんだ?」 しかし、日向拓人は何も答えない。ただ、小さな声で呻いていた。部屋の中が徐々に明るくなる。そして、日向拓人の身体もはっきり見えるようになる。その身体にいくつか傷があった。擦り傷。そしてミミズ腫れ。横たわっていた床には小さな血の痕まである。 「怪我、してるの?」 僕は日向拓人の身体を触ろうとした。でも、その手を払いのけられる。日向拓人はのろのろと身体を起こし、投げ入れられた服を掴んで部屋の隅でそれを身に付け始めた。ゆっくりとした動作。時々小さな呻き声を上げている。僕は陽輔君と顔を見合わせた。 日向拓人は、一人、部屋の隅にうずくまって顔を足に埋めていた。時々呻き声が聞こえる。泣いているのかもしれない。 僕等は何度か顔を見合わせたけど、何も言わなかった。 しばらくすると、またドアが開く。日向拓人の身体がビクッと動く。僕と陽輔君もドキリとする。ドアの向こうから手が伸びて、カゴのようなものが差し込まれた。手は引っ込み、ドアが締まる。カゴには食べ物が入っている。 「食事みたいだね」 僕は呟いた。陽輔君がそのカゴから一人分の食べ物を取り分け、それをうずくまったままの日向拓人の前に置いた。残りを僕と二人で分ける。 空気が重い。当然だ。日向拓人に何があったのかはよく分からない。でも、彼が怪我をしているのは分かる。身体の傷、そしてミミズ腫れ。どこかから出血。何をされたのか。そして、恐らく同じようなことを僕も、陽輔君もきっとされるんだろう。叫び出したい気分だ。でも、それをしたところで逃れられそうな気がしない。重苦しい雰囲気の中で食事し、何も言わずにただそこで何かが起こるのを待つ。それしか出来ることはなかった。 ドアが開いた。 「戸田陽輔、出ろ」 男の声がした。陽輔君の身体がビクッと固まり、そして立ち上がった。僕は陽輔君の方に手を伸ばした。出来れば、陽輔君が行くのを止めたい。でも、出来ない。僕は彼が連れて行かれるのを見送ることしか出来なかった。 ドアが閉まる。日向拓人と二人きりになる。日向拓人の呻き声はもう聞こえなかった。 「なに・・・されたの?」 僕は問い掛けた。でも、答えは返ってこなかった。 「同じこと、同じようなこと、陽輔君も」 そこまで言った時、日向拓人が何か言った。 「えっ?」 聞き返した。でも、日向拓人はもう何も言わなかった。 呻き声が聞こえた。そして、何かを引きずる音。ドアが開く。陽輔君が部屋に戻ってきた。いや、全裸のまま、部屋に放り込まれた。 「うがぁ」 陽輔君が床を転がる。身体が僕に、そして日向拓人にぶつかる。 「よ、陽輔君」 その身体を押さえてもいいのかどうか分からない。僕は手を上げたまま、陽輔君を見つめる。 「ひ、ひぐっ」 やがて、陽輔君の動きが小さくなる。すすり泣くような声が聞こえる。 「大丈夫?」 日向拓人が尋ねた。陽輔君が日向拓人を見る。微かに首を横に振る。 「動かないで」 日向拓人が言うと、陽輔君は仰向けに寝たまま動かなくなった。僕はその身体を見た。お腹の辺りから下の方の色が変わっている。黒みがかった紫色のような色だ。 「やられたの?」 また日向拓人だ。 「うん」 荒い息の中で陽輔君が答える。 「なにされたの?」 僕が聞く。日向拓人が僕を見た。陽輔君の目も動いた。でも、二人とも何も言わない。 何も言わないまま、僕から目を反らした。 またドアが開く。陽輔君の服が投げ込まれる。 「休憩の後、続きだからな」 誰かがそう言ってドアを閉めた。僕は投げ込まれた服を拾う。広げてみる。服はあちこち破れ、何かで濡れている。 「陽輔君、これ・・・」 僕はその破れた服を広げたまま陽輔君に見せた。すると、日向拓人がその服を掴んで僕から奪い取った。一瞬、僕は睨まれた・・・ような気がする。そして日向拓人はその服を陽輔君の身体の上に広げた。 「あいつら・・・」 日向拓人が言った。 「なに、されたの?」 僕はもう一度尋ねた。でも、二人とも答えてくれない。 「知ってるんでしょ、教えてよ」 日向拓人の身体を揺さぶった。日向拓人は僕の手を振り払った。 「黙ってろ。お前なんか」 今度は間違いなく僕を睨んだ。 またドアが開いた。 「続きだ。出ろ」 陽輔君が身体を起こそうとして呻き声を上げる。 「待って、もう動けないよ」 日向拓人が男に向かって大きな声を出した。が、男はずかずかと部屋の中に入り、陽輔君の腕を掴んで引きずるようにして部屋から運び出した。 「ま、待って」 そう叫ぶ日向拓人の目の前でドアは大きな音を立てて閉まった。 「なにが起きてるの?」 部屋に二人きりになった僕は、日向拓人に尋ねた。 「ねえ、教えてよ」 「うるさい」 日向拓人はそう呟いた。僕は日向拓人の前に立った。 「なんで教えてくれないんだよ」 日向拓人を見下ろして、少し大きな声で言った。 「うるさい」 しゃがんで日向拓人の両肩に手を掛けた。 「触るなっ」 日向拓人が僕の手を払いのける。そして、僕から離れた。 「お前のせいだ」 「えっ」 「お前のせいだろ!」 部屋の隅でしゃがみ込んだ。僕は突っ立ったまま、呆然とする。 「な、なにが・・・」 でも、日向拓人は何も言わなかった。 陽輔君が部屋に戻ったのは、たぶん、何時間も経ってからだった。 陽輔君はもう、ほとんど動かなかった。ときどき激しく咳き込む。そして、口から少し血を吐いた。その傍らに日向拓人がしゃがみ込み、身体をさすっている。僕が近づこうとしても拒否される。破れた服で口の周りの血を拭っている。 (なんなんだ) 訳が分からない。何が起きているのか。二人はこの部屋から連れ出されて何をされているのか。陽輔君は何をされたのか。なぜ僕は連れて行かれないのか。そして、陽輔君は大丈夫なのか。 次にドアが開いたとき、男が部屋に入ってきた。そのまま陽輔君を抱え上げる。 「お前もだ」 日向拓人に向かって言った。そして、部屋から出て行こうとした。 「ま、待って」 陽輔君を抱えたまま、男が立ち止まった。 「ぼ、僕も、行きます」 立ち上がる。 「お前は呼ばれてない」 でも、男はそれだけ言って部屋から出る。その後に日向拓人が続く。そして、ドアが閉まる。 「なんで、なんでだよ!」 僕は叫んだ。叫びながらドアを拳で叩いた。 どれくらいの時間、そうしていただろうか。ドアは開くことはなかった。僕はドアに額を付け、ひざまづくようにして崩れ落ちた。 かすかに誰かの悲鳴が聞こえる。何かの物音。そして、また悲鳴。 (なんで・・・) 日向拓人はお前のせいだと言っていた。いったい、僕が何をしたというんだろう。僕だって、なぜここに連れてこられたのか分からない。誰に連れてこられたのかも分からない。それなのに、お前のせいだなんて・・・ 「ぐあぁ!」 一際大きな悲鳴が聞こえた。 「いやだぁ」 叫び声。たぶん、日向拓人の声だ。何が起きてるんだろう。 「開けろ、開けろ!」 僕はまたドアを叩いた。何度も叩いた。でも、誰もドアを開けてくれなかった。 何かが背中に当たった。光が差し込んでいる。ドアが少し開いていた。その隙間から誰かが覗き込んでいる。 「邪魔だ」 僕は慌ててドアから離れた。どうやらドアの前で眠ってしまっていたらしい。ドアが開くと男が立っていた。肩に担いでいたものをどさっと降ろす。陽輔君だ。うつ伏せになった身体から幾筋も血が流れている。 「お前も入れ」 日向拓人の背中が蹴飛ばされる。陽輔君の身体に蹴躓いて倒れる。ドアが閉まる。僕はただそれを見ていた。 「うぅ」 日向拓人が呻いた。そして身体を起こして陽輔君の方に這い寄る。 「大丈夫?」 陽輔君の身体を見下ろした。腕が変な方向に曲がっている。 「それ・・・腕・・・」 日向拓人が僕を睨んだ。 「あっち行け」 「でも」 陽輔君の横にしゃがみ込もうとした。そして、気が付いた。変な方に曲がっているのは右腕だ。そして、左腕の方は、指がねじれている。 「これって・・・」 僕は手を伸ばした。 「触るなっ」 日向拓人が叫んだ。僕は反射的に手を引っ込める。日向拓人のお腹の辺りにもたくさんの傷があり、そこから血がにじみ出している。 「なんで」 そう言い掛けたところで日向拓人に突き飛ばされる。 「僕等に近づくな」 凄い目をしている。 「僕がなにをしたって言うんだよ」 思わず僕も声を荒げた。 「ぐふっ」 陽輔君が呻いた。口からたくさんの血を吐いている。僕は慌ててドアを叩く。 「誰か、陽輔君が、助けて!」 どんどんとドアを力一杯叩く。でも、ドアは開かない。誰も何も言わない。 「陽輔君」 側にしゃがもうとした。でも、日向拓人が陽輔君との間に立ちはだかる。 「近づくな」 あの目で僕を睨む。僕は思わず後退った。背中が壁に当たる。そのまましゃがみ込む。 「なんだよ・・・なにしたって言うんだよ・・・」 涙が出てきた。たぶん、悔し涙だ。 (僕のせいで、なにかが、起きてる・・・) 気が付いてないけど、何かしちゃったんだろうか。こんなに彼等を傷付けることになるような何か・・・でも、全く心当たりがない。陽輔君とはあの車で、日向拓人とはここで初めて会ったんだ。それなのに、何か、僕が悪いことをしたんだろうか・・・・・ また部屋が明るくなってきている。 僕は部屋の隅でずっとうずくまっていた。陽輔君は呻き続けている。日向拓人はそんな陽輔君の身体をさすり、声を掛け続けている。 ドアが開いた。 「戸田陽輔。続きだ」 男が入ってきて、陽輔君の身体を乱暴に抱え上げた。 「待って、もう、死んじゃうよ」 そんな男の腰に日向拓人がすがりついた。 「離せ」 男が日向拓人を蹴り飛ばした。 「待って、じゃ、僕も行く」 僕を見て言った。 「こんな奴と二人にしないで、お願いします」 そして、男に向かって土下座した。 また僕は一人になった。 ドアに背を付けて座り込む。また物音、悲鳴、呻き声。男の怒号も聞こえる。 「やめて、死んじゃうっ」 そんな日向拓人の叫び声。 「ぐあぁぁ」 「やめてぇ!!」 何が起きているのか。なぜ、僕には何も起きないのか。僕のせいなのか。 もう、頭がおかしくなりそうだ。 僕は壁に頭を打ち付け始めた。何度も何度も、それは彼等がまたこの部屋に戻ってくるまで続いた。 ドアが開いたことにも気が付かなかった。 僕は頭を壁に打ち付け続けていた。額が切れて血が出ている。そんなことはここでは当たり前だ。陽輔君も、日向拓人も血を流している。だから、僕も血を流して当然だ。 開いたドアから男が後ろ向きに、少し屈んで入ってきた。何かを引きずっている。陽輔君の手だ。そして、引きずられている陽輔君の身体は上半身だけになっていた。そうやって上半身を部屋の真ん中に運び込み、次に下半身をサッカーボールか何かのように足で蹴りながら部屋の中に運んでくる。最後に日向拓人を部屋に投げ入れる。日向拓人の身体が陽輔君の上半身に重なる。でも、陽輔君は呻きもしない。日向拓人は時々身体を震わせている。僕は二人の側にしゃがんだ。陽輔君は目を見開いていた。微かに息はしているようだ。でも、臍の少し下から身体がなくなり、血がドクドクと流れ、床に血だまりを作っている。 (もう、ダメだな) 一目見てそう思う。そんな陽輔君の身体に抱き付くように日向拓人の身体が重なっている。 「なにが」 そう呟いた。すると、それに反応するように日向拓人の身体がビクッと動く。身体を起こし、陽輔君の上半身の横でのろのろと正座し、そして土下座した。 「ご命令に・・・従います」 そう日向拓人が呟いた。 「ご命令に従います」 そして、それを何度も何度も繰り返した。 「ひゅ、日向・・・君?」 日向拓人が一瞬黙る。そして、僕の足下に這い寄って顔を上げた。 「ご命令に従います」 僕の下半身にしがみついてきた。そのまま僕のズボンを脱がそうとする。 「な、なに」 「ご命令に従います」 弱々しい動きの割に、強い力で僕のズボンを下ろした。そして、僕のペニスにむしゃぶりつく。 「な、なにすんだよ」 頭を引き剥がそうとした。でも、日向拓人は僕にしがみついて離さない。 「やめろっ」 チラリと上目遣いで僕を見た。目が合った。その目が笑った。背筋に冷たいものが走った。 「やめろ!!」 僕は全力で日向拓人を引き剥がそうとした。 「ぎゃぁぁ」 が、日向拓人は離れるどころか、僕のペニスに噛みついた。僕は拳を握り、日向拓人の頭に振り下ろす。何度も何度も振り下ろした。でも、日向拓人は離れない。歯をギシギシと動かし、僕のペニスを食いちぎろうとする。 「うがぁ、やめろぉ」 激しい痛みとともに、日向拓人が僕の股間から離れた。口には僕のペニスが咥えられたままだった。 「いぎゃぁ」 股間を押さえて床をのたうち回った。痛み。ショック。恐ろしさ。目の前に陽輔君の下半身があった。一瞬、その股間が目に入る。そこにはペニスも陰嚢もなかった。 (まさかっ) のたうち回る僕の身体の上に日向拓人がのしかかる。笑っている。凄い力で僕の足を掴む。 「やめろ!!」 僕の足を広げ、その付け根の間に顔を埋める。 「ぐあぁ」 また激しい痛み。日向拓人は僕の陰嚢に噛みついていた。僕は陽輔君の足をつかみ、下半身を持ち上げ、日向拓人の頭に振り下ろした。が、日向拓人は動じない。それどころか、一旦僕の陰嚢から口を離すと、今度は僕の睾丸を歯で咥えた。 「ひひっ」 そして僕を見て笑う。次の瞬間、日向拓人は僕の睾丸に噛みついた。 「うぐっ」 息も出来ないような痛み。声が出なかった。ぎりぎりと僕の睾丸に歯を立てる。そしてもう一つの睾丸にも噛みついた。あまりの痛みに意識が遠のく。僕の陰嚢が日向拓人に噛みつかれ、ぎしぎしと噛み切られる。そこから指を突っ込まれて、僕の睾丸が引きずり出される。日向拓人はそれを咥え、噛みちぎる。遠のく意識の中でそれを呆然と見ていた。血塗れの顔を僕の顔に寄せる。そして、口を押し付けてきた。何かが僕の口に押し込まれる。もちろん、それが何なのかは分かっている。僕の睾丸だったもの。それを口に入れられ、自分の血の味を感じながら僕は意識を失った。 明るい光の中で目が覚めた。どこか遠いところでずんずんと痛みを感じる。目を開く。あの家の中らしい。でも、あの部屋じゃない。見たことがない部屋だった。 身体を動かそうとしたが、動かない。手足が床のどこかに縛り付けられているようだった。頭を動かして周りを見る。部屋には他に誰もいなかった。 痛みが少しずつ近づいてくる感じだ。徐々にそれははっきりとし、あのことを思い出させた。日向拓人に食いちぎられたペニスと睾丸。目が覚めた時は一瞬夢だと思った。でも、痛みはそれが夢なんかじゃないってことを僕に告げている。 徐々にはっきりする痛みの中で思う。なぜ僕はここに連れてこられたのか。何が僕に起きたのか。何が陽輔君や日向拓人に起きたのか。僕はどうなるのか。そして、僕は彼等に何をしたのか。 「やあ」 声がした方を見る。きれいな身なりの少年が立っている。服装は違っているが、日向拓人だ。 「日向・・・君」 日向拓人は笑顔だ。あの恐ろしい笑顔じゃない。少年らしい、かわいい笑顔だ。 「楽しかった?」 その屈託のない笑顔で僕に尋ねた。僕は混乱した。彼が言っているのがあのことなのか自信がなかった。あのことは本当に夢だったのではないかと思った。 「僕の趣味を分かってくれる人があんまりいなくてね」 僕に近づいてくる。 「だから、時々こうしてるんだ」 僕の横にしゃがみ込む。 「よ、陽輔君は・・・」 声がかすれる。痛みが身体全体に拡がりつつある。 「ああ、あいつはね・・・」 日向拓人が笑う。 「それより、君だよ、奥田君」 立ち上がり、僕を見下ろした。 「僕・・・僕が、何をしたの?」 すると、日向拓人はまたにこっと笑った。 「なんにも。なんにもしてないよ」 「でも・・・」 あのとき、日向拓人はたしかに僕のせいだと言った。それは間違いない。 「誰か悪者がいた方が楽しいでしょ?」 日向拓人が言った。そして、身体を屈めて僕に顔を近づけ、少し低い声で言った。 「もう終わったから、死んでいいよ」 そしてまた、にっこりと笑った。 僕の前に輪になった縄が降りてきた。僕の周りを、ここに連れてこられたときにいたレスラーのような男、運転手の男、そしてここで出迎えた男の3人が取り囲んでいる。何かを注射され、朦朧とした意識の中で僕はその3人に犯された。日向拓人が僕を見ていた。笑顔で楽しそうに、3人に犯されている僕を見ていた。 僕の首に輪が掛けられる。3人が部屋を出て行く。日向拓人が僕に近づく。 「じゃね」 まるで学校から帰る時のような、気軽な挨拶だった。僕の足が支えを失う。縄が喉に掛かる。まず皮膚を擦る痛み。すぐに苦しさ。日向拓人がすぐ目の前に立っていた。彼に向かって手を伸ばそうとした。が、手は背中で縛られていた。 僕が最後に見たのは、日向拓人の笑顔だった。 き‐きょう【奇矯】 言動が普通と違っていること。また、そのさま。 <ききょう 完> |