なぞのむぅ大陸
10万Hit記念作品
水・・・どこかから気泡が浮き上がってくる。 小さな気泡は集まり、大きくなって上がっていく。 うつむいている僕の頭の上で、水面に出てはじける音がする。 どこかでブーンという音がしている。 その音は規則正しく高くなったり、低くなったりを繰り返している。 ごとん、と音がした。 それが合図かのように、あちこちで音がした。 でも、すぐに音はしなくなった。 僕は一人きりでうつむいていた。 ここは・・・どこ? ママ、どこにいるの? 僕は一人ぼっちなの? なにが起こるの? なにが起こっているの? これからどうなるの? 怖いよ、ママ・・・助けて!! |
目が覚めた。またあの夢を見た。パジャマが汗で湿っていた。気持ちわるかった。 「信彦、早く起きなさい」ママの声がした。何となく、トーストが焼けているにおいが漂っている。さっきの夢のなにか重苦しい雰囲気とは全然違う、いつもの和やかな朝の雰囲気だった。カーテン越しに入ってくる日差しは、今日もいい天気であることを告げていた。 「信彦、時間よ」またママの声。2枚目のイエローカードだ。これを無視すると、レッドカードを貰っちゃう。即、ベッドから無理矢理退場させられちゃうんだ。 「ん、んん〜」僕は声にならない声を出して、ママの警告に返事を返した。もう少し、こうやってベッドの中でうとうとしていたい。でも・・・レッドカードを貰うと、次の試合は出場停止、遊びに行かせてもらえなくなっちゃうから、仕方なく体をベッドからひっぺがした。 着替えを済ませて階下に降りていくと、トーストのにおいが強くなった。同時におなかがぐぅっと鳴る。急いで顔を洗ってテーブルにつく。パパはすでに朝食を食べ終えて、ゆっくりとコーヒーを飲みながら朝刊を読んでいた。 「おはよう」なんとなくまだ眠たげな声で挨拶をした。 「おはよう。今日もいい天気だな」パパが新聞越しに声をかけてくる。 「うん。サッカー日よりだね」少し目が覚めてきた。 「今日はサッカーの日かい?」パパは新聞を畳んでテーブルの上に置く。今日もパパの顔は優しかった。 「サッカーサッカーって・・・少しは宿題もしてちょうだいね」ママが僕のトーストと、オレンジジュースを運んで来てくれる。 「ちゃんとしてるよ」ちょっと嘘ついたかもね。 「もうじき信彦も12才なんだから・・・いちいち言われなくても宿題くらいしてちょうだいね」そういうママの声は笑っていた。 「してるよな、信彦」 「あったりまえじゃん」僕はパパと一緒に笑った。いつものように。 「おはよ〜」 「おっは」邦明が小走りで僕に追いついてきた。邦明のうしろから、弘も来た。これでいつものメンバーがそろったってわけ。 「おはよ」僕等はいつものように並んで歩いた。 「俺さぁ、昨日、変な夢見ちゃった」邦明が言った。僕は”夢”という言葉に少しどきっとした。 「どんな夢だよ?」それほど聞きたい訳じゃなかったけど、僕は訊ねた。 「それがさ、ちっちゃいときのことなんだけどさ。ずっと前に住んでた家で、階段から落ちる夢」 「なにそれ」 「んでさ、俺、朝になって母さんに聞いてみたんだ。前の家で、俺階段から落ちたことあったでしょって」 「そしたら?」 「よく覚えてるねだってさ。ホントにあったんだよ、そんなこと」 「覚えてなかったの?」 「全然。そんなことあったなんて知らなかったんだけどな」 「へぇ・・・・なんか、予知夢・・・の反対みたいだな」 「なんか気味悪くってさ」少し邦明が声をひそめた。なんか、らしくない。 「ねぇねぇ、小さいときのことで一番最初の記憶って、どんなの?」弘も同じように思ったのか、話題を少し変えようとした。 「俺は、なんかテレビの前で歌ってるの覚えてるけどな」邦明はいつもの調子に戻っていた。 「僕はお母さんが洗濯物を干してるの、横で見てるのが最初かな」と弘。 「信彦は?」邦明が僕に訊ねる。 「う〜ん・・・なにかなぁ」僕は考え込むフリをした。 そうこうしている間に僕等は学校に到着し、上履きに履き替えて教室に入った。他の友達と挨拶をし、いろいろと話をした。でも、僕はなんとなくうわの空だった。僕の一番最初の記憶・・・それは・・・ 僕が覚えている一番最初の記憶は僕の誕生日、パパとママが祝ってくれた幸せな思い出。それは9才になったときの誕生日。ケーキの上にロウソクが9本立っているのをはっきりと覚えていた。でも、それより前のことは、いくら思い出そうとしても思い出せなかった。小さいときにアニメの主題歌に合わせてテレビの前で歌ったような記憶も、洗濯物を干すママの横にいたような記憶も全くなかった。それがなんだかすごく僕を不安にさせた。9才の誕生日より前、僕はなにをしていたんだろう・・・べつになにか特別なことなんかしてるわけはないんだろうけど、でも、何となくそう考えていた。なぜか不安がつのった。 その日、学校から帰ると、真っ先に僕のアルバムを引っぱり出した。そこには僕のもっと小さい時の写真もあった。馬鹿みたいだけど、ほっとした。どこかの病院にいる小さい時の僕。もう少し大きい僕。でも、そんな小さい時の僕の写真には、僕しか写っていなかった。パパとママが最初に写真に写っていたのは・・・あの9才の誕生日のときの写真だった。僕の両脇で、パパとママが僕を抱きしめながら満面の笑みを浮かべている、そんな幸せな瞬間。でも・・・ 「どうして・・・」僕は小さくそうつぶやいた。普通なら、ママに抱っこされたまだ赤ん坊の僕の写真とか、パパと一緒にサッカーボールを追いかけて遊んでいる小さい僕の写真とか、いろいろあってもおかしくないのに。むしろ、そういう写真があるのが普通なんじゃないの? 「なんで・・・」僕はアルバムを閉じた。不安が大きくなっていた。でも、ママに聞いてみるのがなぜか怖かった。僕の中のなにかが、「そのことを聞いちゃいけない」って僕に言っていた。 「信ちゃん、時間よ」ママの声だった。不安を吹っ切るように、僕はサッカークラブに向かった。 それから数日、僕にとっていつも通りの生活が続いた。あの夢を見たのはその数日間で2回。そんな朝はまたあの不安がよぎったけど、なるべく考えないようにしていた。それよりも、明日の僕の12回目の誕生日のプレゼントについて考えるようにしていた。今年はなにをくれるかな。ひょっとしたら、いつかみたいにまたJリーグの試合を見に連れて行ってくれるかもしれない。そんなことを考えると、僕の不安も吹き飛んだ。その夜、僕はわくわくして、なかなか寝付くことが出来なかった。 |
ブーン・・・ブーン・・・ブーン・・・ その音は規則正しく高くなったり低くなったりを繰り返していた。 ゴボゴボ・・・・・ゴボゴボゴボ・・・・・・・・ 泡の音がいつもより大きかった。 水が流れる音が聞こえた。 僕は水の中にいた。 水の中で・・・呼吸していた。 いや、口には何かが付いていた。 マスクみたいな・・・そんな物が僕の顔を覆っていた。 僕は目を開いた。 暗かった。 いくつかの赤や黄色い光が瞬いていた。 そんなような物が見えていた。 少し頭を動かすと、そういった光がふわっとゆがんで見えた。 手を胸の前まであげてみた。 こつん、と何かにあたった。 手を前に突き出してみる。 何かが僕の回りを取り囲んでいた。 ガラス? そんな感じだった。 手を横に動かしてみる。 ガラスはぐるっと僕を取り巻いていた。 僕はガラスの筒の中にいた。 水が満たされたガラスの筒のなかで、僕は顔を覆ったマスクを通して呼吸していた。 これは、なに? ここは、どこ? 僕は手でガラスを叩いた。 ドン、ドンと重い音が響いた。 僕は・・・なに? |
目が覚めた。いつもの夢ではなかった。 枕元の時計を見る。もう7時前だった。ベッドから起きあがってカーテンを開いた。外は暗かった。細かい雨が降っていた。街を重苦しい雲が覆っていた。 それは、僕の12回目の誕生日に、運命の日にふさわしい幕開けだった。 12才の誕生日なんだから、ママに起こされる前に自分でちゃんと起きよう、そう思った。 「おはよ」僕は着替えを済ませ、顔を洗って朝のリビングルームに入った。が、そこには誰もいなかった。 「ママ?」僕は呼びかけてみた。でも、返事はない。 「ママ、パパ・・・どこにいるの?」やはり返事はなかった。他の部屋を探してみる。 「信彦」急に声をかけられて、僕はちょっとびっくりした。べつに驚くことはないのに、でも、なんだか見つかっちゃいけない人に見つかっちゃったような・・・ 「パパ・・・」パパだった。あの、なんだか違和感のある声がパパだったなんて・・・今まで聞いたことがない声だったような気がしたのに。 「ちょっと、こっちへ来なさい」なんかいつもと違うパパの様子が気になった。僕はパパの後について行った。 その部屋は、お客さんとかが来たときに使う部屋だった。一応ちょっとしたテーブルセットみたいなのが置いてある。その部屋に、ママと知らない人がいた。ママは、ソファに座ってうつむいていた。 「おお、これがそうですか」知らない人が僕を見て言った。 「見事に育てて下さったようだ」なんだかうれしそうに言った。 「これ、なんて言わないで下さい。私たちの息子に向かって」パパが言う。僕?・・・僕のことで、なにかあったみたい・・・ 「いや、これはあなた方の息子などではございません。よくおわかりのはずですが?」男が言った。 (僕・・・のことだよね? 僕、息子じゃないって・・・なに言ってるの?)僕はパパとママを交互に見つめた。二人とも、僕が顔を向けると目を伏せた。 「ねぇ」僕はパパに声をかけた。 「僕・・・のこと? 僕のことでなにか話してるの?」訳がわからなかった。でも、なんだかすごく嫌な感じだった。 「お前は心配しなくてもいい」パパが言う。 「おっと、柏原さん。それは契約違反ですよ」男は手に持った紙をめくった。 「ほら、ここ。あなた方も署名・捺印されてるじゃないですか」男は書類らしき物を指で指し示した。そこには見慣れたパパとママの字が書かれていた。 「だが・・・その契約を見直す訳にはいかないのですか?」パパが男に訊ねた。 「先ほどから申し上げているとおり、それは絶対にできません」 「しかし、私達は」 「柏原さん」パパが何か言おうとしたのを男が遮った。 「あなた方、契約違反は重罪ですよ。3年前、私は十分に説明申し上げたはずです。そして、それを承知で契約し、契約金を受け取ったはずです。なにをいまさら」 「しかし・・・」パパが困惑していた。そんなパパ、初めて見た。 「情が移ったとでも言うのですか? こんなまがい物に」男は僕を指さした。 「信彦はまがい物なんかじゃないわ!」ずっと座ったままうつむいていたママが顔を上げて叫んだ。ママは泣いていた。 僕にはなんのことかさっぱりわからなかった。僕のことでなにかもめているのは確かだけど、僕には心当たりがなかった。それに・・・ 「ま、まがい物って、なに?」おずおずと僕はパパに訊ねた。 「お前はなにも知らなくていい」パパがきつい口調で僕に言った。 「おやおや、きちんと説明してあげたほうがいいんじゃないですか? あれはあなた方の息子なんかじゃなく、それどころか」 「言うな!!」今度はパパが叫んだ。 「人間でもない、人間の模造品、人間のコピー、クローンだってことをね」 「言うなあ!!」パパが男につかみかかろうとした。が、男はいとも簡単にそれをかわし、パパの腕をねじりあげた。 「申し訳ありませんが、職業柄、このようなことにも慣れておりましてね」男は顔色一つ変えずに言った。 「ク、クローンって・・・」目の前で繰り広げられているやりとりは、ほとんど目に入っていなかった。 「細胞学的に作った人間のコピー、模造品ってことだよ」男が僕に向かって言った。 僕も、それくらいは知っていた。この世に人間のコピー、クローンがいるってことも知っていた。そして、クローンには人権はなく人間として扱われないことも、人間が自分たちのいわば奴隷として、クローンを作り出しているということも。 でも、まだ一度もクローンを見たことはなかった。そして、生まれて初めて見たクローンが・・・自分だったなんて・・・ 「嘘・・・でしょ?」声が震えた。 「僕はパパとママの子なんでしょ?」膝がふるえて立っていられなかった。パパもママも顔を伏せたまま、なにも答えてくれなかった。 「僕・・・僕って・・・」涙があふれた。 「お前は紛れもなくクローンだ。3年前、この柏原さんと飼育契約を結んだ。昨日でその契約が切れたから、こうして私が引き取りに来たんだ」男がパパの腕を放した。パパも僕と同じように床に座り込んだ。 「お願い、パパ、ママ・・・嘘だって言ってよ、お願いだよ」僕はママのほうににじり寄った。しかし、男が僕の腕をつかんで引き寄せた。 「これが証拠だ」男は僕に鏡を持たせた。そして、僕の首の後ろの髪の毛をかき分けて、もう一枚の鏡で手に持っている鏡にそれを写して見せた。頭皮に数字とアルファベットが書かれていた。 「君は『2005RX1-23J9008』という個体番号のクローンだ」確かに、そこにはそう書かれていた。 「これがその契約書だ」男が僕に紙を手渡した。そこにも確かに『2005RX1-23J9008』と書かれていた。 「これでわかったろう。君は間違いなくクローンだ。そして、昨日で君の飼育期間は終了し、今日からは政府の施設に引き取られるんだ」それを聞いて、ママが泣き崩れた。 「私たちが信彦を買い取る、それでどうだ?」パパが男に言った。 「申し訳ありませんが、それも出来ない相談です。法律で飼育主と接触が禁止されていることはあなた方もご存じでしょう?」男が冷たく言った。 「僕は、どうなるの?」喉がからからだった。出来れば、夢であって欲しかった。水の中の夢もいやな夢だったけど、これはもっといやだった。そして、これは夢なんかじゃないこともわかっていた。 「君は政府の施設で点検した後、新しい所有者に売却されることになる」 「そこで、奴隷になるの?」 「奴隷という訳じゃない。ただ君は、所有者の所有物となって」 「奴隷じゃないか!」パパがテーブルを拳で打ち据えた。ガチャン、と大きな音がした。 「見解の相違というやつです。所有者が所有物をどのように扱おうが、我々は関知しませんので。何せこれは人間ではなく、物なのですから」男が何かを言う度に、僕の体から力が抜けていった。ここから逃げ出したい、と思った。 「でも、心配はいりません。所有物とはいえ、故意に生命を奪うことは法律で禁止されていますから」男が付け加えた。 「この子は物じゃない、私たちの息子だ」パパがつぶやいた。 「まだ分かって戴けないようですが、私もあまり長居している時間がありませんので」男が僕の腕をつかんだ。僕は反抗できなかった。なにがなんだか分からなくて、体が動かなかった。 「やめて!」ママが男にすがりついた。 「抵抗する場合、あなた方の身の安全は保証できませんよ」男はママをソファに突き飛ばした。ママはそれでも男を止めようとした。そんなママを、パパが後ろから抱きしめた。 「やめるんだ。確かに契約通りだ。仕方がないことだ」パパがママにそういった。ママはもう一度ソファに座り込んだ。 「信彦、隠していてすまなかった。だが、なにがあろうとお前は私たちの息子だ」パパが僕にそう言った。そして、僕を抱きしめてくれた。 「さぁ、お別れの挨拶も済んだようですし、私はこれで引き取らせていただきます」男はそう言うと、僕を引きずって家をでた。パパもママも追いかけてこなかった。僕は、ただ男に引きずられていった。 「悪いが決まりでね」僕は、男が乗ってきた車の荷台に置かれていた檻に入れられた。男は檻に鍵をかけると、車を発進させた。冷たい雨が僕の体を濡らした。 住み慣れた家が遠ざかっていく。僕の家が、パパとママがいる家がどんどん遠ざかっていく。二度とパパやママに会えないことは分かっていた。これから自分に降りかかる運命が怖かった。 車の荷台の檻の中で、僕は一人ですすり泣いた。 街を覆う重苦しい雲が、僕の心も覆っていた。 僕の・・・・・まがい物の心を、暗く、重く。 <prologue 完> |