なぞのむぅ大陸
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1988年、次世紀につながるプロジェクトとして、日本政府は極秘で人間の複製化技術、いわゆるクローン人間の製造技術開発に着手した。その翌年、おそらく世界初のクローン人間が日本国内の政府の極秘研究機関内で誕生した。オリジナルはその研究機関の若手技術者であった。最初のクローン人間は、製造コード1989RX11J0101、通称「First-1」と呼ばれた。
1990年、さらに同じオリジナルから2体のクローン(製造コード1990RX11J0102および1990RX12J0103)が製造された。これらは「First-2」および「First-3」と呼ばれ、さらにその生育環境による違いをモニタリングするために、「FIrst-2」は一般家庭に預けられ、飼育されることとなった。その生育過程は逐一監視され、研究機関内で飼育されている「First-1」や「First-3」と比較対照され、データが蓄積されていった。
1991年、もう2体のクローン「First-4」および「First-5」がさらに同じオリジナルから製造された(製造コード1991RX11J0104および1991RX12J0105)。この2体は「First-2」と同様に一般家庭にて飼育されることになった。ただ、「First-2」はあらかじめクローンとして一般家庭に預けられたが、この「First-4」および「First-5」はクローンであることは伏せられたまま、養護施設に預けられ、その事実を知らない一般家庭に養子として引き取られた。

そして2002年、政府はこれらのクローンを用いて、人体の可能性を探る実験を行うことを決定した。その実験は、これらクローンを生み出した研究機関において、複製技術開発チームの主任である浅間 弘氏の指揮のもと行われることとなった。そして、その浅間氏こそが、これらクローンのオリジナルであった。


***************

白い天井に無影灯が設置された手術室に、2つのベッドが並べられていた。それらのベッドには少年が一人ずつ横になっていた。二人の少年はよく似ていた。いや、まるでコピーのようだった。麻酔で眠っているのか、二人とも身動き一つしていなかった。しかし、その少しだけ口を開いて眠っている表情も全く同じだった。
少年達は全裸だった。そして、そこに少しだけ違いがあった。一人は色白で、もう一人は若干日に焼けていた。下腹部から太股の付け根にかけては二人ともまったく同じように白かったが、それ以外の部分は片方の不健康とも思えるような色の白さから見れば、もう片方は健康そのもの、といったような日焼け具合だった。しかし、それ以外は、体にあるほくろも、下腹部にわずかに生えている恥毛も、そして性器の発育具合もまったく同じように見えた。
薄い青の手術着に身を固めた男が5人、彼らの回りを取り囲んでいた。色の白いほうのベッドに2人、日焼けしている方に3人がついていた。やがて、それぞれのベッドで一人ずつ、おもむろに少年の、体の割にやや大きめの性器をつかみ、その根本にまばらに生えかけている恥毛を剃刀でそり落とした。そのあいだに別の者が、少年の顔をマスクで覆った。実験の準備が整った。

「それでは、クローン人間1990RX11J0102および1990RX12J0103の相互臓器交換実験を開始します」二つのベッドの中央に立った男がそう宣言した。
「よろしくお願いします」5人の男が口々にそう言った。メスが少年の体にまっすぐに入れられた。



麻酔からさめたとき、翔平は自分はもう死んでいるものだと思った。数日前、家族にこの施設に連れてこられた。そして、伏せてられていた事実、「翔平はクローンである」という事実を告げられ、そして「お前は実験に使われる」と言われた。両親は多額の現金をもらって帰っていった。もちろん、翔平を置いたまま。翔平には選択の余地は与えられなかった。それがクローンである翔平の運命だった。

まだ意識が朦朧としている翔平の回りで何人かの男がうろうろしていた。あちこちに置かれている装置から規則正しい音がしていた。男達は何か会話を交わしていたが、翔平には何を言っているのか理解出来なかった。
(気持ち悪い・・・)翔平が目覚めて最初に感じたのはそれだった。それから、痛み。体の、胸の奥の方がかき回されてるみたいな変な気持ち。回りの人たちは、翔平が目覚めたことに気付いていた。しかし、誰も気にとめようとしなかった。ただ、翔平の心臓の鼓動と同期して画面に刻まれる波形や、おそらくは翔平の脳波なのであろう複雑ないくつもの波形を気にしていた。
翔平が少しもどした。男達の一人が翔平の口の回りをガーゼで拭った。その動作からは、何の感情も感じられなかった。だた、彼らは汚れた物を拭っただけ、そんな動きだった。
翔平は体のしびれを感じていた。体を動かそうとしたが、全く動かなかった。自分の体でありながら、全く自分では動かすことができなかった。寝返りでもうてたなら、きっとこのしびれはましになる、そう思っていても、体が言うことを聞かなかった。かろうじて少しだけ首が動くのに気付いた。翔平は精一杯首を動かして、横を見てみた。そこにはもう一人誰か横になっていた。
(俺? いや・・・違う)初めは鏡が置いてあるのかと思った。だが、そうじゃない。
(あいつだ・・・ここに連れてこられたとき、会ったあいつだ。俺と同じあいつだ、俺と同じクローンだ)翔平はあのときのショックを思い出した。と、また気分が悪くなってもどした。翔平の口が拭かれる。男の中の一人が横を向いていた翔平の首をまっすぐ上向きに戻す。翔平の視界からもう一人のクローンの姿が消える。
(俺とあいつはなにかされたんだ。何かの・・・実験を)翔平の意識が遠のいていった。男達は相変わらず翔平のことなど気にせずに作業を続けていた。



実験日誌11
相互内蔵交換処置3日目にして完了。胴体部のほぼすべての臓器を交換。現在のところ、拒否反応等の兆候なし。どちらも同じ体であるため当然か。



数日間続いた痛みと吐き気が多少和らぐと、翔平は自分につなげられている計器を確認している男にいろいろと質問した。
「俺は・・・なにをされたんですか?」
しかし、男はほとんどなにも答えてくれなかった。隣のベッドに寝ているもう一人のクローン、もう一人の自分にも聞いてみた。
「君は、誰?」
「僕は1990RX12J0103」淡々とした答えだった。
「何、それ?」翔平にはもう一人の少年の答えの意味が分からなかった。
「僕の製造コード」感情のこもっていない声だった。ただ、質問されたから答えている、そんな感じだった。
「君、名前は?」少しいらいらしながら、翔平は訊ねた。
「僕は1990RX12J0103」しかし、同じ調子で同じ答えを繰り返すだけだった。
「だから、名前だよ?」
「名前って?」
「もういい!」翔平はその少年に背を向けた。



実験日誌23
内蔵交換処置後、1ヶ月。0103に軽い機能障害発生。しかし、十分予想できる範囲であり、実験に支障なし。0102には特に問題発生せず。明日以降、0102に対し第二段階の実験に着手する。



翌日、翔平は再び手術室に横になっていた。
「翔平君、だったね」手術着を着た5人の男の中の一人が翔平に声をかけた。翔平は麻酔が効き始めて少しぼんやりとしながら答えた。
「はい・・・俺はどうなるんですか?」
「君は、この前の手術でもう一人の、君と同じクローンと臓器のほとんどを交換した。つまり、内蔵を入れ替えたんだよ」
「内蔵・・・入れ替え・・・」あまりよく理解できなかった。
「そして今日、君の体に対し、次の実験を行う」
「次・・・・って?」
「他のほ乳類と内蔵を入れ替える。君は犬の内蔵を移植されるんだよ」混沌とした暗闇に意識が落ちていくなか、男の声が遠くに聞こえた。その男こそが、翔平のオリジナルであり、クローンの改造実験の責任者、浅間だった。



実験日誌32
0102から0103の臓器をすべて摘出し、元に戻す。代わりに0102には雑種の犬の臓器を移植する。拒否反応に備えて万全の体制を整える。移植手術自体は無事成功。これからの状況については逐一観察し、記録にのこすこととする。


実験日誌36
0102、なぜか拒否反応はごく軽微。犬の内蔵が人体に適合するとは思えない。0103で追試を行うことにする。0103でも拒否反応がほとんど発生しなければ、大発見というところか。



目が覚めたとき、今までのことはすべて夢だと思った。自分の部屋の、自分のベッドで目が覚めたような、ごく普通の目覚めだった。しかし、次の瞬間には夢ではないことを思い知ることになった。
隣のベッドがあわただしかった。そこにはもう一人の自分がいた。いろんな音がして、男が口々になにか言っていた。怒鳴っていた、という表現の方がただしいかもしれない、そう翔平は思った。
と、いままで規則正しく聞こえていた音が突然とぎれた。同時にけたたましい電子音が鳴り出した。男達の動きがいっそう激しくなった。翔平は直感した。あの、もう一人の自分が、今死んだのだと。



実験日誌42
0103の臓器のすべての機能が停止したことを確認。やはり、犬の臓器を移植するのは不可能であるとの結論。しかし、なぜ0102は大丈夫なのか? 全く問題なく機能しているのが信じられない。もうしばらく様子を見てみることにする。



その翌日、翔平は病室に移された。今度は隣にベッドはなかった。広い部屋の中央に一人だけで横になっていた。胸がむかむかする。自分の体が自分のものではないような、そんな気分だった。なにかが自分の体を乗っ取ろうとしている、そんな気がした。
「気分はどうかね?」あの男達のリーダー、浅間がやってきて、翔平に訊ねた。
「あ、あぁ・・・」しゃべろうとした。が、言葉が出せなかった。
「おかしいな、声帯は人間の時のままなのに」浅間は翔平に口を開かせてのぞき込んだ。
「別に異常は見あたらんが・・・もう一度しゃべってみなさい」
「あ、あ・・・な、なんか・・・」風邪を引いたときのように、喉がいたかった。
「ん、どうなんだ?」
「じ、自分の、から・・・からだ、じゃ、ない・・・み、みたい」翔平はなんとか言葉を絞り出した。
「そりゃそうだろう。人間のコピーだったお前は、いまや犬の内蔵で生きているんだからな」その男は薄笑いを浮かべて言った。
「生物学的には、今やお前は人よりも犬に近いのかもな」そして、浅間は計器の数字をいくつかチェックして、病室から出ていった。


実験日誌53
犬の内蔵をもつ人の形をした少年。この少年を少しずつ、本当の犬にしていくことにする。本部からは実験の主旨からはずれているとの指摘を受けたが、これが臓器移植の次のステップに進む鍵になるかも知れない実験であると納得させた。この実験から発見できるものがあれば、すべては正当化される。



翔平はまたもや手術台の上にいた。隣の台には大型の犬が麻酔で眠らされていた。
「今度はなにをするの?」翔平は浅間に訊ねた。
「もうちょっと犬らしくしてやるのさ。お前はどんどん人間から離れて行くんだよ」浅間は楽しそうに言った。
「嫌だ・・・もう・・・いや・・・・・だ」麻酔が効いて意識を失うまでの間、翔平はずっとそうつぶやいていた。しかし、誰も実験を中断する者はいなかった。浅間はそんな翔平の様子を薄笑いを浮かべながらずっと見ていた。

・・・・・・・・・腰がいたい・・・・・・・
目覚めかけた翔平を最初に襲ったのは腰の痛みだった。やがて、病室のベッドに仰向けに横たわった姿勢で、下半身が天井からつり下げられた器具のようなものに動かないように固定されていることに気が付いた。
浅間の手によって下半身に巻かれた包帯が解かれたき、翔平の目に入ったものはある意味予想通りだった。最悪の予想・・・包帯が巻かれた上からもなんとなくその形が想像できていたもの・・・犬の後ろ足。内蔵が、そして足が犬のものに置き換えられた。しかしそれだけではなかった。その2本の足の間に赤黒いものがあった。それは想像していなかったものだった。
「あ・・・あ・・・・・」言葉が出なかった。そこは本来、ペニスが付いているべき場所であった。そこにはいままで翔平の股間に付いていたものとはまったく別のものが付いていた。
「ふふっ、これか」浅間が笑いながら、赤黒いそれを指ではじいた。
「うぐっ」痛み? 単なる痛みではなかった。それは、なんというか・・・
「ペニスも移植してやったよ。でかくなってうれしいだろ、え?」そう言って、再び指ではじく。
「ひ、ひぐ・・・」そう、痛みだけではなかった。あの、オナニーの時の・・・
「感じるようだな。一応神経つなげといたからな」浅間はそれの先端を指でこすり始めた。
「は、ぐ、くっ」そう、先端を刺激したときのあの感じ。あの、腰がびくっとなるようなあの感じだった。
「堅くなってきたぞ。けっこううまく機能しそうだな」そして、浅間は堅く大きくなった赤黒い、翔平のペニスを、しごき始めた。
「は、いた、痛い、く・・・」まだやっと包帯がとれたばかりのその部分に与えられる刺激としては、激しすぎた。だが浅間はいっこうに手をゆるめようとはしなかった。やがて、激痛とともに、翔平の赤黒いペニスから白いものが飛び散った。
「ぐあぁ・・・」翔平は少し上半身をおこした姿勢のまま固まった。移植されたペニスを中心とした激痛に、体を動かすことも息を継ぐことも出来なかった。浅間は満足げに笑って動けないでいる翔平をそのままにして病室を後にした。
「ちゃんと拭いておけよ」病室のドアを閉める前にそう言い残していった。
そして、翔平は病室から、牢屋のようなところに移された。それは、人間から犬になった証だったのかもしれない。

それから、翔平は歩く練習をさせられた。もちろん、人間のように2本の足で立って歩くことは出来なかった。四つん這いで、手を添えながらでなければ歩くことは出来なくなっていた。毎日毎日、そのような姿勢で歩く練習をさせられた。首輪を付けられ、股間に赤黒いものをぶらさげながら、5人の研究員の見ている前で四つん這いで歩く。恥ずかしかった。
「歩くことも満足にできないのか」浅間が床にはいつくばっている翔平に言った。
「ほら、お前に先生を紹介してやる」浅間の合図で一頭の大きなセントバーナードが連れてこられた。
「こいつを見習って、ちゃんとした犬として歩けるようになるまで練習するんだ」そして、翔平はそのセントバーナードと並んで歩かさせられた。浅間に引かれながら、四つん這いのままで。翔平のプライドはずたずたに引き裂かれていた。
「何のために、こんなこと、するんですか」一度、絶えきれず、泣きながら訊ねてみた。
「そうだな・・・趣味、かな。おもしろいだろ?」それがあの男、浅間の答えだった。絶望が翔平を襲った。
「そんなことのために・・・」涙が止まらなかった。
「でも、こうして人間が犬として生きていけることがわかったんだ。君のおかげでね」浅間が首輪についたリードを引っ張った。翔平はよろけながら、その方向に歩いた。
「いずれ、外に散歩に連れていってやるからな」浅間はゆがんだ笑みを浮かべて言った。

翔平は牢屋のような部屋のすみにうずくまってじっとしていた。時々、あの5人の男の中の誰かが様子を見に来た。
「かわいそうに、先生の実験材料になったのが運の尽きだったな」そう言っていく者もいた。あのリーダーの男、先生と呼ばれた男以外は、皆、多かれ少なかれ翔平に同情を示した。時々、お菓子を差し入れてくれる者さえいた。犬のように歩く訓練を受け、人間性を少しずつ打ち砕かれ、そしてこの牢屋に戻る生活のなかで、そんなお菓子を味わう瞬間だけが、人間らしさをとどめる唯一の手段のような気がした。



いつからか、牢屋の隣の部屋にも誰かが閉じこめられていることを知った。
「誰か、誰かここから出してよ!!」そんなふうに叫んでいる声を聞いたこともあった。しかし翔平は耳を手で押さえ、聞こうとしなかった。もし、隣の部屋の誰かと話をして、そして、いつか、この変わり果てた姿を見られたら・・・それが怖かった。翔平は、自分が、こんな化け物にされた自分がここにいるということを知られたくなかった。

隣の部屋の誰かは夜毎すすり泣いていた。たぶん、その声から自分とさほど変わらない少年であろうことは想像できた。おそらく、その少年も自分と同じように、あの男達に改造されているのか、あるいはそれに似たことをされているのか、そのどちらかだろうと思った。そして、そう思うと毎日すすり泣くその少年を放って置くことが出来なくなってきた。

「おい・・・」ある日、翔平は隣ですすり泣く少年に声をかけた。
「だ、だれ?」少し驚いた様子だった。一瞬すすり泣く声がとぎれた。
「ここだよ、お前の隣の部屋」翔平はその少年がいるほうの部屋の壁に寄りかかった。。
「今日連れてこられたのか?」そうじゃないことは知っていたが、他にどういう話をすればいいのか分からなかった。
「ちょっと前」その声は明らかにおびえ、警戒していた。
「大丈夫か?」なるべく優しく聞こえるように気をつけた。
「大丈夫じゃない」相変わらずすすり泣きながら、少年は答えた。
「我慢しろ。泣いても誰も助けてくれない」翔平は、無意識にそう言ってから、はっとした。自分に対して言っているかのように感じた。
「ほら、これやるから我慢しろ」翔平は、いつかもらったお菓子の中から、小さなチョコレートのかけらを握って、牢屋の鉄格子から手を突きだした。隣の鉄格子の方に精一杯手を伸ばした。
「ほら、早く受け取れ」なかなか受け取ろうとしない隣の少年をせかした。少年はようやく受け取った。翔平は少しの間、話しかけるのを待った。少年がそれを口にするであろう時間、静かに待った。
「お前、名前は?」再び話しかけた。
「広崎 健太」ちょっと落ち着いた様子だった。
「名前だけでいい。ここじゃ名字なんて何の意味もないからな」
「じゃ、健太」
「健太か・・・俺は翔平、翔って呼んでくれればいいし」翔平は、久しぶりに人と会話したような気がした。ここでの会話は・・・人としての会話ではなかったから。
「うん。翔・・・さんはいつからここにいるの?」
「はは、さんはいらねーよ。翔でいいって」(まだ、俺、笑えるんだ・・・)自分の笑い声に驚いた。
「うん、じゃ・・・翔・・・ちゃん」なんとなく遠慮がちに、それでも警戒している様子はなくなっていた。
「はは。いつからかな、もうわかんないよ。10日か、20日か、1ヶ月か・・・たぶんそれくらい」
「お前、年いくつ?」
「僕? 12」健太が答える。
「一つ下か・・・じゃ、小学校?」
「ううん、中1」
「なんだ、じゃ、同級じゃん」翔平は少しうれしいと思った。
「そうなの?」
「ああ。俺も中1」ほんのちょっと前の、普通の生活が一瞬思い出された。ここしばらく、思い出したこともなかったあの、ごく普通の生活が。
「その・・・・翔ちゃんは・・・ここでなにされてるの?」健太の問いかけに対し、翔平は答えに詰まった。
「それは・・・」言葉が口から出てくるのにしばらく時間がかかった。
「聞かない方がいいと思うよ」小さな声で答えた。
自分がここに連れてこられてからのことが次々と頭のなかによみがえった。翔平は頭を抱えてうずくまった。健太はそれ以上なにも言わなかった。

翌日、今まで見ないフリをしていた、健太が牢屋から引きずり出されていくところをようやくちゃんと見ることが出来た。まだ、普通の人間だった。しかし・・・健太は翔平とそっくりだった。
「健太も・・・・・」翔平は小さくつぶやいた。
一瞬、健太と目が合ったような気がした。翔平はあわてて牢屋の奥に隠れた。この姿を見られたくはなかった。

それからは、健太と話をすることが、翔平にとっての生き甲斐となった。それが、翔平にとって、わずかに残った人間らしい行為だった。



数日後、翔平はまたもや手術を受けた。(今度は前足だ・・・)翔平には分かっていた。これで、胴体はほとんど犬になるんだって・・・・・
麻酔から覚めると、まず手を確認した。案の定、包帯に包まれていた。が、それだけではなかった。頭と腰の部分も同じように包帯が巻かれていた。

翔平は、あのセントバーナードと一緒に、一つの皿に盛られたドッグフードに頭をつっこみむさぼっていた。長くのびたばさばさの髪から、犬のように三角に整形された耳が見えていた。彼の犬の前足、後ろ足とは対照的な白いなめらかな体には、しっぽが生えていた。
彼のそんな姿は、もはや誰に聞いても「人間」とは答えてもらえない、かといってまだ「犬」とも言えない異様なものだった。

牢屋でぼんやりとうずくまっている翔平の耳が小さくぴくんと動いた。何かが聞こえた。耳をすましてみた。悲鳴・・・健太の悲鳴だった。痛々しい悲鳴が何回か聞こえた。そして、ひときわ大きい悲鳴のあと、なにも聞こえなくなった。やがて、隣の牢屋になにかが、おそらく健太が放り込まれた「どさり」という重い音がした。隣の牢屋との間の壁に耳を押し当ててみた。静かだった。健太のうめき声もなにも聞こえなかった。
「大丈夫か? おいっ」隣に呼びかけてみる。返事は無かった。
「おいっ、どうしたんだよ」壁を叩きながら問いかけた。かすかに物音がした。
「おい、健太、おいっ」もう一度呼びかけてみる。
「う、うぅ」ようやく、隣から声が聞こえた。しかし、やっと生きているような、そんなうめき声だった。
「死んではいないみたいだな。大丈夫か?」
「痛い・・・すごく痛い・・・」まるでうわごとのようだった。
「がまんしろ」なにが起きたのかは分からなかったけど、他にはなにも言えない。
「がまんできないよ・・・もう、死にたいよ」泣いているようだった。
「そんなこと言うな。お前はまだ大丈夫だ」訳も分からず、とにかく元気づけようとした。
「でも・・・おちんちんと金玉に釘さされたんだよ」浅間の薄ら笑いが翔平の頭に浮かんだ。あいつなら、やりそうなことだと思った。
「あ痛ぅ・・・」
「大丈夫?」
「あ・・・」そう言ったあと、しばらく健太はなにも言わなかった。なにがあったのか聞こうと口を開きかけたとき、健太の声がした。
「翔ちゃん・・・」絞り出すような声だった。
「僕の金玉に・・・輪っかがついてる・・・」声が震えていた。
「もう、やだよ・・こんなの、やだよ」健太は声を上げて泣き出した。
「泣くなって。我慢しろ」いまの健太にはきついだろうけど・・・それしか翔平には言えなかった。
「我慢できないよ。死んだ方がましだよ」
「だめだって。生きていたら、助かるかも知れないだろ?」でも、それは半分嘘のような気がした。(助かったとしても、俺は、もう・・・こんなだから・・・)口から出そうになった言葉を飲み込んだ。
「でもずっとこのままだったら・・・」
「そんなことないって。お前にはまだ助かるチャンスはあるって」(そう、お前には・・・ひょっとしたら)心の中で言った。(でも、俺には・・・・・)
「ほんとに?」
「ああ、ほんとさ」翔平はそれだけ言うと、少し考え込んだ。(本当に助かるんだろうか・・・助かったとしても、俺は、もう・・・)翔平も泣きそうになった。でも、我慢した。いまここで泣いたら、健太がもっと不安になるから・・・
「ねぇ、いつかここから逃げ出せると思う?」やがて、健太が訊ねた。
「ああ、絶対に」考え込んでいた翔平は、あわてて答えた。
「そんときは、翔ちゃんも一緒だよね?」どきっとした。(俺は・・・)
「もちろん」そう答えた。それ以外、答えようがなかった。
「絶対だよ?」少し明るい声で健太が言った。その明るさが翔平にはつらかった。
「絶対だ」翔平はそう答えた。
(でも、万が一助かったとしても、健太は俺のこの体を見たら・・・)翔平は声を出さずに泣き出した。



次の手術が行われた。翔平は浅間の指示に従って、初めて自分から手術台に上がった。はやく本当の犬になってしまいたかった。あれ以来、健太と話をするのも辛かった。そして、翔平の顔にメスが入れられた。

包帯をはずすと、そこには異様な顔があった。犬のように整形された鼻と口、でも、目は人間のままだった。
(化け物だ)翔平はそう思ったが口には出せなかった。声帯が切除され、もう人間の言葉を発することができなかった。
(少なくとも、もう、人間じゃないな・・・)翔平の目から涙がこぼれ落ちた。

「翔ちゃん・・・」健太が隣の牢屋から話しかけてきた。
「翔ちゃん?」何度も翔平を呼ぶ。しかし、今の翔平にはその呼びかけに答えることはできなかった。
「いないの?翔ちゃん」翔平も健太と話したかった。だが、もう言葉は話せなかった。かろうじて出せるのは、うなり声だけだった。健太にそんな声は聞かれたくなかった。
「翔ちゃん・・・・・」ため息混じりに呼びかけた後、健太は二度と翔平に声をかけなかった。

そして、翔平は最後の手術を受けた。



麻酔がさめた翔平の目の前に、獣が横たわっていた。白いなめらかな体に、前足と後ろ足が付いていた。髪の毛の間に三角形の耳があった。犬のような鼻と口、そして、しっぽ。それは動かなかった。目は開いたまま、瞬きもしていなかった。かつての自分の体・・・変わり果てた自分の体、すでに冷たくなっている自分の体を見ていた。
浅間が翔平の首輪についたリードを引いた。翔平は引かれるまま、歩いた。白い毛に覆われた前足が左右交互に動くのが見えた。

久しぶりに外に出た。明るい日差しの中、翔平は浅間と一緒に歩いた。人が行き交う街の、道に面したショーウィンドウに今の自分の姿が写った。そして、二人・・・いや、一人と一頭は、ペットショップに入った。
「このセントバーナードを手放したいんだが・・・引き取ってもらえないかな?」浅間が店員と話すのが聞こえた。翔平は「待て」の姿勢で彼らの会話を聞いていた。


数日後、ペットショップの店頭で、一頭のセントバーナードが飼い主を求めて売りに出されていた。その犬の目は、なぜか知的な光をたたえていた。
<episode 2 完>




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