なぞのむぅ大陸
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2015年ごろから各地で発生したクローン排斥運動は、一部がKKKを模したCCCなる組織で過激な活動を行うなど、大きな社会問題となっていった。2016年、政府はこれらの声に押し切られる形で新規クローンの制作を禁止した。しかし、人々のクローン排斥感情はすでに大きな流れとなっていた。
2017年、人間の尊厳回復を掲げて首相となった若き日民党の党首は、クローン廃止にむけて本格的に動き出した。クローン保護団体の激しい非難は、大多数の国民の声にかき消された。そして、ついに2017年末、クローン廃止法案が議会に承認され、2018年4月、その一部が施行された。政府の許可証を持ったクローン以外は、即刻処分されることとなった。

そんな中、必死に生きるクローンもいた。戦う者達もいた。しかし、一国を相手に生き延びることは至難の業だった。
クローンは確実に消えていった。消え去る運命の中で、もがく彼らに希望はなかった。




その小さな個人病院の医師は、各方面で大きな信頼を得ていた。街の人たちからは、「腕のいい先生」と、医師会からは次期理事に推挙されていた(当の医師はそれを断ったが)。いずれは市議会に、との声もあった。この地方都市だけではなく、全国的な組織からも、委員にとの誘いや研究会の主査にとの話もあったが、彼はそのすべてをことごとく堅辞していた。「私はそんな器ではない」と、「私は一介の町医者である」と。

しかし、そんな彼が、唯一属する全国的な組織があった。非合法な地下組織・・・クローンを密かに救済する組織、その組織の中で、彼は中核をなす存在であった。

彼は、元々一体のクローンを所持していた。彼ら夫婦はそのクローンを息子として、自分達の本当の息子となんら分け隔てなく扱った。自分たちの長男として愛した。もちろん、彼らの本当の息子も、そのクローンを兄として愛した。
が・・・そのクローンは数年前、クローン狩りにあい、惨殺された。

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世の中が怪しい方向に進んでいるから、あまり夜は出歩くな、そう言われていた。でも・・・今日は、今日だけは特別だった。お母さんの誕生日、僕を引き取ってから、ずっと本当の息子のように愛して育ててくれたお母さんの誕生日、予約しておいた誕生日のケーキを受け取りに行った帰りだった。プレゼントをあれこれ探し歩いているうちに、いつの間にかすでに暗くなってしまっていた。
ケーキとお母さんへのプレゼントを抱えて、僕はなるべく早足で歩いた。小走りに走りたい気分だったけど(クローン狩りにあうのを恐れるよりも、早くお母さんの喜ぶ顔が見たかったから)、ケーキが崩れるから、それは出来なかった。

公園は迂回しようと思った。でも、ここを突っ切ったらだいぶ近道だし・・・明かりも点いているし、大丈夫だろう、僕は公園を突っ切ることにした。

公園を斜めに突っ切ろうとした僕の前に、4人の男が立ちはだかった。一人は手にバットを持っていた。僕の心臓が縮み上がった。クローン狩りだ・・・逃げなくちゃ、そう思ったけど体が動かなかった。バットを持った男が、それを構えた。トスバッティングのように、それをスイングした。ただし、ボールではなく、僕の顔面に向けて・・・だけど。

気が付いた時、真っ暗だった。いや、ゆっくり周囲を見回したら、さっき見た明かりも点いている。でも、なんだかサングラスでも通して見ているみたいに暗かった。体を起こそうとして、激痛にうめいた。何かが胸からこみ上げてきた。吐いた。よく見えない目でも、それがなにかはすぐに分かった。血・・・それも大量の。
うめきながら、僕はなんとか四つん這いになった。ゆっくりと回りを見渡した。誰もいなかった。ケーキの箱がつぶれていた。お母さんへのプレゼントが・・・・・弟とお金を貯めて、二人で出し合って買った時計が落ちていた。体の痛みをこらえて、そこまで這っていった。文字盤のガラスが砕けていた。それを拾って耳に当ててみた。何の音もしていなかった。

きっと心配してる、帰らなきゃ・・・四つん這いの姿勢から、なんとか立ち上がろうとした。足がなんだか言うことを聞かない。骨、折れてるんだろな。痛みに耐えて、なんとか立ち上がって・・・また吐いた。そして、めまいがして・・・・・・・・・・



そのクローンは、発見された時にはすでに死んでいた。つぶれたケーキの箱を抱え、壊れた時計を握りしめたまま、うつぶせに倒れていた。大量の血を吐いたようだった。

時計の箱は、すこし離れたところに落ちていた。クローンを襲った者達に踏みつぶされたらしく、白い箱に靴の跡が付いていた。箱の中から、彼が母親に贈るつもりだったメッセージカードが見つかった。
「お母さん、いままで育ててくれてありがとう」
母の誕生日に、母にあてた感謝のメッセージが、そのまま遺言となった。

クローンの父親である医師は、死体を解剖し、実験に用いるという書類を警察に提出し、死体を貰い受けた。クローンの死体はいわば生ゴミと同じような扱いをされる。持ち主が引き取ることも原則禁止されている。医師は、解剖、実験という名目でしか、息子の死体を引き取ることすらできなかった。

医師と、医師の家族の心の中に、激しい憎悪が燃え上がった。が、それをどこにぶつければいいのかわからないまま月日は過ぎていった。


その日、医師は急患を診察した帰り道、車であの公園の前を通りかかった。何かを見たような気がした。医師は車を停め、公園に入った。誰かが倒れていた。クローンだった。そのクローンを狩っていた者たちの姿はすでになかった。
「おい、大丈夫か、おい」医師は倒れているクローンに呼びかけた。クローンはその声に反応し、うっすらと目を開けた。
「安心しろ、私は医師だ。助けてやる、安心しろ」医師は、車にとって返し、助手席に積んであった治療道具が入った鞄を持って、再びクローンの元に駆け戻った。
やがて、応急処置を施したクローンを車に乗せ、医師は病院へと戻った。
クローンは一命を取り留めた。

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兄さんと一緒に僕は公園にいた。お父さんに、公園でクローン狩りが行われているという情報が入ったから。僕と兄さんは、そのクローンを助けるために、公園に向かった。情報通り、公園では数人の男が集まって、地面に倒れている者を足蹴にしていた。
兄さんが彼らに割って入った。兄さんがそいつらとにらみ合っている間に、僕は地面に倒れたクローンを抱き起こす。二人のクローンが頭から血を流していた。
「お前ら、邪魔すんなよ」クローン狩りのリーダーらしき奴が兄さんにすごむ。
「ほぉ・・・お前もクローンじゃねーかよ。一緒に狩られたいらしいな」角材を持った奴が手元の装置を見ながら言う。兄さんはなにも言わない。
「殺すぞ、てめぇ」じりじりと3人が距離を詰める。僕は二人のクローンを彼らからなるべく離れたところに運ぶ。兄さんは3人とすでに戦っていた。心配はいらなかった。案の定、程なくけりがついた。
「行こう」兄さんがクローンの一人を抱える。僕はもう一人に肩を貸した。

お父さんに助けられてから、しばらくは動くことも出来なかった兄さんは、その後、ずっとここに残って、お父さんの手伝いをすることになった。僕の本当のクローンの兄さんが殺されてから、お父さんはクローンを助ける仕事を始めていた。それは、今の時代では非合法なことだった。クローンを殺すことが合法で、殺されそうになっているクローンを助けることは非合法な時代だった。こんな時代じゃなかったら、本当の兄さんはきっと殺されずにすんだと思うし、兄さんも殺されそうになったりはしなかったと思う。でも、お父さんはクローンを助けることが人の道だと信じている。もちろん、僕も。そうして、僕等は何人ものクローンを助けた。いつの間にか、お父さんはクローンを救済する地下組織のなかでも有名な存在になっていた。お父さんは他の組織とも連絡を取り合い、クローン救済のための、地下組織のネットワークを作り上げた。そして、お父さんの病院の地下は改装されて、そこに何人かのクローンが保護されるようになった。この病院は密かに「駆け込み寺」って呼ばれるようになった。

その日、僕等が助けたクローンのうち、年上の方は足を骨折していた。そして、もう一人、僕より年下と思えるクローンは、病院にたどり着くなり意識を失った。目立った外傷はないみたいだけど、お父さんの様子から、かなり深刻な状況であることが分かった。お父さんはその少年を手術することにして、僕とお母さんに手伝いをするように言った。

普通の患者さんの手術なら、ちゃんとした助手の先生がつくんだけど、クローンを助けるのに、そういう人の手を借りることは出来なかった。中にはクローンを助けていることを知っていて、手伝いをしたいと言ってくれる人もいた。でも、お父さんはそれを断った。法を破るのは、我々だけでいいから、と。

僕は、その少年の服を脱がせ、首から下げていた小さなロケットをはずして脇の机の上に置いた。すると、それまでモニターから聞こえていた音が聞こえなくなった。ロケットをもう一度少年の胸の上に置く。すると、また音がする。それはクローンの認識信号の有無のモニターだった。つまり、この少年のクローン認識チップは、首に埋め込まれているんじゃなくて、このロケットから発せられている、ということ・・・僕はそれをお父さんに伝えた。
クローン認識チップは、通常延髄付近に埋め込まれていて、手術で取り出すことはほぼ不可能だった。ホテルやレストランなんかには、そのチップに反応して、クローンが店に入ろうとすると警告するシステムがある。クローン狩りの奴らが持っている装置もそいういうやつ。だから、その装置が反応したということは、すなわちそいつはクローンということになる。だから、あいつらは兄さんがクローンだってことも分かった。でも、この子は・・・お父さんが首の後ろを調べてみたけど、認識番号の刻印も、認識チップを取り出した手術の跡もなかった。お父さんは、この子はクローンじゃない、と結論付けた。
一緒にいたもう一人のクローンに、それとなく聞いてみたけど、彼はなにも知らないようだった。2週間くらい前に知り合って、それから一緒にいたけど、その前の話はなにもしなかったらしい。ただ、年齢は11才だということだ。僕より2つ下。そんな子が、クローンでもないのに認識チップを身につけ、殺されそうになって・・・なんとか助けてあげたいと思った。

お父さんの手術は無事成功した。やがて、少年は話が出来そうなくらいまで回復した。お父さんが最初に尋ねたのは、やっぱりあのことだった。
「なぜ、クローンじゃないのに、クローンのふりをしていたんだ?」
少年はなにも答えなかった。僕には、それを尋ねる前から、きっとこの子はなにも言わないだろうってなんとなく分かっていた。
「どういう事情があるのかは分からないが、自分の命を粗末にするな。生きたくてもそれが出来なかったクローンがたくさんいるんだから」お父さんはそう言うと、僕に部屋から出るように言った。その後、二人きりでなにを話したのか、お父さんは教えてくれなかった。


お父さんの病院には、すでに4人のクローンが居着いていた。助けたクローンの中の多くは、全国のクローン救済組織のどこかに引き取られ、そこで他のクローンを救う手助けをしていた。でも、どの組織も目立つ行動は出来ないから、それほど多くのクローンを受け入れることは出来なかった。そんなわけで、引き取り手のいないクローンについては、病院の地下を改造した部屋で、僕等家族が面倒を見ていた。兄さんは、同じクローンであるということで、彼らのまとめ役だった。時々、お父さんのところに入る情報を元に、クローン狩りにあっているクローンを助けに行った。クローン狩りと戦うために、武術の練習もした。そして、クローンを助ける。こうやって、どんどん病院でかくまうクローンが増えていった。

あの、クローンのふりをしていた少年と、彼といっしょにいたクローンも病院の地下にいた。少年の方は相変わらずなにも言わない。でも、お父さんもなにも言わずに彼を住まわせていた。他の誰とも口をきこうとせず、毎日部屋の隅でうずくまり、ときどき他のクローン達を見つめていた。クローン達には、その目つきが気に入らないらしい。でも・・・僕には、なんとなく悲しい目のように思えた。

僕等の行動はいうまでもなく違法なものだった。いつまでも今のようにうまくは行かない、ずっとそう思っていた。世の中のクローン排斥の動きが激しくなるにつれて、そしてそれに伴ってクローン自身が身を守るために行動に出るようになるに従って、そういうクローン達や、他のクローン救済組織が少しづつ摘発されるようになった。正直、お父さんがいつ捕まってもおかしくない、そんな状況だった。そんな状況であることは理解しているつもりだった。

でも・・・いざ、その日が来ると・・・・・

クローン狩りに立ち向かうのは怖くなかった。鍛えてたし、兄さんがいつも一緒だったから。
でも・・・警察が病院に来たとき、僕の足はふるえていた。

「こちらにクローンがかくまわれているとの情報がありましてな」お父さんよりかなり年上と思える、その刑事らしき人は、病院の玄関でお父さんにそう告げていた。僕は、横に立ってその話を聞いていた。
「ここは病院です。怪我をした方は分け隔てなく治療するのが我々の使命です」お父さんは堂々としていた。
「それは、かくまっていることを肯定されている、と判断してもよろしいのですかな?」刑事らしき人は、服の内ポケットから手帳を取り出した。それをめくる。
「息子さん、クローンだという話も聞いておりますが」心臓をぎゅっと掴まれた気がした。
「ここにいるのは全員患者です。彼らについて、我々には責任があります。彼らには指一本ふれさせるわけには行きません」お父さんは冷静に答えていた。僕のように怖がってはいなかった。
「クローンは人ではない、物なのですよ?」
「命あるものすべてが私たちの患者となり得ます。どうしても、というのなら、正式に手続きをしてからにしてください」お父さんが、刑事に一歩近づいた。それは、もう帰れという意志表示であることが僕にもわかった。
「わかりました。それでは令状を申請した上で、改めて伺うこととします。そのときは、覚悟していただきますよ」そう捨てぜりふを残して、刑事は早足で玄関から去っていった。僕はしばらくその背中を見つめていた。お父さんが僕を呼んだけど、その背中から目が離せなかった。
僕の肩にお父さんが手を置いた。なんとなくびくっとした。
「大丈夫だ、心配するな」お父さんは笑顔でそう言った。



「俺達がここにいると、先生達に迷惑がかかる」みんなが地下の部屋に集まっていた。昼間の出来事、ここがついに警察の知るところになったってことは、もうみんな知っていた。
「ああ。彼らがはっきりつかんでいるのは俺だけだ。だから、みんなはここを出て、別の組織と接触してほしい」兄さんは、みんなの真ん中で話をしていた。
「お前はどうするんだ?」あの子と一緒にいたクローンが兄さんに聞いた。
「俺は・・・出頭する」
「兄さん・・・」僕は思わず座っていた机から飛び降りた。がたん、と大きな音がした。
「殺されるぞ」別のクローンが大きな声をだす。
「それで済むのなら、それでかまわない」兄さんは表情を変えずに言った。このあたりの意志の強さ・・・なんだかお父さんとよく似ている。血のつながりはないのに、血がつながっている僕よりも、よく似ている・・・
「でも」誰かが言った。
「父さん、母さんには、もっとたくさんのクローンを救ってやってほしいと思う。もし、今警察に捕まったら、それが出来なくなる」兄さんは、みんなを見渡しながら言った。
「他のたくさんのクローンが助かるのなら・・・」兄さんがそこまで言った時だった。
「甘いよ」聞いたことのない声がした。あの少年だった。いつものように部屋の隅で座り込み、他のクローン達を見上げていた。
「なんだ、お前・・・」誰かがあからさまに不快な声を上げる。
「甘いって言ってるんだよ」少年は座ったまま言った。そう言えば、この子の声聞くの、初めてだ・・・
「あんたが出頭して、それで済むなんて本気で思ってるの?」顔を上げた。その目からは、彼の感情は読みとれない。
「あいつらが探しているのはクローンだ。俺が出ていけば」兄さんは、その少年と向き合った。
「奴らはここが駆け込み寺って呼ばれていることに気が付いている。奴らのねらいは、クローン救済組織そのものなんだよ。あんたなんか、そのためのきっかけにすぎないんだよ」少年は立ち上がり、兄さんに近づきながら言った。
「あんたが出頭したら、あんたの命を取引の条件にして、あいつらはあの人達に組織について知っていることをしゃべらせる。そして、組織をつぶす。そんなことくらい、分かってるだろ?」あの子は兄さんをにらみつけた。なんだかよくわからないけど、力を感じた。少年の冷静な声に、この場の雰囲気は痛いくらいに張りつめていた。
「だけど・・・」おずおずと言った僕の声はふるえていた。
「逃げんなよ」少年の一言が、その場の空気を引き裂いたような気がした。
「なんだと・・・お前なんかに・・・俺達クローンの気持ちがわかるかよ!!」少年の後ろで、彼と兄さんのやりとりを見ていたクローンが立ち上がって言った。少年が、そのクローンの方に振り向いた。
「わかんないよ! だから、クローンのふりしたんだよ!!」少年も大きな声を出した。
僕は思わす二人の間に入った。この場でもめ事は起きて欲しくなかった。そして、その少年の手を引いて、その場から連れ出した。兄さんがあとから追いかけてきた。

「・・・なにがあったんだ?」病院の屋上で、兄さんがあの少年に尋ねた。僕は、フェンスに寄りかかっている二人のすぐ近くのベンチに座ってそれを聞いていた。
「俺の親は、俺の兄さんを殺した」なにも言わないだろうと思っていたから、少年が答えたのが意外だった。その内容も意外だったけど・・・
「兄さんはクローンだってことだけで両親にじゃまにされて、殺されたんだ」兄さんがクローン・・・僕の胸がきゅっと押さえつけられたような感じがした。兄さんは黙っていた。
「俺は、兄さんがどんな辛い目にあったのか、知りたかった。だから、クローンのふりをした」僕の本当の兄さんは・・・お母さんの誕生日に殺された。涙が出そうになったけど、僕はこらえた。
「物心ついた時には、兄さんはもういなかった。でも、俺を優しく抱いてくれたのはかすかに覚えている。俺を愛してくれているのを感じたことを、かすかに覚えてる」少年の声が震えていた。泣いていたのかもしれない。僕にはその少年の顔は見えなかったけど・・・兄さんになら見えているはずだった。
「家族だったのに・・・・・あいつらは」少年がフェンスから体を離して、兄さんに向き合った。
「あんた、先生たちの家族だろ? だったら、辛いこと、家族で一緒に立ち向かえよ」やっぱり泣いていた。
「あんただけ出頭したら、家族はどんなに辛い思いをするか、わかってるの?」兄さんの腰のあたりのシャツを両手でつかんだ。そして、頭を兄さんの胸に押し当てた。
「だって、あんた、こいつの兄さんだろ、家族だろ?」少年は兄さんにしがみつきながら、僕の方を顎で指した。僕は立ち上がって、二人に近づいた。
「家族だったら一緒に逃げろよ。逃げて、生き延びろよ。それがクローンのためになるんじゃないの?」唐突に、僕にはわかった。きっと、この子の兄さんは、僕の兄さんと同じタイプのクローンだったに違いない。急にこの少年が小さく、弱く見えた。考えてみたら、僕より2つ年下なんだったっけ・・・
兄さんが、自分にしがみついている少年の肩に手をかけた。
「いつか・・・いつか、必ず、俺がこの世界変えてみせるから」絞り出すような声で少年が言った。
「クローンが普通に生きていける世界に変えてみせるから」兄さんの体に顔を押しつけて、少年は言った。
「10年かかるか、20年かかるか30年かかるか分からないけど、必ず変えてみせるから」そして、少年は兄さんから離れた。
「だから、それまで生きて」
「わかった」兄さんはそれだけ言うと、その少年を抱きしめて、その後屋上から降りていった。
僕とその少年は、それからしばらく屋上にいた。二人ともなにも言わずに、屋上から見える夜の景色を見つめていた。



夜明け前、クローン達は数人ずつのグループに分かれて、それぞれが旅立っていった。
そして、クローン達を見送った後、僕等は病院の裏口に立った。次は、僕等が旅立つ番だった。
「先生、ありがとう」少年がお父さんに手をさしのべた。
「すまん、こんな形で君たちと別れることになるなんて」お父さんは、そう言いながら、その手を握った。
「いえ、先生のおかげで、自分がなにをやりたいのか、なにをやるべきなのかが分かりました。感謝してます」そして、お父さんに頭を下げた。
「君にも感謝してるよ」僕に向かってそう言った。
「感謝?」心当たりがなかった。
「君たちが俺たちを助けてくれてなかったら・・・あのとき死んでなかったとしても、きっと今のような気持ちにはなれなかったと思う」
「今の気持ちって?」
「家族は大切だって気持ち。たとえ、兄さんを殺した家族でもね」本当に、この子は僕より年下なんだろうか・・・
「ずっとお兄さんを大切にね」そう言って、彼は笑った。初めて笑顔を見た。僕より年下の少年の笑顔だった。
「もちろん」そう言って、僕の方から手を差し出した。
「負けるな」そう言いながら、手を握ってくれた。
「君もね」
「大丈夫さ。俺にも兄さんがいるから」彼はそう言って、傍らに立つクローンのほうを振り返った。
彼は、兄さんとはなにも話をしなかった。ただ、お父さんよりも、僕よりも長く握手をしていた。

「それじゃ」
彼ら二人は、僕等の前から去っていった。おそらくもう二度と会うことはないだろう。
僕等も、家族4人で病院を後にした。二度と戻らない覚悟で。
「兄さん・・・いつか、また会えるかな?」誰のことかは言わなくても分かっているはずだった。
「わからない・・・でも、たぶん、きっと」前を見たまま、兄さんは答えた。
「本当に、俺達が普通に生きられるようになったら、そのときは、きっと・・・」
奇跡を望むのはむなしいことだ。それは嫌というほど思い知らされていた。でも・・・僕等はあの少年を信じていた。彼ならきっと、僕等の未来に光を灯してくれるということを信じていた。

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彼らがその後どうなったのか、誰も知る者はいなかった。クローンを助ける医師がいるとの噂を耳にしたこともあったが、それが彼らなのかどうか、確かめるすべはなかった。

2019年は冷たい雨の中で始まった。
それと同時にクローン廃止法が全面施行された。それまで生き残っていたクローンは、発見され次第、無条件で処分されていった。


そして2021年、政府は地上からクローンは消え去ったとして、クローン全廃宣言を行った。

<episode 6 完>





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