なぞのむぅ大陸
10万Hit記念作品
〜 武 広〜
小さい頃、私には人の心が読めた。はっきり分かる、というものではなく、何となく分かるという程度だったが。それでも、いわゆる勘のようなものではなく、その人の考えていることが私の頭にイメージとして浮かび上がった。幼少時には、誰にでもあるものなのかも知れないが、いままでそういう能力があったと言う者には出会ったことがない。だから、私もこの能力のことを人に伝えるのは初めてだ。 私は一人っ子として、両親の愛情を一身に受けて育てられた。その愛情に嘘はなかった。もちろん、ただ溺愛するのではなく、時には厳しく叱られたりもした。私もよくいたずらをしたものだから、両親は時々お仕置きとして、庭にある物置に私を閉じこめた。真っ暗な、天井の小さな穴からかすかに光が漏れてくる、そんな物置の中で小さい私はふるえている、いたずらをしたことを後悔していると両親は思っていただろう。 しかし、である。私にとって、その物置は怖い場所ではなかった。なぜなら・・・一言で言うのは大変難しいのだが、そこにいると、誰かの心が私の中に入ってきた。それは私に対する愛であふれていたのだ。その愛は、私を包み込む無条件の愛だった。しかし、その愛情の主は、すでにそこにはいなかった。それは残り香とでも言うべきものでしかなかった。 私には、その主に心当たりがあった。それが誰なのかは知らなかった。しかし、その胸に抱かれた感触、そのとき感じた私への愛情、慈しみ・・・母の胸で感じた愛情とも、父の腕の中で感じた愛情とも異なる、物置の残り香と同じ愛だった。幼少時代のかすかな記憶の中に、それはあった。 しかし、その愛情の主について、両親に尋ねることはタブーであることを私は知っていた。 私に当時備わっていた能力、人の心を感じることが出来る能力で、愛情の主について、両親の心を探ってみたことがある。しかし、そこは暗い霧が覆っていた。当時の私は恐ろしくて、それ以上踏み込めなかった。いや、一度だけ踏み込んだことがあった。が、その霧の先は、堅牢な壁で覆われ、私の能力は完全に遮断された。なにがその先にあるのか・・・恐ろしい事実であろうことは想像できた。だから、当然私はそのことについては両親の前で、いや、誰の前でも一切口にしなかった。 そんな堅牢な壁が、ほんの一瞬崩れたことがあった。あれは・・・2017年の初め、父がテレビでニュースを見ていたときだった。テレビでは、ちょうどこの国の新たな最高権力者の所信表明演説を中継していた。彼は、この国の最高権力者は、クローンの根絶を声高に宣言していた。父がその宣言を聞いた瞬間、あの壁が一瞬完全に取り払われた。 ほんの1、2秒のことだったと思う。その短い時間に、私の中に数年分の父の記憶がなだれ込んできた。それこそ、津波のように、である。私の意識はそれを遮断するすべもなく、すべてを受け入れてしまった。そして知ってしまったのだ。あの愛情の主が誰であったのか、そして、父が、母が、彼にどのような仕打ちをしたのかを・・・"兄"の気持ちを踏みにじる、「死ね」の2文字を・・・ 硬直したかのような私を、父はいぶかしげに見ていた。父は普段通りだった。私は適当に言葉を濁してその場を離れた。手のひらから血が流れていた。あの父の記憶の波の中で、いつの間にか私は拳を思い切り握りしめていた。伸びた爪が手のひらに食い込んでいたのにも気付かずに・・・ ただ、それを知ったからと言って、私は両親を責めることは出来なかった。私に対する愛情の深さが、血のつながりのない"兄"の排除という形に結実したのだから・・・ その後、私は兄の真実を知るためにあれこれと調べ回った。もちろん、通常の手段で手に入れることができる情報からは、兄はいっさい存在しないことになっていた。当時、まだ8才だった私は、すでにインターネットを駆使し、そのころ活動し始めていたクローン救済組織にコンタクトした。今にして思えば、まだ8才の子供によくそんなことが出来たものだと思う。しかし、私は当時から大人びていた。確かに級友と一緒にいると、同い年とは思えないとよく言われた。級友の母親にも、「武広ちゃんは、お兄さんみたいね」と言われたものだ。海外の人権擁護機関が、我が国のクローン虐待についての資料を保管していることを知ると、私はその機関と接触するために英語を覚えた。コンピュータの勉強をし、ハッキングプログラムまで作った。それで政府のスーパーコンピュータにアクセスできてしまったのだから、大したものだ。いや、決してほめられる行為ではないが。これが別の方面でなら・・・両親は、きっと天才と私を自慢したことだろう。しかしながら、私はすべてを秘かに行った。痕跡を残さないよう最大限の努力をした。確かに、あのとき私は持てる能力をすべて発揮していたのかも知れない。兄の面影を求めることが、いかに私にとって重要だったのか、それで分かって戴けるだろう。 それらはすべて、ほんの1年程度の間にやったことである。2018年の半ばには、私は兄が確かに存在していたことを知っていた。父の記憶を裏付ける確証も得ていた。兄に対し、聞き取り調査を行った政府の役人の名前と現住所まで特定できていた。 私は、兄のことを知った。兄が死ななければならなかった理由もほぼ解明できた。が、どうしてもわからないことがあった。クローンとして生き、クローンであるが故に死に追いやられた兄の"気持ち"である。どうしてもそれが知りたかった。私はある手段をとることにした。そのために、ある組織と接触し、クローン認識チップを入手した。 私は家を出た。まだ9才の私は、すでに残りの人生を、クローン保護に費やす決意を固めていた。しかし、いくら大人びていたとはいえ、所詮子供、世間を知っているとは言える状態ではなかった。 家を出てすぐ、私は食べ物さえ手に入らない状態に陥った。公園で眠り、川の水を飲んだ。家を出たことを後悔しなかったといえば嘘になる。でも、戻るつもりはなかった。 そんな折り、一人のクローンと出会った。彼は私に食べ物を与えてくれた。なにも聞かなかった。ただ、年齢だけ聞かれた。当時まだ9才の私は、なぜか11才だと答えた。たぶん、9才と言っても信じてもらえないと思ったからだろう。 それからしばらく、私は彼と行動をともにした。しかし、すでにクローン廃止法が部分施行されており、クローンと知れると殺される、そんな中で、私はクローンとして生きた。入手していたクローン認識チップをロケットの中にしまい、首から下げていた。クローンとして迫害され、クローンとして日々生きることを体験することで、少しでも兄の気持ちを知ることが出来れば、と思ったのである。 しかし、やはり私は甘かった。クローン狩りに遭遇した。 殺される・・・と思った。彼らの意識が私の中に入ってきた。しかし・・・そこには憎悪はなかった。あるのは、たとえば小さな子供が昆虫の羽をもぐのと同じような、単なる"遊び"の意識だった。もちろん、罪悪感もなにもない、安っぽい、子供っぽい感情だった。これが人を殺そうとする者の意識なのか・・・私は愕然とした。そして、絶望した。この国に将来はないと感じた。 そんな私を救ってくれた者がいた。薄れた意識の中で、誰かに担がれていたことを覚えている。そして、気がついたときに私のそばにいたのが先生だった。 先生は、クローンの保護にその生涯をかけていた。私がクローンではないことは、すでに気が付いていた。初め、先生とその息子が私のそばにいた。先生の質問に対し、私がなにも答えないでいると、先生は息子を部屋から出し、私と二人きりになった。そして、先生のもう一人の息子について、話してくれた。クローンを息子と呼び、そして、その息子のために涙を流した。私は、初めてこの世界で信用するに足る人物に出会ったと確信した。私はすべてを話した。兄のこと、両親のこと、そして、自分のこと。先生はなにも言わずに聞いてくれた。そして、最後に言った。 「私たちと一緒に生きよう。クローンの自由のために生きていこう」と。私は、初めて人前で涙を流した。 そんな彼らも、やがて警察に摘発された。先生は、家族とともに病院を捨てた。そして、クローン救済組織で何人ものクローンを救った。しばらくの間は先生の動向を探ることが出来た。しかし、やがて私のアンテナから、先生は姿を消した。先生と奥さん、クローンの兄と、人間の弟。今、彼らはどこでどうしているのか・・・私にはもう、知るすべはなかった。 そんな彼らとの出会いは、私の一生を左右するものだった。先生の息子として、家族の一員だったクローン、先生の亡くなった最初のクローンの息子と同じように、先生に愛された息子。彼は、私の兄と同じタイプのクローンだった。私はずっと、もし私の兄が生きていたら、こんなふうになっているのかと思いながら、そのクローンを見つめ続けていた。彼の前でなら、素直になれた。泣くことも出来た。彼の弟がうらやましかった。彼らには、家族としてずっと一緒にいて欲しかった。 そして、私はこの国を変えることを決心した。彼らのために、そして、私の兄を含む、すべてのクローンのために。 あれから早くも40年近い歳月が過ぎ去った。私はいま、こうしてこの国を動かす立場にある。この立場になって、初めて国を変えることの難しさを知った。が、ようやくそれを成し遂げる日が来た。 私の前にある、たくさんのテレビカメラ。今、私はそれらの前に歩み出ようとしていた。手元に原稿はない。言いたいことをまとめた原稿は、私の頭の中にあった。すべて、私自身の言葉で語りたいと思った。 そして、その時が来た。 私はカメラに向かって話し始めた。クローンの復権と、彼らに対して国が犯した過ちの謝罪を、すべての国民に向かって語りかけた。 ようやく、約束を果たせたよ・・・カメラに向かって、カメラの向こうでおそらくはこの宣言を見つめている、数少ない生き残ったクローンに対し、そして、その中に必ずいると信じている、先生達に向かって私は心の中で語りかけた。きっと・・・きっと伝わったと思う。私の気持ちが。 兄さん・・・・・やっとこの日が来たよ。長かったけど・・・ようやくここまで来たよ。 喜んでくれるよね、兄さん。 きっと、喜んでくれているよね・・・・・兄さん・・・ 2056年、政府はすべてのクローンに対し、過去の過ちを認め、謝罪した。クローン全廃宣言から35年が過ぎ去っていた。 <Seven Stories 完> |