1. 電車の駅からバスに乗ってもう30分くらい走り続けている。
風景は街から畑に変わり、それが今は山の中だ。山道の途中にたまに小さなお店らしき建物があるが、その数もかなり減ってきている。もちろん、歩いている人なんていない。
バスの乗客は僕等3人を除けば二人だけ。年配の男女のたぶん夫婦らしき人達。大した荷物も持っていないところから、たぶん地元の人なんじゃないだろうか。僕等はバスの一番後ろの席で景色を見ている。そんなに都会というわけじゃない街に住んでいる僕等にとっても、この景色は新鮮に感じる。でも、さすがに何もない山道だけでは飽きてきていた。
そんな山道を更に10分ぐらいバスは走る。
「あっ、あれ」
タイキが窓の外を指さした。僕はその方向を見る。道の脇に大きな看板が立っている。そこには僕等が目指している旅館の名前が書かれていた。
旅館のパンフレットに書かれていた停留所でバスを降りた。でも、一見辺りには何もない。
「ホントにここで合ってんだよな」
タグが周りを見回しながら言う。僕はリュックからパンフレットを取り出して、停留所の名前を確認する。
「合ってるよ。間違いない」
パンフレットによると、この停留所から少し先に行って、小さな道を左に入るらしい。僕等は荷物を抱えて歩き出した。
「まあ、確かに穴場って感じはするけど」
タグは温泉好きだ。今回も柔道の大会が終わったということで、その骨休みって感じでみんなで遊びに来ることにしたんだ。
旅館はタグのお父さんが手配してくれた。中学生だけで泊まることについても、タグのお父さんから話を通しておいてくれている。そんなタグのお父さんは旅行代理店に勤めている。だから、なのかどうかは知らないけど、そこは初めて聞く温泉地、いわゆる穴場らしい。
やがて、道が二股になっているところに差し掛かる。もちろん左に曲がる。と、さっきまでは木々に覆われて何も無いように思えたところに、大きくはないけどけっこう立派な建物が現れた。
「とうちゃ〜く」
僕とタイキの言葉がシンクロした。家を出てから4時間近く。僕等3人はようやく目的地に到着した。
建物の中は、いかにも旅館って感じだった。古いけど、手が掛かっているような作り。歴史がありそうな建物だ。部屋に案内されて、女将さんが挨拶に来る。
「田口さんのお父様にはお世話になってます」
どうやらタグのお父さんのことを知っているらしい。夕食の時間を決めて、お風呂の説明とかを聞く。旅館の周りを散策するのもいいけど、あんまり山の方に入るとイノシシが出るから気を付けろ、とか。
女将さんが部屋から出て行くと、早速タグが浴衣に着替えてタオルを手に取った。もう準備万端、温泉に入りたくてうずうずしている。そんなタグの温泉好きを知っている僕とタイキも急いで浴衣に着替える。そして、3人で大浴場に向かった。
「はぁ、極楽極楽」
タグはかけ湯をした後、いつものセリフを吐きながら温泉に浸かる。
「おっさんかよ」
僕もかけ湯で体を流しながらいつものように突っ込む。いつものお約束のやり取りだ。湯に入り、タグの横に並ぶ。僕とタグはかけ湯をして温泉に浸かる派だけど、タイキは体を洗ってから温泉に浸かる派なので、まだ体を洗っている。
「はぁぁ」
タグが唸りながら、腕の筋肉をもみほぐしている。ようやく体を洗い終えたタイキも湯に入り、僕の横に並んだ。
「割といいお風呂だね」
タイキが見回しながら言った。三日月みたいな形の大きな湯船。高い天井は木で出来ているみたいだ。三日月の先端部分に扉があって、その向こうは露天風呂になっている。
「ちょっとヌルいかも」
タグはそう言うけど、熱いお湯が苦手な僕にはちょうどいい。これならゆっくり入っていられそうだ。
「外行こ、外」
タグが立ち上がって湯船の中を扉の方に進む。湯に浸かったばかりのタイキと僕も少し遅れて後を追う。扉を開くと、岩風呂風の露天風呂があった。周りは山の木々そのままで、壁とか衝立みたいなもので囲われていない。
「いいねぇ」
露天風呂好きの僕にとっては、この開放感はかなりの高得点だ。ここは温泉街じゃないのでこの旅館だけ。だから目隠しも必要ないってことなんだろう。
「コバ、こういう露天風呂、好きなんじゃね?」
タイキが言った。
「うん。いい感じ」
僕は露天風呂の縁の岩に立った。2メートルくらい間があって、その向こうはもう木々が茂っている。少し体を左右に揺らして木々の向こうを透かし見たが、何も見えそうにない。
「ここ、入って奧まで行ったらどうなるんだろ」
「山だろ。最終的には山越えて向こう側に出るんじゃない?」
タグがマジに答える。
「コバ、行けっ」
タイキが僕の後ろに立っていた。
「やだよ。裸だぞ」
露天風呂に戻って浸かる。
「ってことは、山の向こうからここまで来れば、ただでこの温泉に入れるってことか」
タグが言う。まあそうなんだろうけど、そんなこと誰もしないだろう。
「イノシシ出るって言ってたでしょ」
タイキが露天風呂に浸かりながら言った。何となくそれを合図にして、僕等3人は露天風呂の中に3人並んで浸かって、木々の奥の方を見つめた。
その後、僕等は内湯に戻った。もちろん、イノシシは出なかった。僕とタグは体を洗い、もう一度3人でお湯に浸かって部屋に戻った。
「飯だ、飯」
タグはこういうときには元気だ。山の中の旅館なので、やっぱり山の幸が中心のメニューだ。それにタグのお父さんが追加で牛ステーキを一人ずつに付けてくれていた。食べ盛りの中学生のことをさすがよく分かってる。
山の幸中心ってことで、少し物足りないかなぁ、なんて思ったけど、実際食べてみると意外と美味しいし、量もあった。僕とタイキにとってはこれで充分だ。でもタグは最後におひつの中のご飯を全部平らげて、ようやく腹八分目ってとこだ。体が大きいってのもあるし、柔道やってるからってのもあるだろうけど、毎度こいつの食べっぷりには驚きを超えてあきれさせられる。食事の片付けに来た仲居さんもおひつが空になってるのに驚いていた。
夕食の後、もう一度、お風呂。今度はさっきの大浴場とは違う、家族風呂に行った。よくある時間毎に予約が必要な奴じゃなくて、空いてたら、1時間単位で自由に入れるという風呂だ。誰も入っていなかったので、僕等3人で家族風呂に入る。大浴場や露天風呂よりは狭いけど、それでも普通の家のお風呂に比べたら充分な大きさのお風呂と、小さな洗い場が付いている。湯船は四角くて、縁の部分は木で出来ている。さっき大浴場で洗ったばかりなので、3人ともかけ湯だけで入った。3人で一緒に入っても全然余裕の大きさだ。ここもお風呂場の奥の手すり越しに、山の木々が見える。見晴らしがいいというわけにはいかないけど、普段はなかなか見られない森を感じることが出来るのは少しいい気持ちだ。手すりの所に行って、森を眺める。木々を抜けてくる風が気持ちいい。温泉&森林浴って気分だ。
「ああ、いいなぁ、ここ」
僕はこういう雰囲気が大好きだ。手すりの上に組んだ腕を置き、顎を乗せる。タグとタイキはお風呂の縁に座っている。
「後でもう一回ここ入ろうかな」
さっき仲居さんに聞いたところ、今日泊まっているのは僕等の他には3組しかいないらしい。そのうち2組は露天風呂が付いてる部屋に泊まってるらしいので、この家族風呂を使うのは僕等ともう一組だけだろう。結構好きな時間に好きなだけ入れそうな感じだった。
「夜中とか星空に風の音とかいいかもな」
タグが言う。
「またお前らしくないことを」
基本柔道で生きてるタグだけど、実はたまにこんなことを言ったりすることがある。それは僕もタイキも分かってる。それに、ホントは甘えたな奴なんだってことも。
「いいだろ、星とかきれいそうじゃんか」
「否定はしてない」
僕とタイキがハモった。こういうやり取りも、まぁお約束みたいなものだ。
「電気消せないかな」
タイキが家族風呂の扉を開けて、その向こう側でスイッチを探す。と、灯りが消えた。
「おぉ」
外はすでに真っ暗。森の中には灯りは一つも無かった。そして、夜空。暗い木々の遙か上にいくつもの星がきらめいている。こんな景色、僕はこれまで見たことがなかった。
「凄いね、星」
3人が手すりに並んで空を見上げた。
「いいなぁ・・・」
星。風の音。そして、お湯の音。普段の生活とはかけ離れた世界に僕は浸っていた。
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