なぞのむぅ大陸
10万Hit記念作品
<第3部>
「あなたが逃がしたのは明白なんですよ、浅間さん」浅間は、研究所の自室で男に尋問されていた。 「彼らの足取りはすでにつかんでます。捕まるのも時間の問題です」男が冷たい声で浅間にささやいた。(まるで、蛇だな)浅間はそう思いながら聞いていた。 「ようやく、ここであなたがなにをされていたのか、暴く時が来ました」浅間がこの男に捕らえられるとしたら、それは2度目だった。1度目は、ちょっとした秘密漏洩がきっかけで・・・しかし、浅間は即日釈放された。そして、この男は左遷された。 「また飛ばされますよ、警部さん」浅間は落ち着いていた。 「なにせ、私には・・・」浅間が不適な笑みを浮かべながら言いかけたところだった。 「残念ながら」少し大きな声で、警部がぴしゃりと言った。 「今回、証拠が揃い過ぎているんですよ。ここから警備システムを解除したのも記録されています。あの物達の足跡もこの窓の外に残っていました。今回は、私も出世のチャンスだと思ってますよ」警部は蛇のような目で言った。そして、浅間のデスクに両手をつき、浅間の方に顔を寄せた。 「ここでなにが行われていたのか・・・国民は興味津々なんですよ」そして、男は浅間に背を向けた。 「あとでまたお目にかかります。そのときまでに、本当のことを話していただくか、あるいは覚悟をお決めになるか、考えておいて下さい」男は部屋を出ていった。 「ふっ・・・一介の警部ごときに何ができる」浅間はそうつぶやいた。 「食えない男だ」警部は廊下を早足で歩いていた。そこに若い男が近づき、彼に耳打ちした。 「そうか。あの家の近くにすべての捜査員を集中させろ。今度は絶対に見失うなよ」 「はっ」若い男は走り去って行った。彼らは、すでに2度、クローンを見失っていた。しかし今度こそは・・・クローンを処分するのは簡単だった。が、男の目的は浅間だった。浅間がこれまで研究と称してやってきたことを暴くために、あのクローンは生きたまま捕らえる必要があった。 「今度は・・・俺が笑ってやる」浅間が釈放された日、署内ですれ違いざまに笑った浅間の顔を思い出していた。 「ねぇ・・・本当に行くの?」もう一人の僕が声をかけてきた。僕は振り返った。彼は、僕の3mくらい後ろに立っていた。 「なにしてんだよ、行くに決まってるだろ、早く歩けよ」僕は少し興奮気味だった。見慣れた景色、慣れた道・・・僕の気持ちは高揚していた。もうじき、パパとママに会える、そう思うと走り出したいくらいだった。 「でも、僕等を探してる人たちも、同じこと考えてるんじゃないの?」彼は僕に比べると落ち着いていた。 「同じことって?」僕はいらいらしながら彼に尋ねた。なにも心配することなんかないのに、家にたどり着けば、きっとパパとママが助けてくれるのに。 「だから、君の家に向かうってこと。君の家の前で待ち伏せしているんじゃないの?」それを聞いた瞬間、今までずっと気になりながら、でも、気にしないようにしてきたことが、心の表面に浮かび上がった。そうだ、そうだった。あいつらも、僕がここでパパとママに育てて貰っていたことくらいすぐに分かるはずだ。もし僕が奴らなら、途中で捕まえようと苦労しなくても、家の前で待っていればいいんだ・・・そう思うと、今まで奴らに見つからずにここまで来られたのも納得がいった。というよりも、僕等はここに来ることだけを考えて、毎日食べ物を手に入れることだけを考えて、全然そんなこと気にもかけてなかったけど、研究所の人に捕まえられずにここまで来られた方がおかしいよ。そうだ・・・奴らは、きっと・・・・・ でも、パパとママなら・・・・・ 「パパとママがきっと助けてくれるよ」きっとそうなる、という自信はすでになかった。 「パパって人と、ママって人、人間なんでしょ?」 「もちろん」 「じゃ・・・人間は人間の味方なんじゃないの?」もう一人の僕は、きっとその言葉が僕の胸に突き刺さるなんて思いもしないんだろうな・・・胸が苦しくなった。 「パパとママは・・・」僕の味方だ、そう言いたかった。"なにがあろうとお前は私たちの息子だ"パパがそう言って僕を抱きしめてくれたことを思い出した。パパとママは人間だけど、きっと今も僕のことを思ってくれているに違いない、そう思った。でも、パパとママは人間だから、僕のことなんか忘れて、今は幸せに暮らしているんじゃないか、とも思った。そんなところに僕が戻って、そして研究所の人や、警察がやって来たら・・・僕等を助けることは、法律違反なんだ。そうなったら、パパとママは犯罪者だ。 パパに会いたい、ママに会いたい・・・会って、僕のこと、今でも息子だと思ってくれているのか聞きたかった。僕のこと、助けてくれるのかどうか聞きたかった。でも、きっと会えば、もし今も僕のことを息子だと思ってくれていたとしたら、パパとママもきっと警察に捕まる。もし、もう僕のことなんか忘れていたとしたら・・・それでも、そんなパパとママの前に僕が現れたら、きっと迷惑がかかる。僕はどうすればいいんだろう・・・僕は、パパとママに会うべきなんだろうか、会わないべきなんだろうか・・・・・・・ 「僕は・・・どうすればいいと思う?」もう一人の僕に聞いてみた。 「このまま別のどこかに行こう」もう一人の僕は言った。 「でも・・・もうそこなんだよ、あと5分も歩けば、家なんだよ?」涙が出てきた。 「じゃ、行けば。僕は行かないけど。行って、捕まればいいよ」そう言って、もう一人の僕は僕に背を向けて歩き出した。 「待ってよ、ねぇ」僕は彼を追いかけた。背中に手をかけて、振り向かせた。 「君は君だ。好きにすればいい」彼が僕にそう言った。 僕等はまた電車に乗っていた。持っていたお金で買える一番遠いところまでの切符を買った。他にはほとんど誰も乗っていなかった。 あれから僕は決心した。パパとママがどう思っていようと、あの家には帰らない、と。 駅までまっすぐ戻れば15分くらいのところを、あちこち角を曲がって回り道をして、2時間くらいかけて戻った。その間、ずっと後ろを気にしていた。何人かの人がいた。いままで気にならなかったけど、急にその人たちがあの研究所か警察の人に思えた。ぐるぐる歩き回って、同じ人がついてきていないことを確認して、僕等は駅に戻った。そして、この街から離れた。たぶん、2度とこの街には来ることはないと思った。 見慣れた風景が、車窓の向こうを流れていく。それを見ていたら、涙が出てきた。 「何で泣いているの?」もう一人の僕が聞いた。僕のことを心配しているような感じじゃなかった。 「うるさい」話したくなかった。 「なんでだよ」彼には遠慮がなかった。僕の中に、急激に憎悪がわき上がった。この、研究所で育って、研究所の中しか知らないクローンなんかに・・・・・ 「お前なんかに、僕の気持ちが分かってたまるか! お前みたいな・・・」クローンなんかに! そう言いかけて、僕は愕然とした。自分だって、クローンのくせに。彼と同じクローンのくせに・・・ そして、彼が冷たく追い打ちをかけた。 「当たり前でしょ、僕は君とは違うんだから」そう、あいつと僕は別の存在・・・でも、あいつと僕は同じなんだ。同じ、クローンなんだ・・・ 「そうだよ、だから・・・黙ってろよ」僕はそうつぶやいた。それから、二人とも口を開かなかった。 僕等が降りた駅の前には大きな広場があった。今日は公園を探さなくてもいいな、そう思った。僕等は無言のまま、その広場の茂みの方に向かった。すでに日が暮れてきていたから、今日はそこで寝ることにした。 「逃がしただと?」警部は部下に向かって大きな声を出した。 「何のために、見張りを付けていたんだ?」男の声がますます大きくなる。 「あんな人間のできそこないの一つや二つ、なんで見張ることもできないんだ!」男は壁にむかって拳をつきだした。ガン、と大きな音が他に誰もいない廊下に響いた。 「すぐに探し出せ。見つけ次第、処分しろ」 そして、警部は走り去る部下の背中を見つめながらつぶやいた。 「浅間の思うつぼってことか・・・くそ!!」握ったままの拳に血がにじんでいた。 |
ブーン・・・ブーン・・・ブーン・・・ その音は規則正しく高くなったり低くなったりを繰り返していた。 ゴボゴボ・・・・・ゴボゴボゴボ・・・・・・・・ 泡の音がいつもより大きかった。 水が流れる音が聞こえた。 僕は水の中にいた。 水の中で・・・呼吸していた。 いや、口には何かが付いていた。 マスクみたいな・・・そんな物が僕の顔を覆っていた。 僕は目を開いた。 暗かった。 いくつかの赤や黄色い光が瞬いていた。 そんなような物が見えていた。 少し頭を動かすと、そういった光がふわっとゆがんで見えた。 手を胸の前まであげてみた。 こつん、と何かにあたった。 手を前に突き出してみる。 何かが僕の回りを取り囲んでいた。 ガラス? そんな感じだった。 手を横に動かしてみる。 ガラスはぐるっと僕を取り巻いていた。 僕はガラスの筒の中にいた。 水が満たされたガラスの筒の中で、僕は顔を覆ったマスクを通して呼吸していた。 目を凝らしてみた。 向こうに同じようなガラスの筒があった。 そして、その中には・・・・・・・ 僕がいた。 いくつものガラスの筒の中に、何人もの僕がいた。 何人もの僕が、一斉に顔をあげて、僕を見た。 |
僕は飛び起きた。夢だった。びっしょりと汗をかいていた。隣では、もう一人の僕が、寝息を立てていた。僕は大きくため息をついた。そして、また眠ろうとした。 右手を頭の下に差し込む。左手で右の脇を抱え込むようにする。これが僕にとって、一番眠りやすい姿勢だった。少しうとうとしたときに、もう一人の僕が寝返りを打った。その気配に僕は目を開けた。目の前に、彼の背中があった。彼は右手を頭の下に差し込んでいた。左手は背中で隠れて見えなかったけど、間違いなく右の脇を抱え込んでいるはずだった。僕は慌てて姿勢を変えた。そして、眠ろうと努力した。 それから数日、僕等は今までのように過ごした。一カ所には留まらず、いつも寝場所を替えた。でも・・・前には気にならなかったことが気になって仕方なかった。僕と同じ仕草をするもう一人の僕。何気なく唇を触る癖、髪の毛をかき上げる仕草、なにもする事がないと、指のささくれだった皮をむしる癖・・・ 虫酸が走った。僕は僕で、あいつはあいつなのに・・・なぜ、同じなんだろう・・・クローンだから? クローンは、同じ物だから? じゃあ、同じ物がなくなったら、僕は僕だけでいられるの? そんな疑問が頭をよぎった。僕は僕、彼は彼。当たり前なのに・・・当たり前じゃない。だから、クローン? だから、人間に嫌われたの? 本来、生物は一つ一つ個であって、同じ存在は無いはずなのに、でも、人間は自分たちの身勝手で同じ存在をいくつも作って、そしてそれを嫌って処分して・・・ 僕等は一体なんなの? 今更だとは思ったけど、人間の身勝手さに腹が立った。僕は僕なのに・・・でも、あいつがいる限り、僕は僕じゃない、僕は僕等なんだ・・・ そして、その朝は、どんよりと重い雲が垂れ下がっていた。 朝からいやな予感がした。研究所を逃げ出してから初めて雨に降られそうだった。このままここにいても、雨をしのぐ場所はない。僕等はまだ人気のない街を、目立たずに雨宿りができそうな場所を探していた。 あれからずっと、僕は考えていた。クローンって、いったい何なんだろう、と。 同じ顔、同じ仕草のあいつと僕。でも・・・人間にも、双子ってのがいる。僕が通っていた学校、いや、僕がまだ自分が人間だと思っていた頃に通っていた学校にも双子はいた。クラスが違ったから、話したことはないけど・・・彼らはクローンって呼ばれていた。でも、彼らはクローンじゃない。彼らは・・・彼らと僕等の違いは・・・・・ 「縁(えにし)」なんだと思う。彼らは、同じ顔、同じ仕草をしていてもクローンじゃない。同じ遺伝子情報で作られた体であっても、彼ら二人の中には血のつながりと、家族という縁がある。 僕等はどうなんだろう・・・同じ核から作られた同じ存在の二人。あんまりよく知らないけど、たぶん遺伝子的には双子の彼らより、僕等の方が近いんだと思う。でも・・・僕等に血のつながりはあるんだろうか。同じ血は流れている。それは間違いないと思う。でも、僕等には縁はない。家族という絆もない。ただ、何のつながりもない、同じ存在が自分とは別に居るだけ。それがクローン・・・ 「ひとりぼっちなんだ・・・」急にひどく寂しくなった。どんなに自分と全く同じ存在が近くにいても、所詮クローンはひとりぼっちなんだ。なんのつながりも、縁もないんだ、クローンには・・・・・ それに気が付いたとき、僕は衝動的に死のうと思った。この世に一人だけ、他の誰かとなんの縁もない僕、そんな僕に存在する理由があるのか、存在しなければならない理由があるのか・・・そんな僕が死んだところで、悲しむ人なんて誰もいない。 でも、僕は死ななかった。生きることで、何かが、僕が生きる理由が見つかるかも知れない、いつか、僕にも縁ができるかもしれない、いつか、僕も人間と同じように、他の人を好きになったり、誰かに好きになってもらったりできるかもしれない、そんなことも思ったから。でも、それは所詮夢だと思う。僕等クローンにとって、生きることさえ難しい今の世の中で、そんなことが出来るのか・・・結局、僕は死ねないんだろう。誰かに・・・人間に処分される以外の方法では。 生きたい・・・それが僕の生きる理由なんだろうか・・・だとしたら、あいつはなんで生きているんだろう。 「ねぇ・・・」"聞いちゃいけない"そう心の中で声がしていたけど、僕はその声を無視した。 「なに?」まるで、機械のように愛想がない。 「なんで・・・生きてるの?」おずおずと僕は尋ねた。 「なんでそんなこと聞くの?」彼が聞き返してきた。 「ぼ、僕等クローンが生きていることに、どういう意味があるのかなって思って・・・」予想外の質問に、僕はしどろもどろになった。答えたあと、僕は唇を触った。そして、彼も口を開く前に同じことをした。 「生きてる意味なんてないよ」急に耳をふさぎたくなった。でも、間に合わなかった。 「僕等は、作られたから生きてるだけだよ」分かっていた。本当は分かっていた。彼がこう答えるのを、そして、クローンに生きる意味なんてないってこと、本当は分かっていた。僕の中の何かが音を立てて崩れていった。景色が灰色に見えた。 アスファルトの地面にぽつりと雨粒が落ちてきた。それは小さな黒いシミを作って、すぐに消えていった。雨が降り出した。 僕等は狭い路地の奥で小さくなって雨に打たれていた。かまわなかった。どうせ、生きる意味のないクローンなんだから、どうせ、作られたから生きているだけのクローンなんだから・・・ あれから僕等はなにも話さなかった。すっと僕は涙を流していた。べつに泣いていた訳じゃない。でも、涙が止まらなかった。雨が降っていてよかった、と思った。もし降っていなかったら、またあいつに何で泣いているのか聞かれるかもしれなかったから。 僕はなんで泣いているんだろう・・・人間だった、いや、自分がクローンであることを知らないまま、人間のつもりで生きていた頃のことをずっと思い出していた。あの頃と今、僕は何も変わっちゃいない。なのに、今、こんなにも生きるのが辛いなんて・・・あのころに戻りたい、切実に思った。あのころに戻れたら、パパとママと一緒に、どこか外国にでも逃げて・・・そんなことばかり繰り返し繰り返し考えていた。僕がクローンじゃなくなるにはどうしたらいいのか、首のところの手術をしたら、あの番号は消せるのかな、頭に埋め込んであるっていう認識チップは手術ではずせるのかな、あるいは自分の首の後ろをナイフか何かで切ったら取り出せるのかな・・・首の後ろをさわってみても、そういうのがありそうな感じはしなかった。きっと、もっと奥の方に埋め込まれているんだろう、やっぱり自分じゃ無理なのかな。 そして、また、あの家を思い出す。クローンであることを知る僕。男に突き飛ばされるママ、「こんなまがい物に」あの男の言葉、そして、車の荷台に乗せられる僕・・・そこでまた、もっと前の幸せだった頃の思い出に戻る。ぐるぐる、ぐるぐると思い出が頭の中で回っていた。 「食べ物ないの?」突然、あいつが僕に聞いた。思い出の輪の中にいた僕は、一瞬なにを言っているのか分からずに、ぼんやりと彼の顔を見つめた。 「お腹が空いたよ、食べ物は?」彼が僕の顔を見つめながら、もう一度言った。僕はなにも言えなかった。 彼はしばらく僕の顔を見つめていたけれど、やがてあきらめたのか、また視線を落として黙り込んだ。 僕はゆっくりと立ち上がった。彼の食べ物を手に入れるために。 あの路地でぼんやりしている間に、すでに夜が迫っていた。そんなに長い時間、僕はあのころの記憶の輪の中にいたんだ・・・自分の中の時間と、外の世界の時間の流れに違和感を感じた。冷たい雨の中、商店街にもほとんど人はいなかった。ずぶぬれでとぼとぼと歩いている僕を見ると、みんな目をそらして避けて通っていた。適当なお店で、果物を手に取る。店のおばさんがうさんくさそうな目で僕を見ていた。僕は手に取った果物を元の場所に戻した。別のお客さんがやってきた。2つ3つと手に取って、店のおばさんと店の奥に入っていった。僕はさっき手にしたのをつかんで、そのまま歩き出した。少し離れてから走り出した。後ろの方で声がしたような気がするけど、僕はそのまま走った。 「ほら」彼に盗んだ果物を差し出した。彼はなにも言わずにそれを受け取ると、一人で食べ始めた。僕がその様子をずっと見ていると、彼は口に運ぶ手を止めた。 「君の生きる意味、知ってるよ」急に彼が言った。 「え?」一瞬、何を言っているのか分からなかった。顔の前に垂れている髪の毛をかき上げた 「ほら、昼間言ってたクローンが生きる意味。君には生きる意味がある」彼も同じように髪をかき上げた。 「生きる意味、僕に?」僕は彼に尋ねた。知りたかった、僕の生きる意味。 「そう。君は・・・」 「僕は?」 「僕に食べ物を持ってくるために生きているんだ」 本気で殺そうと思った。僕は彼に殴りかかった。彼の上に馬乗りになって、そして彼の首に両手をかけた。その手に体重を乗せようとしたその時、下から見上げる彼の目を見て僕は固まった。冷たい目だった。でも、その奥に憐れみがあった。彼は僕のことを憐れんでいる・・・・・ 「そうして殺せばいいよ。僕を殺せば君は一人だ。この世に生き残った、たった一人のクローンだ」冷たい声で、いつもと変わらぬ口調で彼は言った。 「黙れ!」僕は叫んだ。体が動かなかった。僕を憐れむその目が、僕を動けなくしていた。 「何人ものクローンが人間に処分された。君はこうして僕を処分することで人間になりたいんだ」 「違う!」今まで、こいつはこんなことは言わなかった。でも・・・心の奥で、僕を憐れんでいたんだ。 「じゃ、なぜクローンが生きる意味なんて考えるの?」僕の下から僕を見上げたまま言った。 「クローンはただの作り物なのに」こいつはクローンでありながら、人間として生きたことがある僕を憐れんでいたんだ。人間として生きることを知ってしまった、ただの作り物である僕を。 「違う!!」認めてしまうことはできなかった。 「同じ人間からいくつも作られる複製なのに」 「違う!」認めてしまいたかった。でも、僕にはできなかった。 「君のその心もまがい物なのに」『まがい物』という言葉が僕の心に痛く響いた。あのとき、あの男に言われたことが蘇った。 「黙れ!」僕はぎゅっと目をつぶった。彼の目から、彼の憐れみから逃れたかった。 「作り物に、生きる意味なんてないのに」彼の声が僕を追いつめる。 「お願い・・・・黙ってよ」声が震えた。心がきしんでいた。 「作り物は作り物なんだよ、人間になんてなれないんだよ」諭すような、優しい口調だった。そんな彼の言葉は、僕の心の真ん中に深く深く突き刺さった。 「違う、違う、違う!!」僕はかぶりをふった。 「コピーはコピーなんだよ」耳をふさぎたかった。 「僕は、僕は・・・」目を開けた。いつの間にか、僕は泣いていた。 「君は、僕と同じ作られた物なんだよ」そして、彼は小さく、優しく笑った。 怖かった。 彼の優しい目が怖かった。初めて見る彼の優しさが怖かった。クローンであることを、作られた物であることを諭すように僕に言う彼が怖かった。 いや、違う。 彼が怖いんじゃない。彼が言っていることを、本当は認めている自分が怖かった。受け入れてしまう自分が怖かった。これが・・・僕等、クローンの生きる理由、存在する理由・・・・・クローンであることが怖かった。 ひび割れていた僕の心が砕け散った。 「僕は、オリジナルだぁぁぁぁ!!」 彼の首に手をかけたまま固まっていた体が反射的に動いた。体重を腕にかけた。腕にすべての力を込めた。彼は全く抵抗しなかった。そのまま、僕はうめいた。ずっと、ずっと僕はそうやって彼の首を絞め続けた。そしてうめき続けた。彼の目から光が消えても、僕はずっと彼の首を絞め続けた。 僕の心の中から、彼の声が消えるまで、ずっと、ずっと、ずっと・・・・・ 夜の街に冷たい雨が降っていた。重苦しい雲が街を覆っていた。 一人の少年が街を歩いていた。いや、さまよっていた、という方が正しかった。ふらふらとした足取りは、少年が自らの意志で歩いていないことを物語っていた。 彼は何事かつぶやいていた。つぶやきながら、何かに蹴躓いて、水たまりの中に倒れ込んだ。 少年は力無く立ち上がった。そして、また、ふらふらと歩き出した。 「僕は・・・・・オリジナルだ・・・・・」 そうつぶやく少年の背中は小さかった。やがて、少年は夜の闇の向こうに消えていった。 冷たい雨が降り続いていた。夜の街は何事もなかったかのように、ひっそりとすべてを覆い尽くした。 <episode 7 完> |