理由(わけ)
【陽輔編】

1

公彦と一緒に歩いている。
学校の帰り道、僕等はいつも一緒だ。帰り道だけじゃない。僕と公彦の家は近いから、朝も一緒だ。いつも、公彦は家の前で僕を待っている。そして一緒に学校に行く。一緒に学校から帰る。僕等は仲のいい友達。親友って奴だ。

と、僕は思ってる。
公彦がどう思ってるのかは知らない。たぶん、僕と似たようなことを思っている、と僕は思ってる。

そんな僕等の関係が、最近少し変わった。
いや、変わったのは僕だ。僕の気持ちが変わってきている。でも、それを公彦は知らない。知るわけがない。だって・・・僕は・・・

そのきっかけ。それは、オナニーだった。
僕がオナニーを始めたのは、中1の時だ。きっかけなんて覚えてない。ただ、ちんこが固くなって、なんだか少し痛いみたいな変な感じになって、握ってたら・・・イった。
(これって・・・これが、オナニー?)
オナニーは知識としては知っていた。あくまで知識として。それまで具体的なやり方は知らなかった。だから僕は誰かに教えてもらったとかじゃなくて、自分でそのやり方に気がついた。
それから毎日、オナニーしている。1日も欠かさずに。インフルエンザにかかった去年の冬でも、僕はオナニーは続けていた。そうだ、その日だ。その日に、僕の気持ちに変化が起きたんだ。

その日、インフルエンザで学校を休んで薬を飲んで寝ていた。薬を飲んだらすぐに熱は下がったけど、まだしばらく学校に行くのはダメだって言われてた。
その日の夕方、公彦がお見舞いに来てくれた。もちろん、僕と会って話すということは出来なかった。公彦が来てくれていることは、玄関でお母さんと話をしている声が聞こえていたから分かっていた。それから二階に上がってくる足音。ドアをノックする音。
「陽ちゃん、大丈夫?」
公彦の声だ。
「うん、もう大丈夫」
ドア越しに答える。
「おばさんが部屋には入るなって言うから、ここにお見舞い置いとくね」
物音。何かが僕の部屋のドアの外側を擦る音。
「僕、インフルエンザって罹ったことないんだけど、どんな感じ? 風邪みたいな感じ?」
外から公彦の声がする。
「うん、めっちゃ風邪って感じ」
「なにそれ」
「うん、風邪の激しい版、みたいな」
そこまで言って口を閉じようとしたけど、これだけだと公彦が心配するかな、と思った。
「でも、薬飲んだら一発で熱下がった」
「へぇ」
「凄いよ。ホント、特効薬」
「へぇ・・・なんだっけ、タ・・・」
「タミフルとかって奴かな。たぶん」
「へぇ・・・」
「まだ少し学校休むけど、もう全然大丈夫」
「よかった」
また物音。公彦が立ち上がったようだ。
「じゃ、僕、帰るね」
「うん、ありがと」
「早く・・・学校来てね」
「うん」
そんな他愛のない会話。そして、僕は眠る。夢の中でさっきの会話を繰り返す。夢の中では公彦はこの部屋に入ってきていて、僕の横に座っている。
僕のちんこがむずむずする。ちんこを握る。心臓がドキドキしている。熱がまた上がったんだろうか。ちんこもまだむずむずしている。少し頭がぼんやりする。扱く。扱く。扱く・・・
「公彦」
小さな声でつぶやいた。つぶやきながら僕はイった。イってしまった。
その時、初めて僕は公彦のことが気になるんだって気がついた。その時は、まだ公彦が好きなんだってことには気がつかないフリをしていた。公彦で抜いたことに罪悪感を感じた。次の日も、僕は公彦で抜いた。

その翌日から僕は学校に行った。明日から学校行くって公彦には伝えてあったから、いつものように公彦が家の前で僕を待っていてくれた。いや、家の前じゃない。公彦の家と僕の家の真ん中くらいまで、公彦が僕を迎えに来てくれていた。
「なんでこんなとこで待ってんの?」
「だって、病み上がりだから、なにかあったらって心配だったし」
「誰が病み上がりだよ」
「病み上がりだろ、陽ちゃんは」
確かにそうなんだけど。
「だったら僕を労れ」
すると、公彦が手を差し出した。僕はその手を握った。
「違〜う」
分かってる。僕は鞄を公彦に差し出した。
「全く」
そう言いながら、公彦は僕の鞄を持ってくれる。
「冗談だって」
今度は僕が公彦に手を差し出した。
「いいよ、持ってやるって」
「いいって。そんな病人じゃないんだから」
でも、公彦は僕の手をかわす。そのまま走り出す。
「おい、走んなって」
僕は追いかける。しかし、流石にインフルエンザで学校を休んでいた直後のダッシュはきつい。途中で立ち止まり、荒い息を吐く。
「大丈夫?」
公彦が戻ってきて僕の背に手を当てる。僕はそのまましゃがみ込む。
「大丈夫?」
公彦もしゃがみ込んで、僕の顔を覗き込む。僕は公彦の手を見る。その手から鞄を奪い取って、走り出した。
「あ、こら、待てよ」
だけど、実際、今はダッシュはきつかった。立ち止まった僕に公彦が追いついた。
「無理すんなって」
本当に心配そうな顔をした。
「ほら」
僕に背を向けてしゃがんだ。
「学校まで背負ってやるって」
そこまできつかった訳じゃない。でも・・・
僕は公彦の背中に掴まった。そして、そのまま前に体重を掛けた。
「お、おい」
公彦が地面に突っ伏した。
「そこまで弱ってねーよ」
そんな公彦を見下ろして、僕は笑った。
「この野郎」
僕は公彦に手を差し出す。その手に掴まって公彦が立ち上がった。
「大丈夫だから、そんなに気ぃ使うなって」
僕はさりげなく公彦の肩に手を回した。

あの時から、僕は公彦のことをはっきりと意識するようになった。それは心の中でどんなに否定しても、どんなに言い訳してもごまかせるものではなかった。あのときの公彦の手、背中、僕を心配する顔。どれも何度もネタにした。
公彦をネタにするのは仕方がないことだ。だって・・・好きなんだし。もちろん罪悪感もある。だから、毎朝、公彦と顔を合わせ辛い一瞬がある。でも、その一瞬だけだ。その一瞬が過ぎると、公彦と一緒にいることが楽しくて嬉しくなる。そして、その夜はまた、ベッドの上で、公彦を使って・・・・・
「んっ」
それをティッシュで拭き取る。その匂いを嗅ぐ。
(公彦もしてるんだろうな)
公彦の精液もこんな匂いなんだろうか。
公彦は何を使ってしてるんだろうか。
公彦は、誰を好きなんだろうか・・・
「公彦・・・」
僕は枕を抱き締めた。
「好きだよ、公彦」
ここでしか言えないその言葉。いつか、公彦に伝えられたら・・・・・


眠るまでの間、いろいろと考える。
公彦に告りたい。
いや、今のままで充分幸せだろ。
でも、やっぱり気持ちを知って欲しい。
公彦も、きっと僕のことを・・・
違う。公彦は僕とは普通に友達なだけだ。
きっと、誰か好きな奴がいるんだろう。
どんな奴が好きなんだろう。
女子だろうな。でも、もし男子だったら・・・
男子で、僕以外の誰かだったら・・・
言いたい。
言わない方がいい。
知りたい。
知りたくない。
知らない方がいい。
このままでいい。
このままでいいのか?
でも、言って、もし・・・・・
そもそも言える?
言えない?
言う?
言わない?
僕は眠りに落ちる。公彦は夢には出てきてくれなかった。


そんな日々を僕は過ごす。
もちろん、公彦は僕のこんな気持ちは知らない。知る筈もない。
でも、ひょっとしたら・・・

公彦とはただの普通の友達なんだって割り切って、今まで通り付き合って行ければどれほど楽だろう。だけど、僕は自分の気持ちに気づいてしまった。そして、公彦は僕を気遣ってくれる。あの、インフルエンザの後の学校に行ったときのように。

そりゃ、いつも気遣ってくれる訳じゃない。そこは普通の友達と一緒だ。いや、公彦にとっては僕は普通の友達だろう。だから、それが当たり前だ。でも、時々優しさを見せる。他の友達には見せない優しさを。たぶん、他の友達にはそういう優しさ見せてない・・・と思う。
「お前、気ぃ使い過ぎ」
いつだったか、僕が左足を捻挫して、登下校に松葉杖とか使ってた時期があった。その時、公彦は僕の荷物を持ってくれたんだけど、それ以外でも、階段の上り下りに肩貸してくれたり、雨の日は僕を傘に入れてくれたりとか。
「そんなん勘違いしちまうだろ」
僕は本心を押し隠して、冗談めかして言った。
「いいじゃん、陽ちゃん困ってるんだし」
「べつに困ってねぇよ」
こういうときは、素直にありがとうって言う方がいいんだろう。でも、少し気恥ずかしいのと、素直になったら僕の気持ちが知られてしまうんじゃないかっていう怖さもあった。
「じゃあ、僕が勝手にしてるって思えばいいじゃん」
公彦は言う。
「なんでだよ」
「そうだなぁ・・・」
しばらく考えて、僕の顔を見た。
「陽ちゃん好きだから」
僕のことを普通に友達として、そう言っているんだろうってことは分かる。それ以上の意味はないことも分かってる。
だけど・・・
僕の心に震度6くらいの地震が起きる。分かってる。分かってるんだけど、ひょっとしたら、公彦にもそういう気持ちがあるんじゃないか、なんて期待をしてしまう。普通の友達が、普通の友達として言ったことが、こんなに僕を悩ませてしまうなんて思ってもないんだろう。
(知らないとはいえ・・・なんて罪作りな奴なんだよ)
顔が真っ赤になっているのが自分でも分かる。動揺をひた隠しにして、だけど、何も言えずに黙り込む。
「黙るなよ、なんか気まずいだろ」
公彦は明るく言う。
「は、ははっ」
僕は笑う。白々しく。そんなリアクションしか出来ない。
そう、まるで拷問のような日々だ。楽しくて、嬉しくて、辛くて。


そんな気持ちを押し隠して僕は公彦と毎日一緒にいる。
公彦と一緒にいる時間のほとんどは楽しい時間だ。でも、ふとした時、僕は苦しくなる。その時は、公彦は僕の友達じゃなくて、僕の好きな人になる。友達の間は分かり合ってる気になれる。だけど、好きな人になったとたん、分からなくなる。何を考えているのか。何をしたいのか。僕をどう思っているのか。
僕の気持ちを知っているのか・・・・・



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