ある日の夜、公彦からメッセージが来た。
「しばらく学校休むことになった」
「なんで?」
メッセージのやり取りを繰り返す。要約すれば、入院することになったらしい。といっても大したことはない。ただの盲腸だそうだ。
「たぶん1週間もしたら学校行けるから」
「分かった」
病院名を聞き、病室の番号が分かったら教えてくれるよう頼んだ。
翌日、手術が行われたそうだ。さすがにその日はお見舞いには行かなかった。
その次の日はお見舞いに行く。なんとなく、少しやつれて見える公彦が、点滴に繋がれてベッドの上にいた。
「たかが盲腸って言われたんだけど・・・やっぱ、手術辛いわ」
少し笑いながら公彦が言った。やつれた笑顔に少しショックを受ける。
「なんて顔してんだよ」
公彦に言われた。
「いや、お前がそんなこと言うとは思わなかったから」
笑顔を作って言った。
「体切るんだもんな。そりゃ、絆創膏で済むような話じゃないだろ」
「そうだな」
それから、話すのが辛いのか黙り込んだ。僕は何も言わずに、ベッドの横に丸椅子を引き寄せて座る。ずっとそのまま、何も言わずに公彦の側にいる。
「帰れば?」
しばらくして公彦が言った。
「もうちょっと」
僕が言う。
「お前いると、寝られないんだよな」
僕はチラリと時計を見た。確か、面会時間は午後7時まで。今はもう6時50分を過ぎている。
「じゃあ、あと5分だけ」
公彦が布団から左手を出した。
「じゃあ、さ」
「分かった」
僕はその手を握りしめた。
「誰にも言うなよ」
「分かってる」
その5分の間に、公彦は眠りに落ちた。
公彦の寝顔。
(今ならキス出来るかも)
そんな邪な考えを首を振って打ち消す。さすがに、もし、公彦も僕のことを好きだったとしても、こんな時に、こんな状態でキスするのは反則だろう。そして、握ったままの手を見る。
(どういう意味なんだろ)
手を握って欲しいということは、言葉で言われなくても分かった。でも、その意味は分からない。ただ、手術をした後で心細いのか。それとも、別の意味があるのか・・・
もうあれから20分くらいが過ぎていた。僕はこのまま、ずっと公彦の手を握ったまま座っていたかった。時計を見る。もう面会時間は過ぎている。周りを見る。ここは4人部屋だけど、他の3人はみんなカーテンで区切られていて、僕等を見ている人は誰もいない。
僕はその手にそっとキスをした。そして、公彦の手を布団の下に入れて、足音を立てないようにして病室から出た。
(ちょっと、卑怯だったかな)
でも、何とか口にキスをするのはこらえた。手を見る。まだ公彦の手のぬくもりを感じる気がする。
(どういう意味だったんだろ)
また同じことを思う。
(期待しちゃ、だめなんだろうな)
だけど、どうしても期待してしまう。僕は頭を左右に振る。しかし、それは頭の中から出ていってはくれなかった。
もちろん、その日の夜、僕はオナニーした。
翌日も、学校が終わるとまっすぐに公彦が入院している病院に向かった。
「おお」
公彦はベッドの上で身体を少し起こして漫画を読んでいた。
「寝てなくて大丈夫なのかよ」
「たかが盲腸って言ったろ」
「たかが盲腸で辛いって泣いてたの、誰だよ」
「泣いてなんかねーだろ」
元気そうだ。
「でも、笑うと傷口が痛いんだよな」
そっと右の脇腹に手を当てた。
「笑かしてやろうか」
「お前・・・最低だな」
もちろん冗談だ。それから少し学校のことを話す。僕等が話している最中、公彦のお母さんが病室に入ってきた。
「あら」
僕の顔を見る。
「来てくれてたのね、ありがとう」
「いえ」
椅子から少し腰を浮かして軽く会釈した。
「いつもありがとうね、この子のこと気にしてくれて」
「いえ、全然」
当たり障りのない話をする。
「じゃあ、少しお願いしていいかしら。ちょっと着替えを取りに戻りたいの」
「いいですよ、全然」
そして、公彦のお母さんは病室を出て行く。
「なに、お母さんに甘えてんの?」
公彦に言った。
「んな訳ねーだろ」
でも、僕は公彦とお母さんはとても仲がいいことを知っていた。
「僕がいるから甘えられなかったとか?」
「お前なぁ」
公彦が体を起こそうとした。
「あ、痛」
手でお腹を押さえる。
「大丈夫?」
「うん、まだ、ちょっと動くと痛い」
公彦が仰向けになる。
「あのさ・・・盲腸の手術のときって、ちん毛剃られた?」
学校でそんな噂を聞いた。
「・・・剃られた」
「まじ?」
「まじ。お前、人に言うなよな」
既にクラスではそういう噂が流れていた。
「もうクラスで話題になってるよ。盲腸の時は剃られるって」
「まじかよぉ・・・」
僕は公彦のその部分を見る。もちろん、布団の下になってるし、パジャマみたいなのを着てるから見える訳はない。だけど、僕は想像する。
「お前、どこ見てんだよ」
「え、あ、ああ。剃られてどうなってんのかなって」
「変な想像すんな」
二人で少し笑う。と、誰かが公彦のベッドのところのカーテンから顔を覗かせた。
「あっ」
公彦が声を上げた。僕もその人を見る。僕の知らない男の人。公彦のお父さんではなかった。
「知り合い?」
小さな声で公彦に尋ねた。
「うん」
公彦も小声で頷いた。
「じゃあ、僕」
そう言って僕は立ち上がる。
「また、明日も来るから」
「うん。じゃあね」
公彦がベッドの上で手を振った。僕と入れ替わりに、男の人が二人、カーテンの内側に入っていった。
病院から出ようとしたとき、公彦のお母さんと出会った。両手に鞄をぶら下げてる。
「あら、今日はありがとうね」
お母さんが僕に言う。
「また明日も来ます」
僕はそう言って、病院を後にした。
(あの人、誰だったんだろ・・・親戚とかかな)
ぼんやりそんなことを考えながら、僕は家に帰る。その日は、もちろん公彦の無毛の股間を想像しながらオナニーした。
次の日も病院に行く。
「そんな毎日来なくてもいいのに」
公彦が言う。
「僕が来ると、お母さんに甘えられないもんね」
そう言うと、公彦は手にしていた紙を丸めて僕に投げつけた。
「いったいなぁ」
別に痛くはないけど大げさに言う。その紙を広げてみた。ちょっときれいな包装紙だ。
「なに、どうしたの、これ」
確か、駅前の有名なチョコレート屋さんの包装紙だ。
「女子が持って来てくれた」
「ふぅん」
内心、僕は動揺していた。公彦に女子がお見舞いを持って来たということだ。そして、その人の名前を公彦は言わずに女子とだけ言った。僕には言いたくないんだ。それってつまり・・・
「彼女?」
「いねぇよ」
即答だ。
「でも、こんなのくれる女子がいるんでしょ?」
「はぁ」
公彦が僕の顔を見る。
「あのさ、知ってるだろ、お前」
ベッドの横の小さなデスクから白い箱を取り上げた。
「毎年、バレンタインでもらえるチョコは、お母さんからと、お前の友チョコだけだって」
「まぁ、お互いにね」
そう、ここ数年、バレンタインはいつもそんな感じだ。
「彼女なんていないっつーの」
白い箱の蓋を開いて僕に差し出した。チョコレートが4つ入っていた。
「クラスの女子の6人からだってさ」
つまり、女子一人当たり、チョコ1個もないってことか。
「僕等なんて、女子からしたらそんなもんだろ」
「まぁ、お前がモテるなんて一瞬でも思った僕が馬鹿だったな」
(でも、友チョコじゃないんだけどな)
僕の微妙な表情の変化、それに公彦は気がついたらしい。
「え?」
「え、なに?」
「いや、今、なんか・・・」
その瞬間、僕の心の中に何かが湧き上がった。僕はそれをかき消そうとした。でも、消せなかった。それは、僕の心の中でむくむくと大きくなって、僕の心臓をぎゅっと掴んで、僕の口を押し開いた。
「本命だよ。本命チョコなんだよ、僕があげたのは」
(やめろ!! 言うな!!)
「僕は、お前が、公彦が好きだ」
ベッドの公彦の顔の横に手をついて、体を乗り出して僕はそう言っていた。
「ずっと・・・お前が好きだった」
「な、なに・・・・・言って」
僕の体が、勝手に僕の顔を公彦の顔に近づけた。
(キス・・・)
僕は僕の心に抗うのを止めた。顔が公彦の顔に近づく。そして・・・
「止めろって」
公彦が顔を背けた。左手を顔の横に当てた。まるで僕の顔がそれ以上近づくのを拒むように。いや、違う。僕を拒んだんだ。
「冗談・・・だろ?」
僕は動けなかった。中途半端に顔を近づけたまま、動くことも、言葉を発することも出来なかった。
「ごめん、キスとか・・・無理」
公彦が言った。
「陽ちゃんとは、出来ない」
体がゆっくりと動く。その後も公彦は何か言っていた。でも、全然聞こえない。聞こえてるけど頭に入ってこなかった。僕は鞄を持って病室から出た。そのまま、病院から出て、気がついたら家に帰って部屋にいた。
「どうやって・・・帰って来たんだろ」
ぼんやりそうつぶやいた。涙が出てきた。
翌日、僕は学校を休んだ。
僕は大きな勘違いをしていた。僕が好きだって言えば、公彦は受け入れてくれると思った。いや、そう思っていた訳じゃない。でもあの時、僕は・・・
ベッドから出られず、ずっと布団を被っていた。
(最低だ)
あの時、公彦の顔は見えなかった。それなのに、僕の記憶の中では公彦が僕を睨んでいた。
(拒絶された)
(無理って・・・言われた)
僕の世界が終わった気がする。もう、どうすればいいのか分からない。時間を戻せるなら戻したかった。
でも・・・
たぶん、時間を戻しても、いつか告ってしまう日が来るように思う。そして、無理って言われて拒否られて・・・
「終わった・・・・・」
僕は布団の中で泣いた。
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