2002年クリスマス作品
夢・・・一人の少年が立っている。白いシャツにカーキ色の半ズボン、白い学生帽。どこかで見たことがある少年、その少年がじっと僕を見つめている。誰だろう・・・思い出せない。 |
また今日もあの夢を見た。あの少年の夢。ここんとこずっと見る夢・・・ 第1部 「おっはよ」 「おっす」 大きな家の前で待っている祐一に向かって、輔が息を弾ませながら走ってきた。二人はいつもの通りの挨拶を交わして学校に向かった。その地方の旧家である祐一の、大きく、かつ古い家からは、街のほぼ中央にある2人の通う中学校はすぐだった。そんな大きな家を輔はうらやましく思う反面、3年前にこの街に引っ越したときに建てられた自分の新しい家の快適な暮らしは少し自慢だった。祐一と輔は、お互いの家によく行き来し、お互いの家族ともよく見知っていた。彼ら二人はお互いを一番の友達と思い、お互いがそう思っていることも知っていた。 |
そんな彼らが初めて出会ったのは、輔がこの地方都市の学校に転校してきたときだった。 「今日はあたらしい友達を紹介する」 祐一のクラスの先生はそう言うと、入り口のドアのほうに向かって手招きをした。ドアのかげから現れたのは、一人の少年だった。あか抜けた感じの服を身につけていたその少年を見たときに、祐一はなんとなく思った。 (どこかで・・・会ったことがある・・・) 先生が黒板にこの少年の名前を書いた。「吉井 輔」、そして「輔」の字の上に「たすく」とふりがなをふる。 「吉井 輔君だ。吉井君はお父さんの仕事の都合で東京から引っ越してきたんだ。今日からみんなの新しい仲間だ。なかよくするようにな」 「は〜い」何人かが先生の言葉に返事を返す。が、祐一は考え込んでいた。(どこかで会った・・・絶対・・・でも、どこで会ったんだろう、思い出せない・・・・・) 「じゃ、吉井君の机は・・・野田の前が空いてるな」 「あ、は、はい」祐一は急に自分の名前を呼ばれて我に返った。 「野田、なにぼんやりしてるんだ?」 「あ、いえ・・・別に」祐一は中指でメガネを押し上げた。 「じゃ、吉井君、あの席が君の席だ」先生が、祐一の前の机を指し示しながら言う。 「野田、ぼんやりしてないで、吉井君と仲良くしろよ」 「は、はい」なんとなく、教室から笑い声があがった。 「じゃ、よろしく」輔は祐一にそう言って、彼の前の席に座った。 祐一は、初対面のはずの転校生の背中を見ながら考え続けていた。 (どこで会ったんだろう・・・ぜったいどこかで会ったことあるはずなんだけど・・・) それからしばらくの間、祐一に、頭の回りを飛び回る小さな虫のようにその思いがつきまとった。 東京から来た転校生は、よく女子に取り囲まれていた。女子にいろいろ質問を浴びせかけられ、それに対していろいろと答えていた。一方、男子たちはそれを遠巻きにし、なかばやっかみを込めて見ていた。 「あ〜あ、女子は東京から来たってだけであれだからなぁ」そんなことを言う少年達のなかに、祐一はいた。そして、祐一は相変わらず頭を悩ませていた。どこで会ったのか、いつ会ったのかを思い出そうとしていた。 「ねぇ」 放課後、帰ろうとしている祐一に、突然輔が話しかけた。 「な、なに?」すこしどぎまぎしながら、でもそれを転校生に悟られないようにしながら答える。 「なんで、俺のこといつも見てるのさ?」 「べつに・・・見ちゃいないよ」祐一は帰り支度をしながらこともなげに言った。それが輔の気にさわったのか、少し輔が興奮した。 「見てるじゃないか、いつも」輔の声が大きくなり、教室に残っていた他の生徒が二人の様子に気づき始めた。 「何か言いたいことがあるの? それとも、俺に喧嘩売ってるの?」祐一に一歩詰め寄る。 「な、なんだよ、お前なんか、見てもおもしろくないし、見たりするもんか」祐一も輔をにらみつけながら言う。 「じゃ、人のことじろじろ見るなよな」他の生徒が二人の回りに集まってきた。 「見てないって言ってるだろ、うぜぇんだよ、転校生のくせに」 「何だと」輔が祐一の鞄をつかむ。祐一は、鞄を輔の胸にたたきつけた。 「おい、なにやってんだよ、やめろって」二人を取り囲んでいた生徒の中の何人かが二人の間に割って入った。 「今度、俺のほうじろじろ見てたら・・・そんときは」輔が3人に押さえられながら言った。そして、それが言い終わる前に、祐一も言う。 「お前こそ、今度へんなこと言ったら、ただじゃすまないからな」 「もう、やめろよ」祐一を押さえていた中の一人が、祐一を教室の隅まで引っ張っていった。 「なんだよ、あの転校生は」弘幸と直樹に押さえられながら、祐一は吐き捨てるように言った 「もういいって。落ち着けよ」直樹がなだめるように言う。 「どうしたんだよ?」弘幸が少し手をゆるめて問いかける。 「あいつが・・・」祐一はそこで言葉を飲み込んだ。机の上に座り込む。 「どこで会ったのか、思い出せないんだよ・・・」少しうつむきながら言った。 「あいつとか?」弘幸は、祐一の座っている机の横に別の机を並べ、その上に座りながら言った。 「うん、前にどこかで会ったはずなんだけど」 「だから、それを思い出そうとしてあいつを見てたんだ」 「うん・・・」 「じゃ、言いがかりってわけでもないじゃん」祐一と弘幸の話を聞いていた直樹が口をはさむ。 「でも、あんなふうに言うから・・・その・・・つい・・・」 「ほんとに・・・その性格なんとかしろよな」少しあきれながら、弘幸が言った。 (そうなんだよなぁ)祐一はそう思いながらも、返事はしなかった。 「早く謝ったほうがいいと思うよ」座っていた机から飛び降りながら、弘幸が言った。 祐一は、ときどきこんな失敗を繰り返していた。小柄でどちらかといえば優等生タイプではあったが、性格的にはかなり気が強く、つい相手の言葉にのって喧嘩腰になってしまうことがしばしばあった。友達にもそんな性格を彼の欠点として指摘されることも多かった。 そして、転校生も同じような性格だった。特に、輔は転校したばかりの新しい学校で、周囲から舐められたくないと思っていたからなおさらだった。 翌日、早めに登校した祐一は、輔の机の中に手紙を入れておいた。早く謝った方がいいと弘幸に言われたから、というのもあったが、輔に直接どこかで会ったことがないか聞きたいと思ったから、そのためには自分から謝って早く仲直りしたほうがいいと考えた。話をするとまた喧嘩になってしまうかもしれなかったので手紙という手段を選んだ。 1時間目の授業の最中、輔が振り向きもせずに、腕を後ろに回して紙切れを祐一の机の上に置いた。あの手紙への返事だった。 『俺もどこかであったような気がしてた。だから、お互い気になっていたようだね。昨日のことはごめん。あとで話がしたい』 祐一はノートの端を小さく破り取って、『昼休みに屋上で』と書いて、小さく丸めて輔の机に放り投げた。輔はそれを開いて頷いた。 午前中の授業が終わるまで、2人は目を合わさなかった。もちろん、話もしなかった。ようやく給食の時間になると、祐一は急いで食べ終えて、校舎の屋上に上がって輔を待った。程なく輔も屋上に上がってきた。「やっぱり・・・どこかで会ったよね、俺達」もう、謝ったりする必要はなかった。授業中の手紙のやりとりで、二人の間にあったわだかまりは消えていた。 「たぶん・・・でも、いつ、どこで会ったのか、思い出せないんだ」少し興奮気味の祐一に対して、落ち着いて輔が答えた。 「俺もそう。でも、やっぱり会ってるよね」祐一は、なんとなくうれしく思いながら言った。 「わからないけど・・・そうだと思う」輔も少し微笑んで、そう答えた。 「なんか・・・よかった、話して」 「うん、そうだね」 校舎の屋上のフェンスにもたれながら話す二人の頭上には、青空が広がっていた。そして、小さな雲が一つだけ、ぷかりと浮いていた。 それが二人にとっての始まりだった。結局、どこで会ったのかは思い出せなかった。しかし、そんなことは二人にとってはどうでもいいことになっていった。祐一にとっては輔がそこにいることに、輔には祐一がそこにいることに大きな意味があった。しかし、それはまだほんの始まりにすぎなかった。 そして、初めて出会ったときから1年ほどの月日が流れていた。 祐一達は小学5年の夏休みを目前にして、みなで夏休みにどこか行こうと相談していた。祐一は椅子にすわって机に顎をのせ、弘幸は横の机の上に、直樹は祐一の正面の椅子に座って話をしていた。 「キャンプなんてどう?」直樹が切り出す。 「それも悪くないけど・・・なんか遠くに行ってみたいよね」祐一は、目を輝かせている。 「でも、電車代とかお金かかるじゃん」弘幸が現実的な心配をする。 「あれ、そういや輔は?」祐一は輔の机を見る。 「まだ鞄あるから、帰ってはいないよね」 「さあ・・・どっかに隠れてるんじゃないの?」なんとなく楽しげに弘幸が言う。 「なんで隠れるんだよ?」祐一はそんな弘幸の表情に気付かずにいる。 「さぁね・・・」そう言いながら、直樹は祐一の机を軽くつま先で蹴った。 |
3人の会話を聞きながら、輔はタイミングを計っていた。祐一の机の下から飛び出すタイミングを。 と、机を軽く蹴る音がした。思わず直樹に向かって人差し指を立てて口に当てる。直樹が意味ありげに笑う。 「鈍行でいけるとこまでいったらどこまで行けるんだろうね」直樹が言う。 「さぁ・・・そういうの、輔がいたらよく知ってるのにね」祐一が、予想通りの反応を示す。 (いまだっ!!)輔は祐一の机の下から飛び出して、手にした封筒を祐一の目の前に突きつけた。 「じゃ〜ん!」 「な、なにやってんだよ、輔」驚く祐一を後目に、輔は他の二人に声をかけた。 「せぇのぉ」3人は声をそろえて歌い出した ♪ハッピィバースデー トゥ ユー ♪ハッピィバースデー トゥ ユー ♪ハッピィバースデー ディア 祐ちゃん ♪ハッピィバースデー トゥ ユー 「誕生日おめでとう!」3人が口々にいった。この日、7月10日は祐一の誕生日だった。 「お、お前ら・・・」面食らった祐一は、それだけいうのが精一杯だった。 「驚いた?」直樹がニヤニヤ笑う。 「感動して泣いてんじゃねーの?」弘幸が意地悪く訊ねる。 「んなわけないだろ」感激屋の祐一の性格をよく知っている3人の演出に、まんまとはまるのはいやだったが、それでも祐一はしっかり感動していた。しかし、間髪をいれずに輔は祐一にヘッドロックをかける。 「うりうり・・・正直に言いなよ、感動しましたって」 しかし、祐一には分かっていた。それは、感激して目にうっすら浮かんだ涙をこっそり拭うチャンスを与えるためにやっていることだと。 「もう、いい加減にしろよな」ようやく輔のヘッドロックを振り払って、3人に向かって言った。 「なんだよ、せっかく祝ってやったのに」と直樹。 「そうそう、これ、あげないよ?」弘幸が床に落ちていた封筒を拾い上げて言う。 「なに、それ」祐一がそれを取ろうとすると、弘幸はさっとそれを引っ込めて、輔に渡した。 「じゃ〜ん」輔はゆっくりと封筒から中身を取り出した。 「青春18きっぷ!」輔がそれを祐一に手渡した。 「3人でお金出し合って買ったんだ。これで夏休み、どっかいけるよ」輔は楽しそうだった。 「もちろん僕たちの分もあるから、4人でどっかいけるね」直樹がもう一組を見せながら言う。 「ありがと・・・みんな」 「さぁ、どこいこうか?」直樹が言う。祐一は夏休みが楽しくなりそうな予感がしていた。 結局、彼ら4人は行き先を決めずに行けるところまで行くことにした。残念ながら、子供達だけでは許してもらえず、直樹の兄が同行することになった。キャンプなどによく出かけるアウトドア派の直樹の兄が同行してくれることで、彼ら4人も実は心強かった。 彼らは富士山が見えるとある駅に降り立った。そこで降りるきっかけになったのは、輔の「俺、富士山って近くで見たことない」という一言だった。富士山の近くなら、直樹の兄がよく知っているキャンプ場もあるから、ということで、そこで降りることに決まった。 「ここから富士山の入り口ってすぐなんでしょ?」テントを張る手伝いをしながら、直樹が兄に尋ねた。 「あぁ。登山口はすぐそこだけど・・・ぐるっとまわっていかなきゃならないから、ちょっとかかるかな」直樹の兄が指さす方を、輔はながめた。キャンプ場の柵のそとは木々が生い茂っていて、その先は見通せなかった。 「さ、これで準備OKだ。だれか、水をくんできてくれ」直樹の兄はてきぱきと指示し、昼食の準備を整えていった。 「ね・・・その登山口ってのに行ってみないか」昼食後、テントのなかで急に輔が言い出した。 「え・・・でも、けっこうかかるんでしょ?」祐一は、読んでいた本から顔を上げた。 「だからさ・・・まっすぐ行ったらすぐなんだし、ちょっと行って見てこようよ」輔は少し興奮気味だった。初めて間近でみる富士山が、彼の気持ちを高揚させていた。 「じゃ、直樹の兄さんに言って」そう言いかけた祐一の顔の前に、輔は手を突き出した。そして、人差し指を立てて、その先を遮った。 「二人で、他のやつらにはないしょで、ね?」輔は楽しそうに笑った。 二人はそっとテントの外をうかがった。直樹の兄も、他の誰もテントの外にはいなかった。 「よし、いまだ」祐一はテントの外に顔を出したまま、中の輔に手を振って合図をした。 「はい」輔の声とともに、合図をした手に何かずっしりした物を握らされた。 「なんで、こんなの持っていくのさ?」それは祐一のリュックサックだった。ここに来た時の荷物がほとんど入ったままだった。 「まぁ、いいから、ほら」そう言って輔は祐一をテントの外に押し出した。 「な、なんでだよぉ」それでもしぶしぶリュックを背負って祐一は歩き出した。 「せっかく行くのなら・・・少しは登りたいじゃん」輔の楽しそうな笑顔を見ると、祐一は反論する気をなくした。 「もう・・・無茶なんだから・・・」半ばあきれて祐一は言った。 「無茶はいつものこと!」そう言いながら、輔はキャンプ場の柵を乗り越えた。 「ねぇ・・・遠くない?」祐一は前を行く輔の背中に問いかけた。 「うん・・・もう1時間くらい歩いてるよね」輔は立ち止まった。 「ひょっとして・・・直樹の兄さん、方向間違ってたとか?」振り返って祐一に言う。 「あり得るね。あの直樹の兄さんだから」ため息混じりに祐一は答える。 「それって・・・ヤバくない?」まじめな顔をして輔が言う。 「ヤバい。引き返そう」二人は元来た道を戻り始めた。 「ねぇ、こんなとこ通ったっけ?」木々の間の少しだけ開けた場所で祐一が言った。 「さぁ・・・通ったんじゃない?」輔はかまわず歩き続けた。 それからしばらく歩き続けた後、前を行く輔が立ち止まった。 「ねぇ、これってひょっとして・・・遭難?」祐一が軽い口調で、しかし少し不安げに言う。 「迷子」輔が言い切る。 「町じゃそうだけど・・・ここでは迷子とは言わないんじゃないの?」 「でも、この道下れば、絶対いつかは町に出るんだし、そういうの遭難とは言わないんじゃないの?」 「あんまり変わらないような気がするけど・・・」ますます不安になる祐一。 「ったく・・・祐一は気が小さいんだから・・・いつもみたいに強気でいろよ」 そうだった。祐一の気の強さは、あくまで虚勢だった。旧家の子供として、ことあるごとに「野田家の長男」と言われ続けてきた祐一が、自分を守るために作り上げた精神的な鎧だった。輔だけがそのことを知っていた。そして、祐一は、今は輔も不安を感じているのが分かっていた。気が強く、だけどもう一歩踏み込めば思いやりのある輔。そんな輔が、今、祐一に必要以上に不安を抱かせないために、気楽に振る舞っていることは感じとっていた。だから、祐一もそれ以上は不安を口にしなかった。なんとなく、輔が大きく見えた。 その日、二人は少し開けた場所で野宿した。不安は隠せなかったが、その場所にたきぎの跡を見つけて、ここに人が来ていたことを知ってほんの少し気持ちが軽くなった。リュックに詰め込まれたお菓子を食べて、二人はシュラフに潜り込んだ。二人は眠ろうと努力した。 「寝た?」しばらくして、祐一が口を開いた。 「まだ」輔が短く返事する。 「大丈夫だよね、俺達」輔に背を向けて横になったまま、祐一は不安げに問いかけた。 「あたりまえじゃん。すぐに戻れるよ」輔は星空を見上げたまま答える。 「そうだね」祐一がぽつりと言った。 「あのときのこと、覚えてる?」しばらくの沈黙の跡、今度は輔が口を開いた。 「あの、俺が転校してきて、すぐ喧嘩したときのこと」 「ああ、あれね。そんなこともあったね」祐一はシュラフの中でもぞもぞと体を動かして、輔の方に向き直った。 「うん。どこで会ったんだろうね、俺達」輔も祐一の方を見る。 「あのときはそれが気になって仕方なかったんだけど・・・なんかもう、どうでもいい」祐一は、星を見上げる。 「本当にどこかで会ったのかもしれないし、気のせいだったのかもしれないし・・・そんなこと気にして喧嘩になっちゃって・・・馬鹿みたい」祐一は少し笑った。 「・・・でも、よかった、引っ越してきて」輔も星空を見上げながら言った。 |
「ねぇ・・・いつか、また引っ越しするの?」またしばらくの沈黙の後、祐一が尋ねる。 「さぁ・・・でも、たぶんもうないんじゃないかな。だって、父さんここに自分で家建てたから。もう引っ越さなくてもいいんじゃないのかな」 「そっか・・・よかった。」ほっ、と息を吐きながら小さく祐一が言った。 「うん。」 そして、輔は体を起こして、祐一を見た。 「もし、もしだよ。また引っ越すことになったら・・・俺をお前の家においてくれないかな」 「ウチで暮らすってこと?」祐一は横になったまま輔を見ていた。 「うん」 「いいよ、俺は。でも、親がなんて言うか・・・」 「ウチの親には許してくれなきゃ家出するって言うよ」輔は、足を抱えるようにして、膝の上に顎をのせていた。 「うん、親さえOKなら・・・」 「まぁ、もしも引っ越すなら・・・だけどね」もう一度横になる輔。 「うん・・・」 「約束だよ」輔は祐一の方に手を伸ばした。 「わかった」祐一も手を伸ばして輔の手を握った。 二人だけの夜は更けていった。風の音だけが聞こえていた。 朝の日の光が、雲を赤く染めていた。 (鳥の鳴き声がこんなに近くで聞こえるなんて・・・)祐一はそんなことを思いながらあたりを見回した。(ああ、そうだ、俺達遭難・・・じゃなくて迷子になったんだっけ)輔のシュラフを見る。そこに輔はいなかった。 「輔?」声に出して呼んでみる。返事はない。と、がさがさっと草をかき分ける音がした。すこし驚いてそっちの方に目をやると、草の間から輔が顔を出した。 「起きたんだ」 「うん。どこに行ってたの?」 「ちょっと降りてみたんだ。そしたら・・・」輔が笑い出した。 「そしたら?」 「町まであとほんの少しだったよ。もう10分も歩いたら、キャンプ場に戻れたんだ」 「そうなの? ほんとに?」昨日の不安を思い出した。そして、今は大きな安堵感に包まれた。(輔と一緒でよかった・・・)特に理由もなく、そう思った。 「じゃ、すぐ荷物まとめて出発だ」 「おお」右手の拳を突き上げて、荷物を片づけ始めた。 それから30分後には、テントで直樹の兄に二人して怒られていた。ずっと頭をさげて、直樹の兄のいうことを聞いていた。あと少し帰るのが遅かったら、警察に捜索願をだすところだったらしい。(ほんと、心配かけちゃったな)祐一はそう思った。そして、ちらりと輔の方をみて、思わず声を上げた。 「ど、どうしたの、輔?」輔は声をあげずに泣いていた。それに気が付いて直樹の兄の叱責もとぎれた。 「俺・・・怖かった・・・すごく怖かった」そう言って、輔はわっと声をあげて泣き出した。 |
輔がなにも言わなくても、祐一には輔の気持ちがよく分かった。自分を不安にさせないためにせいいっぱい虚勢を張っていた輔。無事にキャンプ場に帰ってきて、その間押し殺していた恐怖が押し寄せてきたのだ。あのとき大きく見えた輔が今は小さく見えた。 「輔・・・」祐一はどうしたらいいのかわからなかった。とりあえず肩に腕を回す。輔は祐一の肩に頭を乗せて、泣きじゃくった。 直樹の兄もなにも言わずにそのままテントから出ていった。 そして、今、二人は同じ中学で、同じ時を共有していた。 彼らの通う学校は、街の中央近くにあった。が、もともとその学校は、山手の木造の校舎でその歴史の幕を開いた。その古い木造校舎は数十年も前に学校移転とともに廃校となったが、いまも取り壊されずに山の麓にひっそりとたたずんでいた。今となっては誰も近寄らず、幽霊がでるとの噂さえあった。 「ねぇ・・・聞いた?あの噂」放課後、教室の掃除を終えて帰ろうとしている祐一に輔が声をかけた。 「幽霊学校の噂?」祐一は教科書をしまう手を止めた。 「そうそう」輔は、祐一の前の机の椅子に、後ろ向きに座り込んだ。 「あぁ。3組の奴が見たんだって。2階の窓から誰かが見下ろしてるの」 「やっぱいるんだよ、あの幽霊学校」輔は興味津々といった表情で言った。 「まさか・・・本気にしてるの? ばっかじゃねえの?」 「今度は本当らしいぜ。いままでは白いもやもやとかそんなんだったけど、今度は顔まで見たんだって」 「へぇ・・・」 「俺達と同じくらいの男の子で、白い学生帽かぶってたんだって」 「2階の窓なんだろ? そんなとこまで見えるのかなぁ・・・嘘っぽくない?」祐一は疑わしげに反論する。 「だからさ、俺達も一回行ってみないか? 幽霊学校」輔の目がきらきらしている。 「お前・・・ほんっとに本気にしてるんだ」祐一はあきれたような声を出した。 「そんなこと言って・・・本当は怖いんだ」 「んなわけねーじゃん、ばっか馬鹿しい」祐一は強がってみた。 「じゃ、行こう」にんまりと笑いながら輔が言った。 「な、なんでだよ」(はめられた)そう思いながら、そしてもう逃げられないことが分かっていながらも一応反論してみる。 「ほら、怖がってる」 「こ、怖くなんかねーけど・・・」 「じゃ・・・今度の金曜日、学校終わってから行ってみようよ」 「うん」しぶしぶ祐一は同意した。 「今度の金曜日って・・・13日の金曜日じゃん」祐一は、なんとかやめる口実を探して、無駄だとは思いながら言ってみた。 「へぇ・・・ホントだ。でもそんなの関係ないじゃん」そんなことで、乗り気になっている輔を止めることはできないのは分かっていた。 「でも・・・」 「怖かったら来なくてもいいんだぜ」 「わかった・・・行くよ、行きゃいいんだろ?」なかばやけ気味に祐一は答えた。 「そういうこと」笑顔で輔は答えた。 古い学校、白い学生帽の少年・・・祐一の心に何かが引っかかっていた。それが行きたくない理由であり、そして行ってみたい理由でもあった。 週末の金曜日の夕暮れ、二人は古い校舎の前に立っていた。壊れた扉から中に入る。思ったより中はきれいだった。もっと、朽ち果てているのを想像していた。しかし、タールの塗られた床は腐ったりしているところはほとんどなく、階段もしっかりしていた。 「ここって・・・・・」あたりを見回しながら祐一はつぶやいた 「どうかした?」前を歩く輔が振り返った。 「俺・・・知ってる。ここ、知ってる・・・」 「寝ぼけてんの、祐一?」 祐一が歩き出した。輔を置いて一人でどんどん先に、まるで、本当に校内を知っているかのように歩いていった。祐一の臆病さを馬鹿にしていた輔の方が怖くなって祐一を追いかけた。 「ま、待てよ、祐一、祐一ったら・・・」 祐一は階段を上り、廊下を左に折れ、ある教室に入った。机の列の間をぬって、まっすぐにその机に向かった。祐一を追いかけて、輔もその教室に入る。 「ここ・・・この机・・・」祐一は机に手を置き、すこしなでながらつぶやいた。 「お、おい、祐一・・・」輔はそばに寄ろうとしたが、なんとなく近づけなかった。 「知ってる、この机・・・・・僕の・・・机」 「どうしちゃったんだよ、祐一、頼むからさぁ・・・」 祐一は机に座る。木製の机が小さくきしんだ。その音に輔は飛び上がる。 「なぁ・・・頼むから、帰ろう。俺、俺、怖い」 「大丈夫・・・大丈夫・・・」祐一は机の表面をなでながら言った。 と、祐一の視界が波打つようにゆがんだ。次の瞬間、あたりは暗くなっていた。目の前には・・・一人の少年が立っていた。白いシャツにカーキ色の半ズボン、白い学生帽。あの少年・・・ 「やあ」祐一はその少年に声をかけた。 |