金曜日の授業がようやく終わり、急いで帰り支度をしていた。
そんな時だった。
「一緒に帰ろう」
突然声を掛けられた。僕は机に座ったまま、声がした方を見上げた。
「あ、太陽」
そこには太陽が立っていた。
「えっ、用事かなんかあった?」
太陽が言った。
「いや、別にないけど・・・」
太陽は同じクラスだ。もちろん顔も名前も知ってるし、話したこともある。でも、「一緒に帰ろう」なんて声を掛けられたのは初めてだ。
「ちょっとびっくりした」
正直に太陽にそう言った。

そう、僕等はそんなに仲のいい友達じゃない。もちろん嫌いって訳でもない。ただ、太陽は僕等がいつも遊んでいるグループじゃないし、僕は太陽達がいつも喋ってるグループじゃない。つまり、同じクラスで顔は知ってるけど、遊びのグループは別々で、あんまり接点もない、という訳だ。

「なんでびっくりするんだよ?」
太陽はそう言って、立ち上がってカバンを肩に掛けた僕の横に並んだ。
「だって、普段あんまり絡まないし」
(なんで急に一緒に帰ろうなんて言ってきたんだろう)
そう思いながら、僕等は一緒に教室を出た。

僕の前で靴を履き替えている太陽の、日に焼けた首筋が見える。太陽は野球部だ。体育の受業の時の着替えなんかで見えるその体はけっこう筋肉質で、そして日に焼けている。太陽といえば、僕の中ではそんな「日に焼けた奴」ってイメージだ。もちろん運動神経も良くて、女子にもモテるらしい。
「そういえば、今日は部活は?」
靴を履き替えた太陽の背中に問い掛けた。
「今日は休み」
「ふぅん」
そう言いながら、今度は僕が靴を履き替える。
「いつものあいつらと帰ればいいのに」
教室で太陽の周りにいる奴等を思い浮かべて何気なく言った。
「俺と帰るの、嫌?」
太陽が僕を振り向いて尋ねた。
(あっ)
僕は慌てて答える。
「い、いや、そういう訳じゃないんだけどさ・・・なんでかなって思って。ほら、太陽と一緒に帰るなんて初めてだし」
「いいだろ、たまには」
「まあ、そうなんだけど」
歩き出した太陽の背中を追いかける。隣に並んで太陽の顔を見る。
「たまには付き合えよ」
軽く背中を叩かれた。

教室の、僕等とは反対側で話をし、笑いあう彼等。
その中心にいるのが太陽。坊主頭で日焼けした顔。女子からは、かっこいいけど笑顔はかわいいと評判らしい。そして野球部。白い、でもときどきお尻の辺りが茶色く汚れているユニフォーム。いつもかぶってる黒に見えるくらいに濃い紺色の野球帽。僕が知ってる太陽はこんな感じだ。だから友達に不自由することはないだろうし、学校の帰りに一緒に帰る誰かを探すような必要はないだろう。

そんな太陽が今、僕と二人で歩いている。
(なんなんだろうな)
そんなことを考えていると、いつのまにか太陽は少し先を歩いていた。ちょっと小走りになって横に並ぶ。太陽の顔を見る。太陽はまっすぐ前を見ていた。
「そんなに不思議?」
太陽が前を見たまま言った。
「えっ」
「だって、さっきからずっとそんな顔して俺を見てるし」
確かに僕は太陽を見ていた。でも、太陽も僕を見ていたらしい。
「だから、なんで僕と、なのかなって」
しばらく太陽は何も言わなかった。そして、ぽつりと言った。
「一緒に帰りたかったから」
一瞬、僕は太陽の顔を見た。太陽は僕を見ていなかった。
(どういう意味?)
喉まで出かかったその質問を飲み込んだ。まぁ、別に太陽と一緒に帰るのは嫌じゃないし、むしろ、あの太陽と一緒に帰るというのはちょっと新鮮な気持ちだ。
(こんなとこ、友達に見られたら・・・)
僕はちょっと想像する。

「諒、いつの間に太陽と仲良くなったんだよ」
クラスでそんなこと言われたりするだろう。
「え、みんな知らなかったの? 僕と太陽は親友なんだよ」
僕はそんなことを言ったりする。そう、太陽は、太陽と友達だってだけで自慢出来るような、そんな奴だ。噂じゃ太陽と友達だってだけで、女子にモテたりもするらしい。まぁ、それは多分デマだと思うけど。

「まあ、そういうときもあるか」
大したことじゃないし、何か意味があるってことでもないだろう。ただ、いつもは一緒に帰らない奴と一緒に帰るってだけだ。
僕はまた少し前を歩いている太陽の背中を追いかけた。

やがて、あるマンションの入口の前で太陽は立ち止まった。エントランスに入り、オートロックの大きな自動ドアの前で立ち止まった。
「ここ、太陽の家?」
慣れた感じでドアの前の機械を操作する太陽に聞いてみた。
「違うよ」
エントランスと内側を区切っていた大きなドアが開く。
「ほら」
太陽に促されるまま、僕はマンションに足を踏み入れる。太陽がエレベータに乗る。僕も乗る。やがて、マンションの最上階でエレベータは停まった。



「やあ、いらっしゃい」
ドアの向こうで男の人が僕等を出迎えた。
「こんにちは」
太陽は慣れた感じで靴を脱ぐ。
「君は初めてだね。いらっしゃい」
男の人が僕を見て言った。なんとなく柔らかい感じの声の優しそうな人だ。年齢は30才くらいだろうか。でも、初めての知らない場所、知らない人だ。僕は少し躊躇した。
「ほら、おいでよ」
廊下で太陽が僕の方に手を差し出した。僕は靴を脱ぐ。顔を上げて太陽を見た。太陽は僕を見つめている。仕方無く、僕は脱いだ靴を太陽の靴の隣に揃えて置いた。

廊下を進むとリビングルームがあった。
「やあ、久しぶり」
さっきの人とは別の、いかにも体育会系という感じの男の人がソファに座って太陽に声を掛けた。
「久しぶりです」
太陽はその人に挨拶する。
「こっちは友達、諒君」
僕を手で指し示す。
「初めまして」
「初めまして、安達諒です」
取りあえず挨拶をする。
「同じ学校?」
「同じクラスだよ」
太陽が答えた。
「お、来たな」
別の人がリビングに入ってきた。手には飲物を持っている。
「あ、こんにちは」
また太陽は挨拶する。みんな太陽の知り合いなんだろうか。
「諒君、だね」
「はい」
さっきの僕の自己紹介を聞いていたようだ。太陽が少し周りを見回した。それを見て、最初に僕等をマンションに招き入れた人が言った。
「取りあえずこの3人だよ。あとは遅れて来るか、来ないのか」
「ふぅん」
太陽はソファに座ってジュースを飲む。その太陽の両脇に男の人が一人ずつ座る。向かい側のソファにあの体育会系の男の人と、その横に飲物が一つ。
「座れば?」
太陽が僕に言った。
「うん・・・」
でも、知らない男の人の横に座るのは少し抵抗がある。そう思っていると、体育会系の男の人が少しソファの端の方にずれて、僕の場所を広く開けてくれた。そうなったら座らない訳にはいかないだろう。

僕が座ると、まず太陽の、僕から見て左側の人、最初に会った優しそうな感じの人が口を開いた。
「俺は佐伯雄一、このマンションの所有者だ」
続いて太陽の右側の人が自己紹介する。
「私は椎名時彦です」
この人は、さっきの優しそうな感じの人、佐伯さんとそんなに年齢は変わらなさそうだった。
「俺は今宮謙吾」
隣の体育会系がそう言って手を差し出してきた。
「えっと、僕は安達諒です」
その手を握る。大きな手だった。
「ごつい人でしょ。一応、プロレスラー目指してるんだっけ?」
佐伯さんが言った。
「ただの練習生ですよ」
「でも、試合に出たことはあるんでしょ?」
「まぁ・・・」
なんとなく歯切れが悪い。きっと負けたんだろう、そう思った。
「さて」
佐伯さんがそう言って、太陽の方を見た。太陽がうなずく。
「いいんだな?」
またうなずいた。
「よし、じゃ」
今度は僕の隣の体育会系の人、今宮さんにうなずいた。
「ちょっと立ってくれる?」
今宮さんが僕に言った。そして、誰も座っていないソファを抱えて、大きな窓の側に運ぶ。
「諒君だっけ? 君はここに座ってるだけでいいから」
今宮さんが言う。
「はい」
なんだかよく分からない。そもそもこの集まりってなんなんだろう。子供は僕と太陽の二人だけ。大人の人が3人。年齢はバラバラって感じ。まだ他にも来るかも知れないらしいけど、きっとその人達も大人なんだろう。
「あの・・・」
僕は声を上げた。大人の人達がみんな僕を見た。
「あの・・・なに、するんですか?」
太陽に連れて来られて、家に上がり込んで、ソファに座ってジュースまで飲んで、「なにするんですか」なんて間抜けな質問だと思う。でも、他にどう聞けばいいのか分からなかった。
「なにするのかな?」
椎名さんが太陽を見た。太陽は少し緊張した顔をしている。
「さあ、言ってみな」
そんな太陽の後ろに佐伯さんが立って、太陽の胸に両手を回した。
「え・・・えっと」
太陽の声が震えている。何を言うんだろう、何が始まるんだろう。
「ほら」
佐伯さんは手を離し、太陽の背中を押す。太陽が2、3歩僕に近づいた。
「諒君に・・・」
少し顔を伏せる。
「お前が望んだことだろ?」
佐伯さんが太陽の肩に手を置いた。太陽が顔を上げた。
「諒君に・・・見られたいです」
太陽が少し大きな声で、吐き出すように言った。
「なにを見られたいんだ?」
「その・・・」
太陽がまたうつむいた。



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