少年は店のカウンターの端に座っていた。いつもの少年の場所だ。顔の傷はすっかり癒えていた。そして今日も客を見定める。
「少しは大人しくしてなさい」
グラスが少年の前に置かれ、ママが言った。
「頼んでないよ」
「おごりよ、大人しくしてるなら」
ふっと少年は溜め息を吐いた。
「いいのが来たら、教えてあげるから」
少年は何も言わず、グラスに口を付けた。
確かにママはこの界隈の人達のほとんどを知っている。この店に立つようになったのは、ひょっとしたら少年がまだ小さい頃だったのかもしれない。ママは昔話をしない。自分のことを話したがらない。でも、少年は少しだけ知っている。この店は、元々ママが一緒に暮らしていた男の物だったということ。その男が死んで、ママがこの店を受け継いだということ。その当時は男の同性愛者ばかりが集う店だったということ。そして、ママとママの愛した人も、そういう関係だったということ。
ママはたぶん、今の少年くらいの年にはこの店にいたんだろう。前にそれっぽいことを聞いたように思う。その頃から、今の少年と同じように客に声をかけ、客と体を合わせ、そして金をもらう、そんな生活をしていたようだ。その当時のこの店のオーナーがママを気に入って、そして一緒に暮らすようになって、ママは愛する男と一緒に店に立ち続けた。いろんな男の裏表を見てきたママだから、いろんな人を知っていて当然なんだろう。
「正ちゃん」
ママが近くに来て声をかけた。ママの顔を見る。ママが目配せをする。ママの目線の先で、小太りの中年男が酒を飲んでいた。少年は立ち上がり、男の横に座る。
「僕も飲みたいなぁ」
男の前に置かれたグラスを見つめながらつぶやいた。男が少年を見る。
「ママ」
男が声を上げた。
「この子になにか」
ママがグラスを持ってくる。
「ねえ、僕、それがいいな」
男の前のグラスを指差す。自分の前に置かれたグラスと男のグラスを入れ替える。そして、男が飲んでいたグラスに口を付ける。
男が肩に手を回してきた。少年は体を男に寄せる。
「僕、おじさんみたいな人と一緒にいたいな」
つまり、抱かれたい、ということだ。
「お前は一人か?」
少年は男を見たまま頷く。
「そうか」
そして、席を立つ。
この時代にもいい暮らしをしている人はいる。そんな一部の人のために、きれいなホテルがあったりもする。もちろん、少年には縁のない世界だ。だが、今はそんな世界に少年はいる。ガラス越しに街の灯りを見下ろす。さっきまで少年のいた辺りはすぐに分かる。そこだけ回りと色が違う。肉欲的な色だ。窓辺でそうやって見慣れぬこの街の夜景を見ている少年の背後から男が腕を回した。少年はその腕に手を沿わせる。
「こんなところ、初めて来た」
本当は初めてじゃない。これまでも、このホテルで、あるいは似たようなところで男に抱かれたことはある。が、その時はゆっくり夜景を見るような時間はなかった。少年に見える風景は、ベッドの上の天井くらいだった。
「いつもこういうことをしているのかい?」
男の人は上着を脱いで、ソファに座っている。
「まあ、ね」
少年が夜景から顔を反らせた。男と目が合う。
「いつもあの店に?」
少年は答える代わりに男に近寄り、隣に座り、太ももの上に頭を乗せた。
「いくらだ?」
話が早い。先に金額を決めておけるのは気が楽だ。
「千円とか・・・」
無理だろうな、と思いつつ、ふっかけてみる。
「いいよ」
男は即答した。少年は少し不安になる。これまで、それなりの金額でOKしてくれる人は大抵ろくな人じゃなかった。
「心配か?」
少年が体を硬くしたのを感じたのか、男が言った。
「そういう経験があるってことか」
「そういう経験って?」
「高い金ふっかけて、酷いことされたとか」
まあ、その通りだ。少し時間をおいてから、少年は無言で頷いた。
「だったら、こういうことは止めておきなさい」
その「こういうこと」がどのことを指しているのかが分からない。うかつに答えるよりは黙っている方がいい、というのがこれまで少年が学んだことだった。
男が立ち上がる。掛けてあった上着の中から財布を取り出し、そこから札を1枚抜き取る。
「ほら」
それを少年に差し出した。千円札だ。少年は動かなかった。
「ほら、君が言った金額だ。受け取りなさい」
それでも少年は動かなかった。すると、男が笑った。
「自分で不安になるような金額をふっかけるんじゃない」
札を持ったまま、少年の横に座る。そして、少年の肩に腕を回してキスをした。少年の顔を見る。目を見る。その目の中に少年を怯えさせるような色は見えない。
「ほら」
もう一度札を差し出した。
「あ、ありがとう・・・ございます」
少年はおずおずとそれを受け取った。そして、男に手を引かれ、ベッドに上がった。
「ああっ」
男のペニスが少年の肛門を突き上げる。その動きは少年の体が浮き上がるのではないかと思う程激しい。でも、乱暴ではなかった。激しい、優しい動き。それは、男が欲望を満たすための動きというより、少年を気持ち良くさせる為の動きだった。そしてその通り、少年は何もかも忘れて男を受け入れていた。そんなセックスは初めてだ。
男が小刻みに腰を揺らす。
「あ、あ、あ、あ」
それに合わせて少年の口から喘ぎ声が漏れる。ベッドの向こうの鏡に少年の顔が写っている。その顔は、まるで熱に侵されているかのように赤く紅潮し、緩く口を開き、その口の端から涎が垂れていた。少年はその涎を腕で拭う。その腕を男が背中から掴み、引き寄せる。少年はベッドの上で男に背後から入れられたまま、体を起こした。
「ほら、君はここがいいんだ」
男は奥まで突かない。途中で腰を上向きに動かし、少年の体の中の一点を突き上げる。
「ん・・・」
鏡の中の少年の顔の眉間に皺が寄る。少年の背後から男がその鏡に映った顔を見た。
「君は、気持ち良くても痛そうな顔をするんだね」
少年の腕を掴んでいた手を離す。その手が少年の腰に回る。腰から腹、胸へと動く。
「ああっ」
その手の刺激が少年を喘がせる。
「分かってる。もう、なにをされても気持ちいいんだって」
片方の手が少年の胸を這い回る。もう一方は少年の頬を撫でた。
「は・・・」
少年の口が少し開き、男の指を咥えた。その指に舌を絡ませる。男が少年の口の中で指を動かす。
「はぁ」
溜め息が漏れる。男が少年の背中に体を押し付け、奥まで入れる。
「ああっ」
それもまた気持ちいい。男が言った通り、少年は男の成す行為全てを気持ち良く感じていた。
男が腰を動かす。それに合わせるように少年の勃起したペニスが揺れる。少年の手がそのペニスを掴もうとした。が、男がその手首を掴む。
「だめだ」
少年の右手を掴んだまま、肛門を責める。奥まで突き、途中まで戻し、そして少年が感じる部分を突く。
「はぁ・・・はぁ・・・」
少年の意識が飛びそうになる。いや、すでに飛んでいるのかもしれない。
「ああぁ」
大きな声を出した。そして、頭が真っ白になった。
強烈な快感が、男が突き上げる場所から少年の全身に押し寄せた。
「手を使わずにいったのは始めてか?」
少年はベッドの上でうつ伏せになっていた。その頭が微かに上下に動く。
「そうか」
男はそれだけ言った。
少年は体が動かせなかった。いや、体が動かないというべきだ。痛いくらいに強烈な快感が体中を襲い、その反動なのか、体に力が入らない。
すると、男が少年に声をかけた。
「しばらくゆっくり眠るがいい」
少年は目を閉じた。ベッドが揺れる。目を開く。男がベッドの端に座っていた。
「可愛い子だ」
男が少年の頭を撫でる。少年は何故かそれで安心する。しばらく経つと、軽く寝息を立てていた。
大きな戦争が終わり、多くの被災者も、ようやく明日のことを考える余裕が持てるようになってきたその時代。しかし、少年のように戦争で親を失い、生きる術を持たない者もまだ多くいた。その中で、彼のように自分を捨てることが出来る者は日々の糧にありつき、捨てられぬ者は、どこかの道端か建物の隅で朽ち果てる、それが当たり前の時代だった。他人の心配が出来るような時代はまだもう少し先の事だった。
そんな中、男のように財を成す者もいた。血で染まった金で成り上がった戦争成金、そのように彼等を呼ぶ者もいた。
が、彼等がこの先、この国が立ち直っていくための原動力となっていく。それはまだ少し先の話だ。
男は眠っている少年を見つめた。
(年の頃は、12、3といったところか)
タバコをくゆらせながら見定める。床で丸まっている、少年が着ていた服に目を落とす。
(こんなことでもしなければ、生きてはいけないか)
元の色も、いつ洗ったのかも分からないようなその服を見下ろす。
(せめて、今はゆっくり眠ればいい)
ベッドの空いた所に腰を掛け、少年の頬に軽く触れた。寝息が手にかかる。ゆっくりと頬を撫で、髪を撫でる。
「んん・・・」
少年が声を出す。それに続いて、何事かつぶやいた。が、それは意味を成す言葉として聞き取ることは出来なかった。
ぴくっと手が動く。その手を男が握りしめる。少年の手のひらに少し力が入る。
「んん」
その手に力がこもる。
(いい夢ではなさそうだな)
男はまた少年の髪を撫でる。今度は少し強く。
「ん・・・」
少年がうっすらと目を開く。
「・・・あっ」
少し寝ぼけているのか、目の焦点が合っていない。が、少年は男を見上げる。
「そろそろ行くか?」
少年は無言で男の腰に手を回し、男の太ももに顔を押し付ける。
「こんな甘えん坊だったか?」
普段の少年なら反発しそうな言葉だ。でも、少年は顔を男の太ももに押し付けたまま頷いた。
「そうか」
男はそう言っただけで、そのまま動かない。
結局、二人がホテルを出たのは、明るくなってからだった。
「良かったでしょ?」
ママが帰って来た少年の顔を見るなり言った。
「まあね」
少年は短く答えた。
「たまにはいい目も見ないとね」
すれ違いざま、ママが笑顔で言う。その通りだ。この生き方、たまにはああいうことがあってもいいだろう。少年は心の中でママに同意した。返事の代わりに振り返ってママの顔を見た。
「でも、たまぁにああいう人がいるから、抜け出せなくなっちゃうってのも事実なのよね」
(それもそうだな)
少年は部屋に戻った。
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