1.親友

目が覚めた。
「おはよう、クラウス」
枕元のぬいぐるみに声を掛けた。ぬいぐるみが少し体を起こす。
「おはよう、将馬君。今日は2079年12月12日の火曜日、今日もいい天気だよ」
クラウスが顔を窓の方に向ける。僕は質素なベッドから起きだして、カーキ色のカーテンを開いた。まぶしいくらいに明るい光が窓から入ってきた。
「ねえ、昔の夢を見たんだ」
クラウスに話し掛ける。
「どんな夢?」
「もう、4年くらい前だっけ、一緒に古い基地に迷い込んだときの夢」
そう、あの場所は使われなくなった古い軍の基地で、すでに廃墟になりつつあった場所だった。
「あのパソコンがあったところだね。5年前だよ。将馬君が8才のときだから」
パジャマのままベッドに座ってクラウスと話をする。
「あの頃は、自由に外に出られたのにね」
「それは仕方がないよ。今は戦争中なんだから」
僕等の国は今、大きな戦争に巻き込まれていた。それはこの国だけじゃない。世界のほとんどの国がそうだった。
「そうだね」
戦争はもう3年続いていた。でも、戦争に巻き込まれてはいたけど、僕等の国にはほとんど被害がなかった。それは不幸中の幸いという奴だろう。
「いつになったら戦争終わるかな」
はっきりした答えは返ってこないことは分かっていた。でも、朝、それをクラウスに聞いてみるのが僕の日課になっていた。
「さあ、どうだろう、分からないね」
本当だろうか、と思う。だって、クラウスに内蔵されたAIは、世界中のコンピュータと繋がっている。敵国のコンピュータとも。
「クラウスなら何でも分かるんじゃないの?」
「僕にも分からないことはあるさ。それに情報は全てが正しいとは限らない。こんな時だから、正しくない情報をわざと流しているかも知れないし」
これも何度も聞いた答えだった。この小さなぬいぐるみに内蔵された量子AIチップ、僕が小さいころは、クラウスなら何でも分かるし教えてくれると思っていた。でも、最近では世界はそういうものじゃないってことも分かっている。
「ごめんね、僕が戦争終わらせられたらいいんだけど」
僕の表情を見て、クラウスが言った。
「クラウスが悪いんじゃないよ」
僕は立ち上がり、服を着替える。クラウスを抱えて部屋を出た。

「おはよう、将馬」
「おはよう、和仁(かずひと)
「おはよう、クラウス」
「おはよう、ムサシ」
学校に行くために兵舎を出たところで、官舎から歩いてきた和仁に出会った。和仁はムサシを抱えている。ムサシはクラウスと同じようにAIが内蔵されたぬいぐるみで、生きているみたいに動いて僕やクラウスに挨拶してくれる。AIチップ内蔵のぬいぐるみを持っているのは僕と和仁だけじゃない。今、10人に一人くらいはAIぬいぐるみが国から支給され、このぬいぐるみを通して国からいろいろなサービスが提供されている。例えばクラウスを抱き締めると、僕の体温や呼吸の状態、血圧とかいろいろなものをチェックしてくれる。もしおかしなところがあったら病院に行くことを勧めてくれて、必要なら病院の予約もしてくれる。こんな便利なぬいぐるみが国民全員に支給されていないのは、量子AIチップの製造が追いついていないからだ。特に今は戦争中だから、そういうものは戦争のためのものに優先して使われる。だから、ここ数年は上級士官以上の軍人やその家族以外には支給されていないらしい。和仁のお父さんは少佐だから、和仁にも支給されているって訳だ。

「ねえ、今日学校終わったら遊びに行ってもいい?」
学校に向かって歩きながら、和仁が僕に尋ねた。
「それは・・・」
和仁が少しうつむく。それは、だめだということが分かっているからだ。
「今日はだめだよ」
「今日も、でしょ?」
僕は黙ってうなずく。
「やっぱり・・・あれ、するんだ」
「うん」
和仁の顔が不満そうな表情に変わる。
「『任務』だから」
僕がそう答えると、和仁は少しの間、黙ったまま何も言わなかった。
「和仁」
僕が言い掛けると、それに被せるように和仁が言った。
「分かってるよ。分かってるけど・・・」
そしてまた黙る。
「ごめん」
「仕方ないよね。『任務』なんだし」
また僕に被せて言った。
「うん」
二人無言で歩く。和仁の手が僕の手に当たる。当たるというか、触れる感じだ。小指が当たる。僕も手を和仁の手に触れるところまで動かし、和仁の手を握る。和仁も握り返す。僕等は互いの顔を見つめる。
「もう学校の前だよ」
ムサシが言った。でも、僕等は構わずに立ち止まり、キスを交わした。
「おはよう」
そんな僕等の横を友達が通り過ぎていく。僕はキスをしたまま、軽く手を上げた。



クラウスが僕の所に来たのは、僕が6才の時だったから、もう7年前になる。
クラウスに搭載されている量子AIチップは、今、和仁のムサシに搭載されているような量産タイプじゃなくて、初期のプロトタイプ三つのうちの一つだ。プロトタイプだからといって劣るってものじゃない。むしろ逆で、軍事用に開発されたプロトタイプだからこそ、量産タイプでは削られた機能が入ってるし、耐久性だって遙かに上だ。流石にそこまでの機能とか耐久性は必要ないってことで、その後それらの機能が削られて、量産タイプが出来たって訳だ。だから、僕とクラウスは量産型のAI搭載ぬいぐるみが普及する前から一緒にいる。その間、クラウスは一度も動かなくなったり故障したことはない。ずっと一緒だ。僕にとってクラウスは弟だし、ひょっとしたらクラウスも僕を兄のように、いや、僕はいろいろ手がかかるらしいから、むしろクラウスの方が僕を弟だと思っているかも知れない。
どっちにしても、クラウスは誰よりも大切な友達であり、仲間であり、兄弟だ。

和仁と一緒に教室に入る。
「やあ、おはよう」
みんな僕等に挨拶する。もちろん僕等も挨拶を返す。みんな、ぬいぐるみを抱えている。つまり、みんな軍人の子供か、あるいは僕のような軍関係者の息子だという訳だ。

このキャンプ苫谷(とまや)の幼年学校には、僕と同い年の人が24人通っている。3分の2くらいは父親が他の軍事施設に所属していて、僕と同じように兵舎で一人で生活している。残りの3分の1は、父親がキャンプ苫谷の関係者で、近くに家族と同居するための官舎があてがわれている。官舎組はそこから学校に通っている。
以前は兵舎組は官舎組から下に見られていた時代があり、差別的なことやイジメのようなこともあったらしい。でも、そんなことは軍人として恥ずべきことだとして、今の校長が徹底的に差別を排除し、今は父親の立場の上下や官舎組、兵舎組を問わず、生徒達は全く平等に学校生活を送れるようになっていた。

「竹内、この条件で敵地を攻略するには、次になにをするのが最適だ?」
教官が竹内君に質問した。
「はい、それは」
竹内君も軍人の子、しかも父親は将官の官舎組だ。この程度の戦術的な問題は簡単に答えを出す。
「じゃあ、そのための戦術と、投入すべき兵器はなにが最適だ?」
竹内君が少し考えた。
「じゃあ、能美、どうだ?」
教官が僕を指名した。
「はい、その場合はまず敵の動きを止めるために」
僕は話し始める。そんな僕をみんなが見ている。少し笑っている。でも、僕は構わず話し続ける。足止めと情報の封鎖、体勢が整ったところで敵基地への大規模攻撃。
「分かった。もういい」
教官も少し笑って僕を制した。
「お前は放っておくと1時間しゃべり続けるからな」
教室のみんなが笑った。

僕のお父さんは理論立てて話すのが大好きな人だ。僕と話すときも、論理的な思考と順序だった説明を求めてくる。軍人として戦略や戦術を語るときも、手持ちの情報を総合し、理論的に推論しながら筋道を立てて話をする。そういう人だ。
そして、その血は僕の中にも流れている。僕もそうやって話すのが大好きだ。それを、みんなもよく知っている。だから僕が戦術について語り始めると、みんなは半分笑いながら、でも興味深そうに耳を傾けてくれる。
「やりすぎだよ」
席に座ると、クラウスが小さくささやいた。
「まだまだしゃべりたかったのに」
そう言うと、クラウスが両手で軽く僕の頬を挟んだ。
「はい、お口チャック」
これはお父さんもよくやっていたことだ。つまり、『黙れ』ということだ。
授業は続いていく。さっき僕が言ったことに基づいて、それぞれのステージでどういう戦術を用いるか、それにどういった兵器が適しているかについての説明だ。
僕はそれをうずうずしながら聞いている。
(僕なら)
頭の中で妄想しかけたところでクラウスが僕の腕を軽く叩いた。
「授業に集中だよ」
「分かってるよ」
分かっていないけど、そう答えた。

「なにかまた新しい情報仕入れたの?」
授業が終わると、和仁が僕に近寄って質問してきた。
「いや、別に」
僕はにやっと笑って答える。
「どうなの?」
今度は僕じゃなくてクラウスに聞いた。
「いや、別に」
クラウスは僕と同じように答えて、僕と同じように、にやっと笑う。
「まだ言えない情報なの?」
他にも2、3人が僕の周りに来た。さっき答えていた竹内君もいる。
「それも言えないな」
僕は笑ってごまかした。
「教えろよ」
竹内君が僕を背中から羽交い締めにして、別の奴が僕をくすぐった。クラウスも、彼等のぬいぐるみに同じようにされている。
「だから、言えないんだって」
僕は笑いながら答える。くすぐったくて涙が出て来る。みんなの手から逃れようと体をよじった。しばらくそんなふうにされていたけど、やがてみんな手を放す。僕は涙を拭う。
「相変わらず口が堅いな。軍人として褒めてやる」
一人が偉そうに言った。
「軍人として、拷問のやり方がまだまだ甘いな」
僕はそいつに言い返し、体を翻してまたくすぐろうとするその手から逃れた。振り返るとクラウスが捕まって、僕の代わりにくすぐられていた。

実際のところ、昨日の夜、お父さんと話をして少しそういうことを聞いていた。
お父さんは、今は東京にある軍の中央研究所の所長だ。だから僕とは離れて暮らしている。そんなお父さんとは、クラウスを通じて会話出来るようになっていた。もちろん軍の秘匿回線を使っている。それに、お父さんが話してくれるそういう情報は、実際にはもう機密扱いが解除されている情報だけだ。本当の機密情報は、相手が家族でも明かすことは出来ない、当たり前だ。

「ねえ」
学校からの帰り道、僕は和仁と一緒に歩いていた。
「最近、情勢が悪いらしいって聞いたんだけど」
和仁は教室のやり取りから、僕が何か情報を知っていると思っているようだ。
そして、そういう情報を僕は知っていた。
僕のクラウスは、この世界のあらゆるコンピュータと繋がっている。その中には敵国のコンピュータも含まれている。だから、そこで得られる情報ならクラウスが教えてくれる。
「そうらしいね」
僕は短くそう答えた。
「なにを知ってるのか、教えてくれない?」
和仁が少し遠慮がちに僕に言った。もちろん、そういうことはひょっとしたら軍の機密情報であるかも知れない、ということは和仁も分かっているってことだ。
「本当の情報かどうか分からないけど」
僕はクラウスを抱える手に力を入れた。
「少し情勢が悪くなってる、それは確かだよ」
クラウスが言った。
「でもね、別に悲観するようなことじゃない。ただ、この国も少し戦争の影響を受けそうだってこと」
「攻めてこられるの?」
和仁がクラウスに尋ねる。その声は、その答えを知っているような気がした。
「知ってるんでしょ?」
クラウスは僕と同じことを感じたようだ。ムサシに顔を向ける。
「君もこの情報、掴んでるんだよね?」
ムサシはうなずいた。
「噂になってる。首都防衛の作戦が練られてるって」
僕がクラウスから聞いていたのと同じような情報だった。でも、僕はもう少し詳しく聞いている。
「一般回線だと、この辺りが限界なんだ」
ムサシが少しすまなさそうに和仁に言った。
「まだ噂レベルだからね。軍からの正式な発表はないよ」
クラウスは、僕の手の中でもがいた。クラウスを地面に下ろす。
「詳しくは言えないけど、連合国側は、ヨーロッパで遂行したある作戦に失敗した。作戦を放棄して撤退したんだ」
クラウスが地面に立ち、腰に手を当てて僕等を見上げて話した。
「ヨーロッパで・・・」
「うん」
クラウスは和仁と話していた。
「でも、これでアジアの西側に対するヨーロッパでの押さえ込みが緩むことになる。この先、アジアの東側、つまりこの辺りの戦況が大きく動く可能性もある」
僕はクラウスの顔を見た。僕の意図をクラウスは理解してくれた。
「あくまで可能性だけどね」
クラウスが笑顔を見せる。
「そうなんだ」
でも、和仁は不安そうな顔をしている。
「ねえムサシ、どう思う?」
和仁の代わりに僕がムサシに尋ねた。
「今の軍事力の差を考えたら、そう簡単には戦局は変わらないだろうね」
ムサシを抱く和仁の手に少し力が入った。
「大丈夫だよ、ヤバくなったら真っ先に教えるから」
僕は和仁に言う。ちょうど兵舎の入口の前だ。
「じゃ、僕はここで」
一瞬、和仁が暗い顔をする。
「『任務』?」
小さな声で言った。
「そうだよ。また明日、学校でね」
僕はなるべく明るい声で言う。
「また明日」
和仁とムサシが声を揃えた。
官舎に向かって歩いて行く和仁とムサシに、クラウスが手を振った。

兵舎の自分の部屋に戻る。
「あれで良かったの?」
クラウスに尋ねた。
「ああ。今、この国が置かれている状況はあまり良くないが、まだ和仁君達が不安になるような段階には至っていないからね」
クラウスの、穏やかな黒茶色の目が僕を見ている。
「うん」
クラウスをベッドに置く。そのクラウスが立ち上がる。
「もしもの時は、君達にはちゃんと情報を伝える。不安になるとしたら、それからだ」
僕はベッドに座ってクラウスに尋ねた。
「大丈夫だよね、お父さん」
「ああ。君達は大丈夫だよ」
そう言った後、クラウスの首が垂れた。
「だってさ」
クラウスがまた首を上げる。
「お父さんも、いろいろ言えないことがありそうだね」
クラウスを抱きかかえる。
「大丈夫だよ、将馬君には僕がいるんだから」
「そうだよね」
そうだ。クラウスは世界のあらゆるコンピュータと繋がっているんだ。そして、お父さんとも。


      


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