クリームパイ

Final-01

「ご飯出来たわよ」
美和子の大きな声が聞こえた。部屋で勉強をしていた裕太は、座っていた椅子をくるりと回して惣一に言う。
「惣ちゃん、ご飯だって」
惣一は裕太が向かっていたノートを覗き込む。
「このページの終わりまでやってからだ」
「ええぇ」
裕太は盛大に不平を漏らす。
「裕太君がなかなか問題解かないからだろうが」
「だって・・・」
(ったく、頭は悪くないんだけどな)
惣一は心の中でつぶやいた。いや、むしろかなり頭はいい筈だ、と思っている。それなのに成績が上がらないのは裕太の性格の問題だろう、とも。
「ちぇっ」
ぶつくさ言いながら、裕太は机に向かった。

美和子は、裕太の部屋の入り口に立って、そんな二人を微笑みながら見つめていた。
(まるで歳の離れた兄弟みたい)
二人の仲の良さを見ていると安心するとはいえ、ずっと見ている訳にもいかない。
「ほら、もうそこら辺にして終わりなさい。ご飯冷めちゃうわよ」
「ほら、冷めちゃうって」
裕太が自分が正しかったとでも言いたげな顔で惣一を見た。
「岡崎君も疲れたでしょ、ご飯召し上がって」
「裕太君にもうちょっとやる気があるといいんですけどねぇ」
惣一が美和子に言った。
「なんだよ、それ」
裕太がふてくされる。
「惣ちゃんの教え方が悪いんだよ」
そう言いながらも、二人並んでテーブルに座る。
「裕ちゃん、そんな言い方しないの」
美和子がたしなめる。
「それに、勉強見てもらってるときは惣一先生でしょ」
「分かってるよ」
裕太がふてくされて見せる。
「この子、岡崎君がいない所では、いっつも惣ちゃん、惣ちゃんって言ってるのよ」
「そ、そんなこと、今言うなよ」
惣一は裕太の横顔を見た。裕太の顔が真っ赤になっている。
「そっかぁ」
惣一はニヤニヤしながら言う。
「もう、あっち行け」
裕太は椅子をガタガタと揺らして少し惣一から離れた。

「じゃ、ごちそうさまでした」
「惣ちゃん、また明日」
「ああ、明日、続きな」
惣一は美和子と裕太が住むアパートの部屋を出た。階段を降りて、自分の部屋に帰る。ちょうど美和子達の部屋の真下だ。
電気のスイッチを入れる。先程の裕太達との楽しい夕食の後では、その部屋で一人でいるのは少し寂しいと思う。時計を見ると、まだ8時過ぎだった。
「はぁ」
少し溜め息を吐き、伸びをする。気持ちを切り替えて、大学の課題に取りかかった。

大学進学で地方からこの地に出てきて、最初の課題は家探しだった。惣一の実家は貧乏という訳ではないが、惣一の学費、生活費に家賃まで負担出来るほどではなかった。惣一も少なくとも家賃と生活費はアルバイトでなんとかまかないたいと考えた。そのため、なるべく学校に近くて、それでいて家賃の安い物件を探し回った。その結果、見つけたのがこのアパートだ。少し古くて、風呂も小さい。そして、家賃も安い。そこならなんとか自分で家賃を払って行けそうだった。
そこに引っ越した初日、惣一はコンビニのアルバイトから深夜に帰宅した。アパートの前に、そこには全く似つかわしくない大きな黒いベンツが停まっていた。
(まさか、ここの住人の車じゃないよな)
少し離れた所を通って自分の部屋に帰る。風呂に入り、さあ寝ようとしたときだった。
「うぅ・・・」
小さな声が聞こえたような気がした。惣一は聞き耳を立てる。
「ひぃ」
確かに声が聞こえた。女の泣いているような声。
「あぁぁぁ」
(な、ま、まさか、幽霊?)
一応、ここの契約をするときに大家には確認した。事故物件ではない、と言っていた筈だ。しかし、女のすすり泣くような声が確かに聞こえる。
「うわぁ」
飛び起きて電気のスイッチを入れた。蛍光灯の光がまぶしく感じる。だが、声はまだ聞こえている。
周りを見る。もちろん誰もいない。声はしている。
(まじかよ)
部屋の隅にうずくまり、布団に包まる。
「ひぃぃぃ」
聞こえ続けている。その声は右隣からでも、左隣からでもない。かといって、この部屋のどこかから、という訳でもなさそうだ。
(上?)
ここに引っ越すときに、このアパートの各部屋にお菓子を持って挨拶に回った。このアパートは全部で6部屋。今は全部屋入居済みだ。
(この上って・・・)
挨拶に行ったとき出てきたのは小さな男の子だった。小さな、といっても小学5、6年くらいの少年だ。その少年と少し話をしたが、母親と二人暮らしということだ。
(え?)
母親。表にベンツ。
(ひょっとして)
惣一は聞き耳を立てた。
「ああっ」
(この声)
「んんん」
女の声に間違いない。でも、それはすすり泣いているのではないのかも知れない。
「あぁ」
(やってる・・・のか?)
惣一は童貞だ。女性との経験はない。したがって、本当にこの声があの時の声なのか、少し自信はなかった。そうやって聞き耳を立てているうちに、急に声がしなくなった。それから2、30分ほど経ったころ、ドアが開く音がし、階段を降りてくる靴音がし、そして、車のエンジン音が聞こえた。
(そういうことか)
あのベンツの持ち主と、上の階の母親がそういう関係らしい、ということだ。
(じゃあ、あの子は今、どうしてるんだろう)
ここにも聞こえる程の声だ。そんな声がしている部屋で普通に子供が寝ているとは思えない。
(いったい、上の部屋はどうなってんだ?)
そのうち、何か理由を付けて上の部屋を探ってみよう、そう惣一は思った。

その上の部屋、というのが裕太と彼の母親、美和子の部屋だ。

ある日、大学からの帰り道、公園のベンチにしゃがみ込んで何かをしている裕太を見つけた。裕太とは、引っ越しの挨拶に行った時に顔を合わせているので声を掛けやすかった。
「やあ」
裕太が顔を上げた。
「えっと、下の部屋の」
「なにしてるの?」
惣一はベンチに広げられているノートと教科書を見た。
「うん、宿題」
「こんなところで宿題してるんだ」
「まあね」
少し宿題の手伝いをしながら、何気なく、あの夜、何があったか聞いてみた。
「んっと、たぶんその夜は修ちゃん家に泊まってたと思う」
惣一が少し首を傾けたのを見て、裕太は説明する。
「幼なじみなんだ、修ちゃんは」
「へぇ、時々泊まったりするの?」
「うん」
なるほどな、と惣一は思った。だから、その機会に男を引っ張り込んだか、あるいは男を引っ張り込むためにそういう機会を作ったのか、ということか。
「今度、家においでよ」
「ああ、そのうち寄せてもらうよ」
社交辞令のようなつもりだった。が、まさかほとんど毎日行くようなことになるとは思いもしなかった。

数日後、惣一の部屋のインターホンが鳴った。
「はーい」
ドアを開けると、裕太と女性が立っていた。
(あ、この人か)
何となくその女性が裕太の母親だと直感した。
「初めまして。上の部屋の降幡です」
初めて裕太の苗字を知った。確か、部屋の表札には何も書いてなかった、と思う。
「あ、初めまして。先日引っ越してきた岡崎です」
ひとしきりあいさつが済むと、裕太が部屋の中を覗き込んだ。
「なんにもないじゃん」
「こらっ」
裕太の母親がたしなめる。
「あ、いえ、引っ越したばかりで、学校で必要な物以外はほんとになにもないんです」
すると母親が尋ねた。
「学校はどちらに?」
学校名を答える。そんな惣一と母親の顔を裕太は交互に見上げる。
「ね、あの話」
裕太が言うと、母親は分かってるとでも言いたげにうなずいた。
それが、家庭教師の話だった。

裕太に初めて会ったとき、てっきり小学生だと思った。背が低く、華奢な少年。恐らく小学校5年か6年くらいだろうな、惣一はそう見積もった。が、公園で広げていた教科書は中学1年の物だった。
(え、中学生だったんだ)
少し驚いたことを思い出した。
「先日、この子が宿題を見てもらったって話をお聞きして、もし出来るなら、ちょっとこの子の勉強を見てもらえないかな、と」
裕太が笑顔で惣一を見上げている。
(ということは、裕太君がお母さんに話して頼んだんだろうか)
「あ、でも、学校とかバイトとかもあって」
「空いてる時間に少しでいいんです。あんまりお給料とかお払い出来ないし」
ますます裕太がわがままを言ったんだろうな、という思いが強まった。
(しかし、あの時にそんな家庭教師をしてほしいと思うようななにかあったっけ?)
「アルバイトがない日に、学校から帰ってきてからで良ければ」
さっき裕太が言った通り、この部屋には何もない。やることも特にない。そんな時間に多少なりとも収入が得られるのならば。
「じゃあ、お願い出来れば・・・お勉強が終わったら、お夕飯もウチで食べていって頂ければ」
「お母さんの料理、美味しいよ」
口を出さずに聞いていた裕太が言った。
「そっかぁ、じゃ、やらせていただこうかな」
少し腰を屈めて裕太の顔を見て言う。案の定、顔がぱっと輝いた。
「ありがとうございます。この子が勉強教えてもらいたいって言い出すなんて、奇跡みたいなことですし」
「勉強好きなのか?」
「嫌い」
間を置かずに裕太が答える。
「でも、お兄さんに教えてもらって少し分かった気がしたから」
それからバイト料の話をする。裕太の母親が提示した金額は、確かにかなり安めだった。が、これに夕食が付く。しかも、裕太と仲良くなれる。惣一はその金額で了承した。



(あの裕太君に勉強教えるのか・・・)
その夜、布団の上で惣一は考えていた。
(家庭教師と生徒が、なんて話、実際にはどの程度あるんだろうな。しかも、男同士で)
惣一はゲイだった。それを誰にも悟られぬようにこれまで生きてきた。とはいえ、そういう経験はもちろんある。男性との初体験は高校2年の夏休みだった。1年後輩に手を出したのが最初だった。
(あの子、結構かわいいしなぁ・・・)
中学生。もし、そういう関係になったら・・・
惣一はその日、裕太で抜いた。

<クリームパイ Final-02 に続く>

      


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