次の日、惣一はコンビニでのアルバイトがある日だったので、学校の帰りに直接バイト先に行った。帰って来たのは夜中なので裕太と顔を合わせる機会はなかった。
最初の機会はその翌日だった。惣一が裕太の部屋に行くと、笑顔で迎えてくれた。
「お母さんは?」
「今日はお仕事、遅くなるって」
裕太の部屋で二人きりになる。良からぬ思いが頭を擡げる。
「まず今日は宿題は?」
裕太が教科書とノートを広げる。
「じゃ、まず自分でやってみて」
「ええぇ、教えてくれるんじゃないの?」
(それは、教えてもらうんじゃなくてやってもらうってことだろ)
「まずは自分でやる。裕太君の宿題なんだから」
「ちぇっ」
裕太は一人で机に向かう。惣一はその横で部屋にあったスツールに座って持参した本を開く。本を読みながら、時々裕太の宿題の進み具合を確認する。案の定、なかなか進まない。今日は数学の宿題だが、さほど難しい内容でもなさそうに見える。
裕太が惣一の顔を見つめていた。
「な、なんだよ」
「分かんない。教えてよ」
あまり自分で解こうという意思を感じられない。
「どこが分からないんだ?」
「それが分かんない」
(漫才みたいだな)
ノートを見てみる。やってある問題もあるが、半分以上手を付けてない。
「こんなの、公式習っただろ」
一応、惣一も家庭教師のアルバイトをすると決めた以上、学校で中1ではどこまで習うのかは確認済みだ。
「習ったけど、分かんない」
「覚えてないのか?」
「覚えてる」
「だったら、公式に当てはめて」
「だから、なんで公式使うんだよ」
(そこからか)
初日にして少し辟易する。
「先生も公式覚えろって言うけど、なんでその公式なの?」
(ん?)
ちょっと予想外の質問だった。
「それ使えば解けるってのは分かるけど、どうしてそれ使ったら解けるのか分かんない」
「つまり、丸暗記の公式じゃなくて、どういう風に考えて、どう解けばいいのか理解したい、どうして公式を使えば解けるのかというところを理解したいってこと?」
「そんな感じ」
(この子、馬鹿じゃない)
公式の成り立ちなんて所は惣一もあまり覚えていない。うろ覚えの知識で説明を試みる。すると意外なことに、そのうろ覚えの部分を裕太は自ら考えている。二人で公式の成り立ちについての説明を組み立てる。
「分かった」
裕太は特に嬉しそうでもなく、そうつぶやいた。
「じゃ、やってみる」
裕太の手が進む。
(苦手とか嫌いとか出来ないとかじゃないんだ。ちゃんと理解したいだけだったんだ)
横からのぞき見ながら惣一は思う。さっき出来なかった部分をどんどん解いていく。
と、ドアが開く音がした。裕太の母親が帰ってきたんだ。時計を見ると、もう8時になろうとしていた。
「岡崎君ごくろうさま、晩ご飯食べていってね」
ドアの外からそう声がした。
「今日のご飯なに?」
裕太が大きな声を出した。
「今日はトンカツよ」
裕太が惣一の顔を見た。
「とんかつだって」
嬉しそうな顔だった。
テーブルで裕太は母親と向かい合って座り、その裕太の隣に惣一は座っていた。
「ね、お母さんの料理、美味しいでしょ?」
惣一は大きくうなずいた。
9時を過ぎた頃、惣一は帰宅した。
「なんならお風呂にも入っていって」
そう裕太の母親に言われたが、それは遠慮した。裕太の家で、裕太のいるところでお風呂に入ると爆発しそうだ。何かのはずみで一緒に入ろう、なんて言われたら、理性が吹き飛んでしまう。もっとも、二人で入るにはこのアパートのお風呂は小さすぎる。今日はそれが救いだった。
自宅に戻って明日の学校の準備をする。風呂に入る。
(裕太君・・・)
地頭は良さそうだし、理解すれば一気に進む。
(なかなかいい子だなぁ)
それがただの家庭教師と生徒としての感情ではないことは、惣一は自覚している。
(しかし、あの母親がなぁ・・・)
ベンツ。裕太の母親。あの声。一気に気持ちが萎んでいった。
家庭教師を終えたある日の夜、惣一の夢に裕太が出てきた。
裕太は全裸だった。その体は小さく、華奢で美しかった。そんな裕太を抱き締める。
「ああっ」
裕太が声を出す。滑らかな体を撫で回す。そして、股間に手を這わせる。少しだけ生えた柔らかい陰毛。その奧に、裕太自身がある。それを握る。裕太も惣一を握り、扱いている。
「ああ、イく」
射精する。それが小さな裕太の顔面にかかる。裕太は精液が飛び散った顔で惣一を見上げる。
「やべっ」
惣一が布団から飛び起きた。下着の中に手を入れる。
「ああ、やっちゃった」
夢精していた。数年ぶりの夢精。その原因は・・・
「ああ」
小さな声が聞こえた。
(またか)
惣一はもう何度もその声を聞いている。ある意味、慣れてしまっていた。が、夢の中ではその声は裕太が出していた。
(まあ、まだ子供だから、きっと声もこんな感じなんだろうな)
今日は10時前まで裕太の部屋にいた。帰って来て風呂に入って明日の準備して、といういつものルーチンを片付けて布団に入ったのは12時過ぎだった。
もう一度眠りに就こうとする。うつらうつらしながらあの声を聞く。
(今日は裕太君は・・・)
はっと目が覚めた。
(そうだ、今日は裕太君のお母さん、夜勤があるって言ってなかったか? だから、遅くまで裕太君の部屋にいたんだった)
ガバッと体を起こす。聞き耳を立てる。
(この声・・・ほんとに、裕太君のお母さんの声?)
惣一は布団の上で上半身を起こしたまま、身動き一つせずに聞き耳を立てていた。どれくらいたったか、その声が聞こえなくなる。しばらくすると、何かを話している声が2つ。一つは少し野太い男の声。もう一つの声。
「次はいつ?」
そう聞こえた。たぶん、裕太の声。それに対して男が何か言っている。
ドアが閉まる音。誰かが階段を降りてくる音。エンジンの始動音。そして、車が走り去る音。
(まさか)
惣一はすぐにでも表に走り出て、その車を確かめたいと思った。だが、体が動かない。
(落ち着け、落ち着け)
繰り返し自分に言い聞かせる。何を落ち着くのかも分からないまま。あの裕太が。小さくて、華奢な裕太が。あんな声で。あのベンツの男と。
何も確証はない。ただ、あの声が聞こえただけだ。車の音が聞こえただけだ。それなのに・・・
いても立ってもいられなくなった惣一は、パジャマのまま外へ出て、階段を駆け上った。裕太の部屋のインターホンを押す。
「はーい」
明るい声でドアを開けた裕太は、全裸だった。
「あっ」
惣一を見て固まる。惣一も固まる。
「ごめん、入っていいか」
惣一は自分の声が少し震えているのに気付いた。裕太は何も言わずに惣一を招き入れ、ドアに鍵を掛けた。
惣一はリビングに突っ立ったまま何も言えなかった。
「あ、あの、僕、お風呂入ろうとしてたんだ」
そう言って裕太は風呂場に向かう。お湯の流れる音。惣一は裕太の部屋のドアを小さく開いてみた。電気は点いていて、布団も敷いてあった。布団の傍らに裕太の服が脱ぎ散らかされている。布団の真ん中より少し手前側に何かのシミ。そっと部屋に入って、そのシミに手を伸ばす。少し躊躇はしたが、そのシミに触れてみる。ヌルヌルしている。匂いを嗅いでみたが、特に何も匂わない。
(ローションか・・・ということは、ここで裕太君はベンツの男と)
と突然、惣一は後ろから誰かに抱き付かれた。もちろん裕太だ。裕太が惣一の背中に抱き付き、顔を押し付けた。
「なにが・・・あった?」
いつもの裕太とは雰囲気が違う。裕太が背中から離れた。裸にバスタオルを巻いただけだ。部屋に入り、電気を消す。そして、バスタオルを床に落とした。
裕太の小さな体。あの夢の中で見たのと同じだった。華奢で美しく、まるで光っているのかと思えるくらい白かった。
「裕・・・太」
そのまま裕太は布団の上に仰向けになる。惣一はその体から目が離せない。股間にペニスがある。上を向いている。
「惣ちゃん・・・」
惣一を見て言った。
「抱いて」
「お、俺、帰らなきゃ」
その言葉に被せるように惣一は慌てて言い、急いで部屋を出て、振り返りもせずに階段を駆け下りた。
惣一は階段を転げ落ちそうな勢いで駆け下り、自宅に飛び込んだ。後ろ手に鍵を掛け、布団の上にあぐらをかいて、掛け布団を頭から被った。
(なんだ、あれは)
白い、裕太の体。いつもの裕太とは全く違う艶めかしさがあった。うっかりすると魂を抜き取られるのではないかと思うくらい、美しく、冷たく、妖しい裕太。
(裕太・・・)
勃起が抑えられない。
「裕太」
惣一は彼の名を呼びながらペニスを握り、扱く。
「裕太・・・」
射精する。そして、我に返る。
あの部屋。裕太の部屋。あの染み、ローションの染み。男。ベンツの男。間違いないだろう、裕太の母親の男。そんな男と裕太が?
惣一はそれを想像する。想像した自分に腹が立つ。
(まだベンツの男が、母親の男が裕太君の相手だと決まった訳じゃないだろ)
行き場のない怒りが湧く。その矛先は裕太に向いた。
(なんで、そんな男と)
(なにがあったんだ)
(なにが起きたんだ)
全く眠れないまま朝を迎えた。
その日は家から一歩も出なかった。裕太と顔を合わせるのが怖かった。次の日も、その次の日も家から出られなかった。
バイト先から電話が掛かってきた。これ以上無断欠勤するならクビだと怒鳴られた。その翌日、仕方なくアルバイトに出掛けた。
ほとんど機械的にアルバイトをこなし、帰宅した惣一のアパートの前に、あのベンツが停まっていた。
惣一は家に帰るのをやめた。どこか、ネットカフェか何かで朝まで過ごそうと思った。
家庭教師のアルバイトは、正直それほど実入りのいいものではなかった。しかしながら、惣一にとってはそれに代えがたいメリットがあった。あの夜のこと、あるいはそれ以降の夜に聞こえてきた声については、気にしても仕方がないと割り切ることにした。時々その声を聞きながら抜く以外は。
「岡崎君、今日もご苦労様」
裕太、裕太の母親とともに夕食のテーブルに着く。
「はい」
美和子がグラスを差し出す。それを受け取ると、美和子がビールを注ぐ。いつからか家庭教師後の夕食にビールが付きものになっていた。
「惣ちゃん、一口ちょうだい」
いつもお決まりのおねだりだ。
「中学生がなに言ってんだ」
惣一は裕太が時々ビールを飲んでいることを本人の口から聞いて知っていた。美和子も知っている。が、やはり「先生」と名の付くことをしている以上、知ってはいても、それをさせる訳には行かないと自分に言い聞かせていた。
(飲んだらあの白い体がピンク色になったりするんだろうな)
酔っ払った裕太を抱いてみたい、という願望も、惣一の中に確かにある。少しいつもより反応の薄い裕太。あるいはぐったりした裕太。そんな裕太を犯す。惣一は勃起しそうになる。
「裕ちゃん、岡崎君の前ではやめときなさい」
美和子が言う。それは裕太が飲むのを半ば公然と認めているようなものだ。
「んじゃあ、エビフライ一つちょうだい」
そう言って、惣一の皿からエビフライを取り、口に運ぶ。
「こら、裕太」
美和子がたしなめる。が、顔は笑っている。
そんな家族の風景。それが惣一にはとても大切な時間に思えた。自宅に帰ると誰もいない。暗く寂しい部屋。別に一人で暮らしていくのは苦にならないと思っていた。が、ここでこうしていると、やはり誰か話す相手がいて、笑い合えることが心の糧になることを実感していた。
特に、惣一にとってその相手が裕太であることが重要だった。
「惣一先生のおかげで、成績上がったんですよ」
クリスマスが終わり、お正月に向けて商店街の飾り付けが変わり始めた頃、裕太の母親が言った。
「もともと賢い子ですから」
惣一がそう言うと、隣に座っていた裕太がわざとらしくふんぞり返る。
「まあ、性格に難ありですけどね」
そう言うと口を尖らせる。理解出来ないことはしたくない、理解出来たらどんどん進む。裕太の性格は相変わらずだった。だから、成績にもムラがあった。それが最近減ってきていることは感じていたし、それに伴って成績が上がってきていることも分かっていた。
「あの、これ、そのお礼って訳でもないんですけど」
美和子が惣一に封筒を差し出した。
「あ、いえ、そんな、必要ないですよ」
惣一は遠慮する。
「じゃ、僕がもらう」
横から裕太が手を出した。
「裕ちゃん、ダメでしょ。これは惣一先生へのお礼なんだから」
「でも、成績上がったのは僕なんだから、僕がもらってもいいでしょ?」
惣一は、もめる二人を笑顔で見つめる。
「じゃ、せっかくですし、いただきます」
封筒を受け取る。
「裕太に取られるくらいならね」
裕太を見て、そう小声で言った。
「ああ、もう」
裕太が拗ねる。そんな裕太をかわいいと思う。
「お前、ほんとにかわいいなぁ」
そんなやり取りを美和子も楽しそうに見ていた。
<クリームパイ Final-03 に続く> |