「今から1時間、お前等三人だけで相談して、誰が一番悪いのか決めろ」
男がそう言って出て行ったのは少し前だと思う。あれからどれ位時間が経ったんだろうか・・・5分なのか、30分なのか、50分なのか。この建物の中には時計は見当たらない。僕等には残り時間を知ることが出来ない。みんな下を向いて床に座っている。表情は見えない。僕だって下を向いて考えている。自分は助かりたい。解放されたい。死にたくない。だけど、誰かは死ななきゃならない。そして、死ぬのは一番悪い奴だ。誰が一番悪いんだろうか。
僕があの時、後輩君に見せつけるようなことをしなければ・・・そう思ったりもする。でも、もちろん殺されるのは嫌だ。しかも、一番酷い死に方で、なんて・・・
あの時、なんで後輩君に見せつけたのか。それは、後輩君にエビラは僕のものだって言いたかったから。なぜそれを言うことになったのか。それは後輩君がエビラにキスをしたからだ。僕とエビラは付き合っていたのに・・・・・
「やっぱり、お前が悪いんじゃん」
顔を上げずに言った。
「僕じゃない」
後輩君の声だ。
「中原がキスしてきたのが悪い」
エビラだ。
「あれは知らなかったんだから仕方ないじゃないか」
あまり大きな声じゃないし、表情も分からない。静かな言い合いだった。
「人の彼氏にキスしておいて、仕方がないじゃ済まないだろ」
「そうそう。その辺歩いてる人に急にキスしまくって、知らなかったじゃ済まないのと同じだろ」
「だったら」
後輩君が大きな声を出した。
「だったら、僕がエビラ先輩のことが好きなの分かってて、二人でしてるところを見せつけてきたんだよね、僕の気持ちも考えずに」
言い終わってから立ち上がり、僕を見下ろした。
「そもそも、お前みたいなやつがエビラ先輩となんて、釣り合わないんだよ」
「僕が誰を好きになろうと、僕の勝手だろ」
エビラも立ち上がった。
「だったら、こいつを好きになったエビラ先輩も悪いんじゃん」
後輩君が僕を指差した。
「僕とエビラはお互い好きなんだから悪くないだろ」
僕も立ち上がる。
「そもそもお前がエビラにキスしなければ、お前を僕の家に呼んだりもしなかったんだし」
「そうだよ。やっぱりお前が悪い」
「そうだ、一番悪いのはお前だろ」
僕とエビラ、後輩君の2対1になった。
「だったら、なんで先に付き合ってるからって言ってくれなかったんですか」
後輩君が、まだエビラに突っかかる。
「先に言ってくれたら、僕はエビラ先輩諦めたし、こんなことにも」
「やっぱりお前が悪いんじゃん」
「だから、付き合ってるって言ってくれてたら」
「お前が僕を好きだなんて知らないし、ななちゃんとだって、その時はまだ」
エビラが言い掛けた。
「え、まだって」
後輩君がエビラを見る。
「エビラ」
(少し言い過ぎだ)
僕は慌ててエビラを止める。
「その時はまだってなんなんだよ」
後輩君がエビラに詰め寄った。そして、僕の顔を見る。
「べ、別になんでもないよ」
そうだ、あの時はまだ僕はエビラのことが好きだってちゃんと気付いていなかった。それに気が付いたのはもっと後。エビラが好きだって言ったのは、今日、ついさっきのことだ。エビラが後輩君にキスされたって聞いて、僕はようやく自分の気持ちに気づき始めたんだった。
「なに隠してんだよ、卑怯だろ」
後輩君の立場としてはそうだろう。僕とエビラがあの頃はまだ付き合っていないということを知れば、キスしたことだってそんなに悪いことじゃなくなるかも知れない。
「卑怯って、なんだよ」
エビラが言った。
「お前こそ、誰かの愛人だったんだろ? そんなお前になんで言われなきゃならないんだよ」
そうだ。後輩君はなんとか組の組長の愛人だったんだ。
「そうだ、エビラが好きとか言いながら、その人としてたんでしょ?」
「そうだよ、僕が好きだなんて、嘘じゃん」
「う、嘘じゃない」
「浮気だろ」
「誰かの愛人だったくせに、エビラにキスするなんて、汚らわしい」
「そうだ」
「だから、僕は」
後輩君が左肩の刺青を手で覆った。
「ヤクザの愛人のくせに」
「それなのに、エビラにキスするなんて」
「最低」
僕とエビラは口々に後輩君を罵った。
「でも、僕は本気でエビラ先輩が」
「じゃあ、その人とはどんな関係だったんだよ」
「そうそう。誰かと付き合ってるくせにキスしてくるお前が悪い」
やっぱりエビラに無理矢理キスした後輩君が悪いんだ。
「無理矢理キスしたお前が一番悪いんだろ」
僕は大きな声で言った。
「そうだ。お前が一番卑怯で悪者だ」
「うるさいうるさいうるさい!」
後輩君が耳を塞いでしゃがみ込んだ。
「なにキレてんだよ」
「ヤクザの愛人のくせに」
後輩君は何も言い返せない。
「中原に決まりだな」
エビラが言った。
(マジかよ)
後輩君が一番悪いってことになった。それは僕も賛成だ。
でも、それって・・・
それってつまり、後輩君が殺されるということだ。そして、誰を殺すかは僕等三人で決める。つまり、僕等が後輩君を殺すって決めた訳だ。それは、僕等が後輩君を殺すのと同じことなんじゃないだろうか。
急に怖くなってきた。
「僕は悪くない」
しゃがみ込んだままの後輩君が小さな声で言った。
「僕はエビラ先輩が好きなだけだ。なにも悪くない」
少しずつ声が大きくなっていく。
「もうお前が悪いって決まったんだ」
エビラが言った。僕はそのエビラの腕を掴んだ。
「でもそれって、後輩君が殺されるってことだよ」
エビラが僕を振り向いた。
「そうだよ、当たり前だ。こいつが悪いんだから」
いつものエビラと目が違っていた。
「エビラ、それでいいの?」
すると、エビラが僕の両方の肩を掴んだ。
「だったらどうしろって言うんだよ、お前が死ぬか?」
目がギラギラしている。その目が少し恐ろしい。
「そ、それは・・・」
「そうだよ、お前が死ねよ」
後輩君が僕を見上げていた。
「お前みたいな奴がエビラ先輩と付き合うのがそもそも悪いんじゃないか」
立ち上がってエビラに詰め寄った。
「エビラ先輩だって、なんで僕じゃなくてこいつなんだよ。エビラ先輩が僕を選ばないのが悪いんじゃないか」
言いがかりだ。でも、今のこの状況では誰もそうは思わなかった。
「そもそも、エビラ先輩が僕の前に現れなければ良かったんだ」
完全に話が飛躍している。だけど、それにも気付かない。
「エビラ先輩が全部悪いんじゃないか」
後輩君が叫んだ。
「エビラ先輩が殺されればいいんだよ」
エビラが後輩君を突き飛ばした。
「僕に死ねっていうの? 将来のテニス界をしょって立つこの僕に?」
エビラがまくし立て始める。
「僕は日本のテニス界の重要人物だろ。なんでお前等みたいな奴等と一緒にこんな目に遭わなきゃならないんだよ」
さらに目がおかしくなっている。
「僕は絶対死なない。僕はテニスの天才なんだから」
(エビラ・・・なに言ってるの?)
「お前等なんかとは違うんだから」
(こんなこと考えてたの?)
いつものエビラからは全然想像出来ない。でも、心の奥でそう思ってたんだろうか。
「は? 県ではトップだけど、全国じゃ全然だめなくせに」
後輩君が食ってかかる。
「今はな。でも、僕は将来必ずトッププレイヤーになるんだから」
「それだったら僕だってそうじゃないか」
「お前は県でも勝てないだろ」
「将来は勝つんだよ」
後輩君の目もイっている。
「将来なんて誰にも分かんないだろ」
僕が二人に割って入った。
「なんだよ、お前は」
後輩君が僕を見る。そして、エビラが僕に言った。
「ななちゃんは取り柄とかなんにもないじゃん。死んでも全然平気だろ」
「エビラ・・・」
唖然とした。言葉が出て来ない。
「扱くくらいしか出来ないくせに」
「そうだよ、お前が死ねばみんな幸せになるんだよ」
今度は二人で僕に詰め寄る。
「ま、待って・・・落ち着いてよ」
二人は同じ目をしている。いつもとは違う目だ。
「お前が死ねばいいんだろ」
「そうだ、お前が一番悪いんだ」
二人の言葉が僕を襲う。頭がくらくらする。脳を揺さぶられているみたいだ。僕はしゃがみ込む。しゃがみ込んで耳を塞いだ。
「そしたら、エビラ先輩は僕のものだから」
後輩君の言葉が頭の上に降ってくる。
「エビラ先輩は僕が幸せにするから、安心して死ねよ」
涙が出てきた。
「待てよ」
エビラの声がした。
「なんでそうなるんだよ」
「はあ? なんだよ今更」
後輩君の声。今度は二人が言い合いを始めた。
「なんで僕がお前のものになるんだよ」
「だって、こいつ死ぬじゃん」
少し会話が途切れた。
「なに、言ってるの?」
エビラの声が震えている。僕は顔を上げた。エビラの目がいつものエビラに戻っていた。
「さっき二人でそう決めたじゃん」
またエビラが後輩君を突き飛ばした。そして、しゃがみ込んでいる僕を覆うようにして抱き付いてきた。
「ななちゃんは死なせない。死ぬならお前だろ」
「はあ? 裏切るの、エビラ先輩」
後輩君が足を上げて、エビラの頭を蹴った。エビラは僕を抱き締めたまま床に倒れる。
「やっぱり、全部、お前が悪いんだ」
後輩君がさらにエビラを蹴った。
「お前がいなければ良かったんだ」
大きな声で叫んだ。叫びながらエビラを蹴りつけた。
パンパンという音が建物に響いた。
「時間切れ、そこまでだ」
男が手を打ちながら入ってきた。
僕等はまた椅子に座らされていた。
「さて、じゃ、結論を聞かせてもらおうか」
男が言った。僕等は誰も何も言わない。
「ほら、どうした、誰が一番悪いんだ?」
男が僕等三人の顔を順番に覗き込む。
(笑ってる)
表情は笑っていなかったけど、その目が笑っていると感じた。面白がっている。僕等がどんな結論を出したのか、それを楽しんでいる。
「僕等は・・・」
僕が声を絞り出した。
「おお、誰に決まった?」
すると、エビラが言った。
「決まりませんでした」
男が大げさに驚いた。
「決まらなかった、本当か?」
また僕等を順番に見る。
「お前等、三人とも死にたいのか?」
僕の右隣で後輩君が頭を横に振っている。
「そうだろ、死にたくないだろ」
男が少し離れた。
「お前等、立て」
そう命じる。
「立って向かい合え」
僕等は椅子から立ち上がり、お互い向かい合った。
「じゃあ、今から一番悪いと思う奴を指差せ、いいな」
「え・・・」
僕等は顔を見つめ合う。
「いいか、それじゃ、指差せ」
最初に指を指したのは後輩君だった。後輩君は、まっすぐ僕を指差した。
「お、お前」
エビラが声を上げた。
「じゃ、じゃあ」
僕も指を指す。もちろん、後輩君をだ。
「ほお。1票ずつか。お前はどうだ?」
男がエビラに言った。
「僕は・・・」
エビラが顔を伏せた。
「どうなんだ?」
男が大きな声で尋ねた。
「ぼ、僕は」
ゆっくりとエビラが手を上げ、指差した。
その指先は、小さく震えていた。
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