ななちゃん


「ななちゃん、僕だよ、海老原だよ」
何を言ってるのか理解出来ない。先生に抱き締められながら、僕は何も言えず、何も出来なかった。
「先生・・・」
ようやく、先生の体を軽く押し返す。
「ああ、ごめん」
先生が僕の体を離した。僕は先生の顔を見つめる。
(海老原って・・・)
その顔をまじまじと見つめる。先生も僕を見る。その顔、その目。確かにエビラの面影を感じた。でも、年齢が違う。僕とエビラは同い年だ。当然、目の前にいる先生は明らかに年上だ。仮に見た目は置いておいて同い年だったとしても、中学生で医者になれる訳はない。
「分からないです」
ようやくそれだけ言った。
「そうだよね、ごめん」
先生が僕の手を取った。
「ちゃんと、全部・・・今まで言ってなかったことも説明するよ」
僕の手を両手で握る。
「あれから・・・あの地震から、もう15年経ってるんだよ」
真剣な顔でそう言った。

あの地震。僕にとってはほんの数ヶ月前の出来事だ。でも、先生はあれが15年も前の事だと言っている。信じることが出来ない。僕を騙そうとしているんだろうか。何も言わずに先生の顔を見つめる。
「ほら」
先生がスマホを取り出して僕に見せた。そこに表示されている日付は、確かに僕が思っていた日付とは違う。僕にとっては15年後の未来の日付になっている。
「嘘・・・」
「ななちゃんは、あの地震で崩れた天井の下敷きになって、体が潰れて瀕死の状態で病院に運び込まれた。そして、中原の体に無事だった頭を移植した。それは前に説明したよね」
僕はうなずいた。それは聞いていたし、確かに体は僕の体とはちょっと違っているということは、あのオナニーの時に気が付いている。
「でも、先生がその手術をしてくれたんでしょ?」
「15年前は、僕はなにも出来なかった。中学生だったしね。それに、その時にはななちゃんを助けられるだけの医療技術もなかったんだ」
そして、僕の頭や後輩君の体が低温保存されたこと、移植手術が行われたのはほんの数年前だということを話してくれた。
「この10年位で、医療技術は大きく進歩したんだよ」
僕の知らない15年。いや、本当に15年経っているとも思えない。いろいろと分からないことだらけだ。
「先生・・・僕は28歳だってこと?」
先生はうなずいた。
「僕もななちゃんも28歳だよ」
僕は布団を捲って自分の体を見る。
「でも、僕は」
僕の体は、僕じゃなくて後輩君の体になってるけど、でも、それは中学生くらいの体だと思う。とても28歳の体には見えなかった。
「ななちゃんの見た目はあの頃のまま、あの時の怪我か、それとも低温保存の影響かは分からないけど、成長が止まってるんだ」
成長が止まってる。成長しない。だから、先生と、エビラと同い年なのに、僕はずっと中学生のまま。記憶も中学生の時の記憶で止まっている。
百歩譲ってそうなんだとして、なんで、エビラが先生なんだ。
「あの時、ななちゃんが僕の上に覆い被さって、そのお陰で僕は大きな怪我をせずに助かった。もしななちゃんがいなかったら、僕も死んでたと思う」
確かにあの時、僕は必死でエビラに覆い被さったことを覚えている。
「だから、ななちゃんは僕の命の恩人だし、なんとしてでも僕が助けるって決めたんだ」
「テニスは?」
エビラは首を左右に振る。
「止めた。そして勉強して学校に行って、医師免許を取ったんだ」
でも、今、エビラは28歳。移植手術は数年前って言ってた。3年位前としたら25歳でしたことになる。そんな若さで、そんな手術が出来るんだろうか。
「あの地震は多くの人の命を奪ったけど、その一方でさっきも言ったように医療を大きく進歩させたんだ。更にAIがそれを後押ししたんだよ」
それが事実なのかどうかは僕には分からない。たぶんその通りなんだろう。実際、今、僕は後輩君の体で生きている。見た目はあの時のまま、13歳のままだし、記憶も13歳で止まってるけれど、でも僕は生きている。
だけど・・・
「ごめんなさい、先生。僕は・・・」
顔を伏せた。
「先生はエビラなのかも知れないけど、僕にとっては先生はエビラじゃない」
先生は、エビラは少し笑った。
「そりゃそうだよ、28歳の僕は、今のななちゃんから見たらただのおっさんだからね」
何も言えなかった。そうじゃない、とも言いたかったし、実際先生の言う通りでもある。ただ一つ、今の僕に言えることは・・・
「もうちょっと時間が経ったら・・・エビラだって分かるようになるかも」
言い訳のような言葉。自分でも自信はない。
「いいんだよ。僕は、ななちゃんがこうして目覚めてくれたことでもう、十分だから」
先生が立ち上がった。
「じゃ、七瀬さん、これからもリハビリ頑張ってください」
そう言って、病室から出て行った。

さっき、先生は少し笑っていた。僕にとってはエビラじゃないって言った時だ。寂しそうな笑顔だった。悲しそうな笑顔だった。
(きっと、僕のことを思って、僕を心配して、ずっと僕を診てくれてたんだろうな)
医者になって何年くらいなんだろう。医者になる前からも、ずっと僕を気にしてくれてたんだろう。15年もずっと。僕が目覚めるかどうかなんて分からないのに。
その気持ち。そんなエビラに対して、僕はエビラじゃないなんて言って。
同い年の、というか、あの時のエビラは好きだ。友達としてじゃなくて、それ以上の存在として好きだった。でも同じ気持ちを先生に感じるかというと、それはない。感謝はしてる。僕を思ってくれて、僕を今でも好きでいてくれることは分かってる。だけど・・・
僕は布団を引っ張り上げた。



夢を見た。
夢の中のエビラはあの時のままだった。僕の膝の上に座って、僕にちんこを扱かれている。僕のちんこも勃っている。後ろからエビラを抱き締めてキスをする。エビラの手が、ズボンの上から僕のちんこを触る。
エビラに触られたことあったっけ?
まぁ、いいや。
エビラが手を動かす。ちんこが握られる。ちんこが扱かれる。僕も扱く。気持ち良くなる。

夢だと分かっていた。だけど、僕は夢の中で射精した。
目が覚めると夢精していた。

その話を先生にした。
「痛みはなかった?」
「寝てる間だったから、分かんないです」
先生は笑う。
「夢の中だったし・・・でも」
「でも?」
「夢の最後で僕を抱き締めてくれたのは、先生・・・今のエビラでした」
僕は嘘を吐いた。
「そうか」
先生は笑って僕の頭を撫でた。
「28歳の頭、撫でないでもらえますか? 子供じゃないんだから」
僕が文句を言うと、また先生が笑った。

それからほとんど毎日、僕はオナニーするようになった。たぶん、体と性欲が元に戻ってきているんだと思う。そんな話は先生にはオープンにしていた。相手はエビラだから。心の奥ではそれをちゃんと理解出来てるんだろう。たまにあの頃の思い出話もする。僕にとってはそんなに前の話じゃないけど、先生にとっては15年前の話。そしてその頃、エビラは僕を好きだったということ。まだはっきりとじゃないけど、僕もエビラが好きだと思い始めていたことも。
そんな話をしてもどうにかなるものじゃない。むしろ、先生には辛いかも知れない。でも、そういう話をすることで、僕にとってのエビラの存在と、今のエビラは先生なんだってことを、ちゃんと整理しようとしたのかも知れない。

エビラのちんこを握ったことを思い出しながらオナニーする。自分のちんこ。それは後輩君のちんこだ。それを扱く。そして、ふと思った。今のエビラのちんこって、どうなってるんだろうって。きっと、大人のちんこなんだろうな。あのエビラが大人ちんこになってるんだ。僕以外の人としたりしたのかな。きっと15年も経ってるんだから、してるんだろうな。ひょっとしたら、女の人と付き合ったりして、誰かと結婚してたりするんだろうか。指輪してたっけ? 覚えてないなぁ。今度注意して見てみよう。でも、そもそも先生ってそんな指輪してていいんだろうか。手術とかもあるんだし、きっと指輪は付けてないんだろうな。聞いてもいいかな。先生はオナニーしてるんですか、とか。いや、僕は体の回復とかと関係してるかもだから言うけど、先生は大人なんだしそういうことは言わないんじゃないかな。でも僕だって28歳なんだ。大人じゃん、僕。
「先生の・・・」
見てみたい。握ってみたい。扱いてみたい。だって、エビラなんだから。
僕の心の中で、僕の記憶の中のエビラと、先生、今のエビラが一瞬重なった。

もちろん、本当にそんなことを先生に言うことは出来ない。
先生は相変わらず、少なくとも1日1回は見に来てくれるし、時にはベッドの枕元に座って話をすることもある。でも、それ以上は何も言わないし、もちろん何もしない。あの頃のエビラのように握って欲しいなんて言う訳がない。
先生と患者。それだけの関係だ。僕とエビラ。その関係はもう、ずっと昔の話なんだ。

「だいぶ体も動くようになってきたね」
ある日、先生が僕に言った。僕はまだ車椅子は必要だけど、少しくらい、病院の売店に行くくらいは自分で歩いて行けるようになっていた。
「そろそろ、退院のことも考えようか」
先生が言った。僕は何も言わなかった。

退院・・・それは僕にとっては恐ろしいことだ。両親はもういない。友達もいない。体は動くようになったとはいえ、元通りじゃない。なにより、見た目は13歳のままだ。退院したらどうしたらいいのか。住む家もない。28歳だから普通なら仕事してるんだろうけど、そういうことも全然していない。生きていける気がしない。
そもそも、今までの治療費とかどうしたらいいんだろうか・・・
「先生、僕、お金とかないからどうしたらいいですか?」
そして、付け加えた。
「退院しても、どうやって生きていけばいいのか・・・」
先生がベッドに座った。
「そのことで相談しようと思ってた」
僕を見る。
「ななちゃんの不安とかそういうのにつけ込むようで、ずっと今まで言えなかったんだけど」
僕の手を取る。
「これからもずっと、ななちゃんの面倒、僕に見させてくれないかな」
なんとなく心の奥がちくっとした。
「それって、僕と先生が、なんていうか」
先生の手を見た。指輪はしていない。
「結婚、みたいな感じですか?」
先生は笑わなかった。
「そう受け取ってもらってもいいし、ただ一緒に住むだけでもいい。とにかく、僕はななちゃんを放っておけない。君の担当医師としても、そして、君が知っているエビラじゃないけど」
「エビラ」
僕は初めて先生をそう呼んだ。先生は少し驚いた顔をした。
「最近ずっと、エビラがどんな気持ちで15年も僕を見ていてくれたのかって考えてた。今も考えてる。そして、たぶん、エビラはエビラなんだろうなって」
僕は少し顔を伏せた。
「今言うのはタイミング悪いとは思うんだけど・・・」
顔を上げた。
「僕はエビラとキスしたい。その気持ちは変わらなかったって気が付いた」
「ななちゃん」
「その、今言ったら、これから面倒見てもらうため、みたいになっちゃうんだけど、そうじゃないから」
体をエビラに寄せる。
「エビラ、キスして」
僕は目を閉じた。
唇にエビラが触れた。

エビラの唇。地震の前にキスをしたときの事を思い出す。15年経っている。別に何も変わらない。見た目はもう大人だけど、僕だって年齢はもう28歳だけど、中学の時の僕とエビラと何も変わらないと感じる。
だから、僕はエビラの股間に手を伸ばした。エビラのちんこをズボンの上から感じる。
「ななちゃん」
エビラが名前を呼んでくれる。
「エビラ」
僕も呼び返す。また唇を押し付けられる。エビラのちんこの形を確かめるように手を動かす。
「ダメだよ、今は」
その手をエビラが掴んで止めた。
「先生だもんね、エビラは」
一瞬、エビラが15年前の、中学生の姿に見えた。
「さっきの話、OKしてくれたってことでいいのかな?」
僕はうなずいた。
「エビラ、ありがとう」
心から感謝する。
「たぶん、僕、エビラがいなかったら生きてなかったし、これからも生きていられない」
すると、エビラは笑った。
「でも、これからは膝の上に座るのはななちゃんの方だからね」
「エビラ、重そうだもんね」
僕も笑った。命の恩人。大切な友達。特別な親友。そして、僕を救ってくれた先生。
「ま、もう少し動けるようになるまで、リハビリは続けないと退院許可しないけどね」
エビラが立ち上がる。
「分かってる・・・分かってます、先生」
エビラは僕の頭を撫でて、病室から出て行こうとする。
「だから、子供扱いすんなって」
僕はその背中に文句を言った。


      


index