4.
「君・・・君」
誰かが頬を叩いた。イーサンは薄く目を開ける。
「大丈夫ですか、君」
見たことがある顔だった。
「君とはよほど縁があるようですね」
初老の男が言った。
「スティーブンス」
別の男がイーサンの体を抱え上げる。
「いつも君は怪我をしているか、それとも」
初老の男はスティーブンスに抱え上げられたイーサンのまぶたを捲る。少し頬に手を当て、手を取って脈を診た。
「それとも、死にかけているか、ですね」
(あの時も、あいつに玉を蹴られたっけ・・・あいつにやられると、この人に会えるみたいだな)
スティーブンスに抱えられながら、イーサンは思った。そして、また意識が薄らいでいく。
手がだらんと垂れ下がり、体の力が抜ける。
「旦那様」
そんなイーサンの様子を心配したのか、スティーブンスが初老の男に声を掛けた。
「大丈夫、死にそうだが死なないよ」
初老の男は前を見たまま答えた。
「早く温めてあげないとね」
イーサンはまた、彼の屋敷に連れて行かれた。そして、二度とあの救貧院に戻ることはなかった。
初老の男の屋敷で、髭の男とも再会した。
「君はいつも怪我をしているねぇ」
その髭の男は全裸のイーサンの足を開かせ、股間をしげしげと眺めている。
「まあ、潰れてはいないし、恐らくヤマはもう越えてるだろう」
イーサンの下半身に毛布を掛ける。そして、小さな声で付け加えた。
「この先、男としても大丈夫だよ」
イーサンは赤面した。
「今度はこっちだ」
髭の男がイーサンの横に椅子を動かし、イーサンの顔に顔を近づけた。
「ここ、打ち付けたのはいつ頃だい?」
髭の男が何かでイーサンの額の辺りを指した。
「え・・・分からないです」
「ひょっとして、額がどうなっているのか、分からない?」
髭の男が鏡でそこをイーサンに見せた。大きく傷が付いていて、赤くなっている。
「ここもかなり腫れて、痛んだろうに・・・それにも気が付かないくらい、下の方が痛かったのかな」
髭の男が何かでイーサンの額を拭う。
「いっ」
その何かが額の傷に染みる。
「すぐに済むから、我慢しなさい」
髭の男はそう言って、また何かを額の傷に押し付ける。
「見た目ほど酷くはなさそうだな」
そう呟く。
「縫わなくても済みそうだよ」
今度はイーサンに向かって言った。何かを額に貼り付ける。
「しばらくは痛むかもしれないけど、きれいに治ると思うよ」
そう言うと、いろいろと広げていた器具や道具を片付け始めた。
「あ、ありがとう・・・ございます」
「どういたしまして」
髭の男が笑顔で答えた。
「本当に・・・さっき体を見せてもらいましたが、いろんな所にいつも怪我をしているようですね」
別の声がした。
「ああ、ウイリアムさん、終わりましたよ」
髭の男が初老の男に言った。初老の男がイーサンに近づく。髭の男が椅子から立ち上がり、代わりに初老の男がそこに座った。
「もう大丈夫だ。まだ痛みますか?」
イーサンはゆっくりと首を左右に振った。すると、初老の男が笑う。
「嘘を吐いては駄目です。まだまだ痛む筈ですよ」
「あと、2、3日は痛むでしょうね」
髭の男が付け加えた。初老の男がイーサンの手を握った。
「あなたとはよほどの縁があるようですね」
イーサンは慌てて上半身を起こした。
「前も助けてもらって、今度も・・・ありがとうございます」
初老の男はそんなイーサンの胸に手を当て、その体をベッドに押し倒す。そして、首を左右に振った。
「あの時、あなたを帰すべきではないと思っていました。そう思いながら、あなたを帰してしまい、そしてこうなった。私の責任です」
「そんなこと・・・」
初老の男の詫びに、思わずイーサンはまた体を起こした。
「僕は、何度も」
そう言い掛けたイーサンを、髭の男が遮った。
「いいんだよ。この人に甘えておきなさい」
「でも・・・」
ほんの少し、沈黙があった。
「まだ自己紹介もしていませんでしたね」
初老の男が椅子から立ち上がる。
「私はウイリアム。この国に仕える下っ端役人です」
笑顔で言った。
「何が下っ端ですか」
髭の男が否定した。
「このお方は、国の議会の議長も務められた、立派なお方です」
そして、ウイリアムと名乗った男が、今度は髭の男を紹介する。
「彼はドクター・マッケラン、私がお世話になっているお医者様です」
「マッケランです」
髭の男が手を差し出した。イーサンはその手を握る。
「さて、次はあなたの番ですよ」
ウイリアムがイーサンの顔を見る。
「僕は・・・イーサン・・・です」
二人は無言のまま、その続きを促す。
「あの・・・孤児、です」
すると、急にウイリアムが真面目な顔になる。
「あの救貧院で、あなたは何をさせられていたのですか?」
「そ、それは・・・」
イーサンは言葉に詰まる。自分が何をさせられていたのかは言いたくなかったし、言えるようなことでもない。
「前回、今回と体を見れば大体のことは分かります。でも、それがあなた・・・イーサン君の意志なのかどうか、です」
ウイリアムがまた椅子に座る。
「私はもう、君が誰かにこんな目に遭わされるのを見たくはないのです」
「僕は・・・」
すると、なぜかイーサンの瞳から涙があふれ出した。理由は分からなかった。そして、それを止めることも出来なかった。
「ぼ、僕は・・・」
すると、ウイリアムがイーサンの体を抱き締めた。
「すみません、無理に言う必要はないのです」
そのまま、何も言わず、何も聞かずにずっとイーサンを抱き締め続けた。
それから数日、イーサンはウイリアムの屋敷で過ごした。少しずつ、体の傷は癒えていく。しかし、逆にイーサンの心には少しずつ暗い雲が垂れ込めていく。こんなに親切にしてもらって、こんなに心配してくれて・・・それでも何も聞かないウイリアムに、いつかは本当の事を打ち明けなければならない。そう思うと、イーサンの心は押しつぶされそうになる。いくらあの親切でやさしいウイリアムでも、イーサンがこれまでしたことを聞けば、きっと彼を蔑むだろう。いや、ひょっとしたら哀れんでくれるかも知れない。しかし、それも嫌だった。自分のような人間に居場所はない。あの救貧院すらもう戻る場所ではない。蔑まれ、あるいは哀れみを抱かれながらここに居続けるのも嫌だった。じゃあどうすればいいのか、それも分からない。分からないまま時間が過ぎていく。徐々に、イーサンは暗い顔をするようになっていった。
「調子はどうだい?」
ドクター・マッケランがイーサンに尋ねた。
「大分良くなりました」
イーサンはそう答える。が、ドクターにそんな嘘は通用しないということも悟っていた。
「なら、なぜそんな暗い顔をしているのかな?」
{それは・・・」
マッケランはこの屋敷にずっと住み込んでいる、ウイリアムのお抱えの医師だった。だから、イーサンとも毎日顔をつき合わせることになる。そんなマッケランの目をごまかすことはできなかった。
「あの・・・」
イーサンが何かを話そうとした。
「それは、私が聞くべき話かい? ウイリアムさんが聞くべき話なのではないのかい?」
そう問われて、イーサンは口を噤んだ。
「話す準備が出来た、ということでいいのかな?」
イーサンは頷いた。
「わかりました。では、夕食の後、ウイリアムさんに時間を取ってもらうこととしよう」
また、イーサンは頷いた。
「無理なら・・・やっぱり無理だって思ったら、今日じゃなくてもいいんだからね」
そう言って、マッケランは部屋を出て行った。その気持ちはありがたいと思う。でも、このままいつまでも甘えている訳にはいかない。イーサンはベッドに上がり、目を閉じて、何を言うべきか、何を言わなければならないのか考えた。
「あの・・・」
夕食を終えて、片付けも終わり、屋敷の食堂にはウイリアムとマッケラン、そしてイーサンの3人だけとなった。
「まあ待ちなさい」
ウイリアムは給仕に暖かいホットチョコレートを運ぶように命じた。すぐに、湯気と甘い香りが漂うホットチョコレートがイーサンの前に運ばれた。
「ありがとうございます」
それを一口飲む。それは熱すぎもせず、かといってぬるくもない、ちょうど良い熱さだった。二人はイーサンがホットチョコレートを飲むのを見ていた。彼等は何も言わない。ただ、イーサンが何かを言うのを、何かを話す気になるのを待っていた。
「僕は・・・」
イーサンが口を開くまで長い沈黙があった。
「僕は、あの救貧院の前に捨てられていたそうです。ちょうど、今みたいな寒い時期だったそうです」
二人は何も言わなかった。
「あの救貧院で僕は育ちました。昔は今と違って、他にももっと孤児がいて、優しいシスターが院長先生で、僕等のことをちゃんと面倒見てくれて、勉強とかも教えられました」
二人はただ、イーサンの話に頷くだけだ。
「セブも、ヨハンも、その頃は今みたいじゃなくて・・・」
そこまで言ってから、簡単にセブとヨハンのことを話した。
「でも、3年位前、急に救貧院がなくなるってことになって・・・孤児もたくさん他の救貧院に移っていって、僕等・・・ヨハン、セブ、それから」
イーサンは指折り話す。
「ダニーとノアと僕だけになりました」
二人は真剣に話を聞いている。
「でも、結局、救貧院はなくならなくて、でも、院長がジェイに代わりました」
ウイリアムが目を少し見開いた。イーサンは、その目に答えた。
「誰かがお金を出して、救貧院を買い取ってくれたって聞きました」
ウイリアムは頷いた。
「それから、救貧院が変わっていって・・・」
「どんな風に?」
初めて、マッケランが口を挟んだ。
「働く・・・お金を稼いで、院長に渡せと言われるようになりました」
「労働、ということかな?」
「いえ、とにかく金を持って来いって。どうやって稼ぐのかは何も言われませんでした」
ウイリアムとマッケランは一瞬目を合わせた。が、何も言わない。
「大きい子は自分達で稼ぐこともできたけど、僕等は・・・」
「お金を稼げなかったら、どうなるんだい?」
マッケランが問い掛けた。
「あそこでは、何でも稼ぎの順なんです。部屋だって一番稼いでる人は一人部屋で、食べ物だって稼いでる人はたくさん食べられる。病気になっても、怪我をしても、全部稼ぎの多い人が先で、稼ぎの多い人の命令には従わなくちゃならなくて・・・」
イーサンは少し黙り込んだ。ウイリアムも、マッケランもただ、イーサンの言葉を待った。
「だから、僕・・・あそこで、あの路地で、体を売ってたんです」
マッケランが額に手を当てた。初めてウイリアムが口を開いた。
「イーサン君は、その救貧院の院長に、無理矢理、体を売らさせられていた、ということなのですか?」
イーサンは口を開いた。が、答えが出て来ない。
「無理矢理・・・でも、僕には他にお金を稼ぐ方法がなかったから・・・少し違うような気がします」
ウイリアムは、少し首を傾げてイーサンを見つめていた。
「その・・・体を売ったお金は全部セブに取られたけど、でも、僕はセブが稼ぐための道具になったというか・・・そういう役には立ててたのかなって」
「そんなこと・・・」
マッケランが唸るように言う。
「でも、セブも凄いんです。僕は、あそこを飛び出して、お金も食べ物もなくて、自分で体売ろうとしたけど、ぜんぜん客が見つからなくて。でも、セブだったらそういうことにお金を払うような人を見つけてくるんです」
「君は・・・辛くはなかったのかい?」
イーサンは少し考えた。
「たぶん・・・僕にはそういう生き方しかできないから」
マッケランが溜め息を吐く。
「ウイリアムさん、こういう子ですよ、まったく」
ウイリアムが頭を垂れた。うなだれているように見える。
「ごめんなさい・・・僕は、もう・・・ここにはいられません」
すると、ウイリアムが頭を上げた。目から涙がこぼれていた。
「ここを出て、どうしようというのですか。また体を売って、そしてまた怪我をして、病気になって・・・」
「僕はそういう生き方しかできないんです」
すると、ウイリアムがイーサンに近づき、その体を抱き締めた。
「いいから、ここにいなさい。君のいるべき場所はここなのです」
「ウイリアムさんは、君のような子を、不幸な境遇にいる子をなんとか救いたいと考えておられる。私もだよ。君がここから出て行くというのなら、私は君を縛り付けてでもここから出て行かせない」
「でも、僕は、こんな・・・」
ウイリアムはイーサンを強く、ぎゅっと抱き締め続けていた。
「でも、僕は・・・」
イーサンの体から力が抜けた。
その後も、イーサンは話を続けた。初めてジェイに犯されたこと、そして、あの夜のこと。
「救貧院にリアムって子がいました。僕より後に来て、僕より年下で、たった一人の僕の友達でした」
イーサンは、リアムがジェイに使われ、その結果死んだことも話した。が、そのきっかけが、前にこの屋敷で治療を受けた数日間にあったことは言わなかった。
リアムの小さな体を救貧院の庭の隅に埋めて、そのまま救貧院を出たことを話す。そして、食うに困り、あの男と再会し、睾丸を責められ、冷やすために川に入り、辛い目に遭って稼いだ金を盗られ、そして気を失ったことを。
「よく話す気になってくれましたね」
一通り話が終わった後、誰も何も言わなかった。ようやくウイリアムがそう言ったとき、イーサンは涙を流していた。
「リアムという子のことも、なんとかしてあげられたら良かったんだけどね」
マッケランがイーサンの手を握る。
「すまなかった。でも、君のことは救ってあげたい」
イーサンはずっと俯いたままだった。
「ここに留まってもらえますか?」
ウイリアムの問い掛けに、イーサンはただ頷いた。
12月23日の夜の事だった。
翌日、イーサンはウイリアムに呼ばれた。
「字は読み書きできますか?」
書斎の椅子に座ったイーサンに、ウイリアムは尋ねた。
「小さい時に教わりました」
すると、ウイリアムは笑顔になる。
「なら、ここに自分の名前をお書きなさい」
書斎の隅に立っていたスティーブンスが、封筒を持って二人に近づいた。ウイリアムは封筒を受け取ると、封を開いて書類の下半分を引き出し、指差した。
「これは・・・」
「君のための書類ですよ」
ウイリアムは笑った。イーサンはその顔を見た。何も言わなかった。イーサンはためらわずに署名した。
「もう、君は自由です。そして、君はこの屋敷に住むのです」
イーサンはウイリアムの顔を見上げる。しかし、ウイリアムはただ笑顔のままだ。スティーブンスの方を振り返る。スティーブンスも笑っていた。
「旦那様のご子息になられる、ということですよ、イーサン様」
スティーブンスが言った。
「えっ」
イーサンは慌てて書類を見ようとした。が、ウイリアムはそれを取り上げ、封筒にしまってスティーブンスに渡す。
「もうサインはしてもらいましたからね」
「でも、そんな、僕なんかが」
「いえ、私はあなたを気に入りました。ずっと前から気に入っていたのですよ」
イーサンはただ驚いていた。
「僕なんか、孤児で、救貧院にいて、体だって・・・」
ウイリアムは頷いた。
「そんなイーサンが、私は気に入ったのです。今更、なかったことにしないで下さい」
「でも・・・」
ウイリアムがイーサンを抱きしめた。
「もう、何も言わないでください、イーサン」
イーサンはそのことを受け止めきれないでいた。ほんの少し前までは、救貧院にいて、男相手に体を売っていた自分が、今、こんなお屋敷の子になるなんて・・・
でも・・・
「僕、幸せ・・・って、思っていいんですか?」
「もちろん」
ウイリアムの腕の力が抜け、イーサンの体を離した。でも、イーサンの両腕を掴む。
「イーサンは、幸せになっていいんですよ」
生まれて初めて幸せだと感じた。いや、そんな一言で言い表せるものではない。そして、リアムに済まないと思う。でも・・・
「ありがとう・・・ございます」
その言葉が自然と口を突いて出た。
その夜、12月24日の夕食は、イーサンが見たこともないようなご馳走だった。
クリスマスイブでもあり、イーサンをこの屋敷に迎えた御祝いでもあった。しかし、イーサンはまだ全てを受け止められはしなかった。
「夢・・・じゃない、ですよね?」
何度も何度もそう呟いた。そう呟いて、目が覚めたらあの救貧院だったら・・・そう思うと、恐怖に近い感情がわき上がってくる。でも、もしこれが夢で、リアムが死んだというのも夢で、目が覚めたら普通にセブに体を売らされ、帰ったらベッドの中からリアムがお帰りって言ってくれたなら・・・
「どうしました? イーサン」
ウイリアムが声を掛ける。イーサンは目に浮かんだ涙をそっと拭う。
「いえ、何でもないです。こんなご馳走、見たことないからびっくりしちゃって」
イーサンは明るく振る舞った。この雰囲気を壊したくない。この現実から目覚めたくない。この夢を終わらせたくなかった。
夜には、スティーブンスが暖かいお湯で体を隅々まで洗ってくれた。そして、真新しいパジャマを着る。昨日まで着ていたパジャマだって、とても上等なものだった。が、今日のパジャマはそれ以上のように思える。イーサンの部屋・・・これまでイーサンが寝泊まりしていた部屋・・・に戻る。ベッドに上がる。ふわふわの、お日様の匂いがするベッド。そして、その足下に、イーサンの身長よりも高い、クリスマスツリーが置いてあった。
「うわぁ」
ベッドから飛び降りてツリーに駆け寄る。見上げるイーサンの口から思わず声が出た。小さい時、まだあの救貧院がまともだった頃、食堂に小さなクリスマスツリーがあったのは微かに覚えている。でも、このツリーはその3倍くらいの大きさだ。一周回ってみた。飾り付けは質素で、でも、ワクワクするようなものだ。これまで、イーサンにはクリスマスなんてものは関係なかった。クリスマスでも、男に抱かれているか、ジェイに使われているか、それともヨハンの小便を飲まされているか、そのどれかでしかなかった。いや、それ以前のクリスマスはもう少しまともだったかもしれない。が、イーサンの記憶にはそんな場面はない。それが、今、こうして目の前にツリーがある。おずおずと手を伸ばす。指先が緑の葉に触れそうになったところで手を引っ込める。触れれば消えてしまうんじゃないか、そう思う。でも、もう一度、今度は勇気を出して、葉に触れてみた。もちろん、ツリーはそこにある。そこで、イーサンを見下ろしている。イーサンは嬉しくなる。嬉しくなって、ベッドに駆け上がり、その上に座ってツリーを眺めた。
ふと、心配になる。
(僕だけ、いいのかな)
今更、あの救貧院のことが気になった。今頃、ジェイは、ヨハンは、セブはどうしているんだろう。ダニーとノアは、相変わらず嫌みなことばっかり言ってるんだろうか。そして、土の下でリアムは寂しがっているんじゃないだろうか・・・
枕に顔を押し当てる。そのまま動かない。ずっとそのままだった。微かに声が漏れていた。
そして、夜が更けていく。
どこか遠くの方が何やら騒がしい。救貧院ではそんなことを気にしたことはなかった。夜遅くまで誰かが喋っていたり、そんな誰かに対して、ジェイがわめき散らしていたり、そんなジェイに対して、誰かが声色を変えてうるさいと叫んでいたり・・・それが日常だった。そんなイーサンの日常が、今、日付と共に変わろうとしていた。
クリスマスの朝を迎えた。
目を覚ましたイーサンは、まぶたを開くのを躊躇した。昨日の事が夢だったらどうしよう・・・そんな不安が頭をよぎる。まず、臭いを嗅いでみた。饐えたような臭いじゃない。ベッドを手で探る。柔らかく、しなやかだ。恐る恐る目を開く。真っ先に飛び込んできたのは、あのツリーだった。あのツリーは、朝の光の中で、イーサンを見下ろしていた。
「うわぁ」
昨夜と全く同じ声を上げた。ベッドの端に座り、ツリーを見上げる。そして、ツリーの下に、リボンがかかった大きな箱が置かれているのに気が付いた。
「これって」
クリスマスにはプレゼントを交換するらしい、ということは聞いたことがある。が、もちろん昨日までのイーサンには縁のない話だった。イーサンは少しずつ体をずらしてプレゼントの箱ににじり寄った。まるで、大きな蛇か何かに少しずつ近づくかのように。でも、その箱はイーサンに襲いかかったりはしないし、動きもしない。きれいな紙に包まれ、赤いリボンがかけられている。そのリボンと紙の間に、カードが入っていた。恐る恐る、そのカードを抜き取る。折りたたまれたカードを開こうとして手を止める。
(全部嘘だ、なんて書いてあったら・・・)
頭を振る。そして、そっとそのカードを開いた。そこには、一言だけ書いてあった。
『イーサンへ』
イーサンは笑顔になった。
(僕のプレゼントだ)
箱の近くに座る。何故か周囲を見回す。リボンの端に指を引っ掛けて、はじくようにしてみる。包んでいる紙の端に指を添えて、滑らせる。何も起きない。つまり、その箱はイーサンが開くのを待っていてくれているんだ。
イーサンは中腰になって箱を抱え上げようとした。意外と重かった。そして、箱の中で何か重い物がごろんと動いた。その弾みで床に尻餅をつく。そのまま、床に座り込んだまま、箱を抱き締めるようにしてリボンを外す。紙を破る。箱が露わになる。まじまじとその箱を見つめて、一呼吸置いてから、イーサンは笑顔でその蓋を開いた。
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