ドアをノックする音がした。すぐにドアが開く。
「お待たせ致しました」
年配の男がドアを開き、その横に体を引く。その後ろから、あの男が体の後ろで手を組み、入ってきた。ソファに座っていた二人は立ち上がる。
「ご無沙汰しております、栗山様」
二人の少年の、年長の方が言い、二人同時に頭を下げた。
「会ったことがあったかな」
男は年配の男に顔を向ける。
「恐らく、初めてかと」
すると、年長の少年が言った。
「3年前、井村侯爵様のパーティーでご挨拶させて頂きました」
「3年前・・・そうだったか」
「はい」
男は少年達の前の椅子に座る。手で彼等にも座るように促した。しかし、年長の少年は座る前に言った。
「本日はお招き頂き、大変ありがとうございます」
もう一度、二人揃って深々と頭を下げた。
「お座りなさい。あなた方に話があります」
ようやく少年達はソファに座った。
「今日、あなた方に来て頂いたのは、他でもない、あなた方のこの先のことです」
男の正面に並んで座る二人はよく似ていた。短めの髪、大きな目、少し高めの鼻。間違いなく兄弟だ。弟は子供から少年へと変わりつつある最中、兄はすでに少年といった面持ちだった。
(確かに、弟の方は非の打ち所がないな)
男は思う。芯の強い美少年という感じだ。それに比べると、兄の方はどこかが少しバランスが悪い。といっても弟がこの場にいなければ、彼も上々の美少年と言われたことだろう。
「あなた方のお父上、松岡子爵は・・・いや、元子爵は、あなた方も知っての通り、先日投獄されました」
「はい」
兄の方が小さな声で頷く。
「松岡家は、爵位を剥奪され、したがってあなた方も平民に落ちることになります」
「はい」
少し声が震えているように聞こえた。
「元子爵は投獄、お母様については、すでにご実家である玉山家が引き取ると言ってきました。でも、あなた方は引き取らないそうです」
「はい」
(つまり、捨てられた、と言うことだ)
男は心の中で思った。
「あなた方のお父上、松岡久持元子爵は、落ちぶれ、わずかな金のために人を殺めました。あなた方はそんな男の息子です。恐らく、この先も誰も引き取り手はないでしょう」
この時代、爵位を守ることは家を守ることだった。彼等の父親が病気や不慮の事故で亡くなったのであれば、跡継ぎとなる男子のいない華族から引き取りたいとの申し出もあっただろう。が、爵位を剥奪されたような不名誉な家の息子は引き取り手がいなくても当然だ。
少年達は俯いている。膝の上で握った拳が微かに震えていた。
「しかし、我が栗山家と松岡家は縁がないわけではありません。数代前に遡れば、我が栗山家から松岡本家に嫁いでいます。つまり、あなた方にも我が栗山家の血が流れていると言うわけです」
「はい。それは伺いました」
「そこで、本来ならあなた方を我が栗山家の養子として迎えたい、と思う所ですが・・・」
「それは、当家の名誉に傷が付きます」
入口のドアの脇に控えていた年配の男が口を挟んだ。栗山は「まあまあ」とでも言うように手のひらをひらひらさせる。
「とはいえ、栗山家の血が流れる者を野垂れ死にさせることも、それは栗山家の恥になります。そこで、我が栗山家の使用人としてなら、あなた方を引き取ってもいいと考えています」
兄弟はどちらも動かない。ただ、栗山侯爵の前に座っているだけだ。
「松岡家は家も財産も没収されます。あなた方の帰る家ももうありません。でしたら、ここで住み込みで働くか、それとも・・・」
栗山が立ち上がり、大きな窓に近づいた。そこから広い庭を眺め、そして外を見たまま言う。
「これから寒くなっていきます。冬になれば雪も降るでしょう」
窓から離れ、少年達が座るソファの後ろに回り込む。
「寒さに震えながら、野垂れ死ぬか・・・」
年下の少年の肩に軽く手を乗せ、そしてまた彼等の正面の椅子に座る。
「無理に、とは言いません。決めるのはあなた方です」
膝の上で握っていた、兄の拳が震える。弟が、顔を上げて兄を見た。その顔は、彼等の小さな背中にのしかかる運命ゆえに美しかった。その表情が何を語ろうとしているのか、栗山には分からない。もちろん、分かる必要もない。
「お世話になります」
兄が頭を下げた。弟もそれに倣う。強く握りしめた拳が震え続けていた。
栗山は頷いた。
「頭を上げなさい」
先に弟が、しばらくして、ようやく、という感じで兄が頭を上げた。
「名前を」
「松岡久持の長男、松岡幸久です」
「同じく次男、松岡知久です」
そして、二人は立ち上がる。
「どうぞ、よろしくお願いします」
二人は揃って頭を下げた。
「柏木、後は頼む」
栗山はすっと立ち上がり、年配の男にそう告げると部屋から出て行った。
「ふっ」
二人の少年達の年下の方、松岡和久が息を吐いた。兄、松岡幸久は握っていた拳から力を抜く。二人の表情はほとんど変わらない。が、その目には安堵の色が現れていた。
「さ、あなた達二人は、今日からこの栗山家の使用人です」
柏木が二人に言う。それを聞いて、二人は背筋を伸ばす。
「よろしくお願いします」
幸久がそう言って柏木に頭を下げる。和久も同じようにする。柏木はそんな二人を見下ろす。
「当家のしきたりをいくつか教えます。必ず守って下さい」
二人は頷く。
「まず一つ目。旦那様の言いつけは絶対です。言いつけに背くことは許されません」
「はい」
幸久が返事をする。
「はい」
和久も言う。
「二つ目。この家の中のことは、絶対に外部に漏らしてはなりません。例え、それが旦那様の靴下の色であっても、それを外部に漏らしたなら、即刻クビとなることを覚悟して下さい」
柏木は、二人の返事を待たずに続ける。
「そして三つ目。あなた達はここでは一番経験の浅い使用人です。つまり、一番下、と言うことです。松岡の家のことなど忘れて、ただ、栗山家のために働いて下さい」
「はい」
今度は二人揃って答えた。
「よろしい」
柏木は、部屋の隅のキャビネットの引き出しから、紙と万年筆を取り出し、二人の前に置いた。
「同意書です。内容をよく読んで、同意して当家の使用人になるというなら一番下に名前を書いて下さい」
幸久は紙を顔に近づけて、その内容を読む。和久もそれを真似するが、実際のところ、名前を書くしかないと思っていた。
「この『いかなる処罰も』っていうのはどういうことですか?」
幸久が柏木に尋ねる。その文言は、同意書の一番下、署名欄のすぐ上に書かれていた。
「文字通り、いかなる処罰も、です」
幸久は、柏木の目を見る。柏木もそんな幸久の目を見つめる。和久は兄の横顔を少し不安そうに見つめる。
すっと幸久が視線を外す。
「分かりました」
万年筆を取り、自分の名前を書く。和久も同じようにする。年齢に見合わぬ、しっかりした字だった。
「では、これでお前達は当家の使用人です」
柏木は二人の前のテーブルから、彼等がサインした紙を取り上げ、それを畳んで上着の内ポケットに入れ、万年筆をキャビネットに戻した。そして、二人の前に立つ。
「立ちなさい」
柏木に言われて、二人は立ち上がる。
「改めて、私は執事長の柏木です。旦那様の命令はもちろんのこと、私の言いつけや、先輩である使用人の言うことも必ず守りなさい」
少し柏木の態度が変わる。それが、署名した、ということだ。
「はい、分かりました」
幸久が答える。
「お前は?」
和久も同じように答えた。
「旦那様は寛大なお方だ。お前達のような者を当家に迎え入れ、本来ならば新しい使用人は、先輩と同じ部屋で常にいろいろと指導を受けるのだが、お前達兄弟は旦那様の特別の計らいで、二人同じ部屋で、とのご指示だ」
兄弟は顔を見合わせる。その目に悦びの色が湧く。
「今日はこの後、お前達の部屋に案内する。その後は屋敷の中を案内する。どこに何があるのか、覚えるように」
「はい」
二人揃って返事をした。新しい人生の始まり・・・野垂れ死ぬことを考えれば、最悪ではない、幸久はそう思った。しかし、野垂れ死にする方がマシだったと気付くのは、まだしばらく先のことだった。
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