「それくらいにしなさい」
その瞬間、皆が動きを止めた。熊田も、毛むくじゃらの男も、幸久も。ただ、和久の呻き声だけは止まらない。
「何の騒ぎですか」
柏木がその広い部屋の入口の脇に立っていた。そして、その入口から栗山がゆっくりと姿を現した。
「栗山様、和久を、弟を助けて下さい!」
幸久は叫んだ。
「大きな声を出して・・・みっともないですよ」
柏木が言う。
「で、でも、和久が」
そう言う間も、和久の呻き声は止まらない。
「何ですか、これは」
栗山が言った。
「栗山様、弟を」
「何故休んでいるのですか?」
栗山のその言葉を合図に、またぐじぐじと音がし始める。
「うぐぅ」
和久の呻き声も大きくなる。
「栗山様、やめさせて下さい、お願いします」
栗山が幸久を見る。そして、彼に近づいて来た。
「何故、やめさせなければならないのですか?」
真顔でそう幸久に言った。
「え・・・・・」
幸久は絶句する。
「弟が、和久が苦しんでます、助けて下さい!」
栗山はゆっくりと和久と、彼を犯している二人の男に目を向ける。しばらくその様子を見ている。
「栗山様・・・」
幸久が動く。鎖がじゃらつく音がする。栗山が幸久を振り返った。
「良いではないですか」
幸久は目をまん丸にして栗山を見つめる。
「私は、あなたを気に入ったのですから」
幸久には栗山が言っていることの意味が分からなかった。
「ぼ、僕の弟なんです、助けて下さい」
体を揺さぶる。じゃらじゃらと音がする。
「よく知ってますよ」
そして、3人に近づいた。
「何をしているんですか」
栗山が言った。
「あ、ありがとうございます」
その言葉に幸久が感謝する。でも、それは勘違いだった。
「もっと激しく、早く壊してしまいなさい」
「はい」
彼等の動く音が早まる。和久の呻き声が高くなる。
「な、何故・・・」
すると、栗山が幸久に近づいた。
「私は、あなたを、気に入ったのです」
「え?」
「彼はあなたより美しい。だから、穢し、壊すのです」
栗山の言っていることが全く分からない。そして、柏木が栗山に近づき、何かを手渡す。
「さあ、壊れてしまいなさい」
栗山が受け取ったのは注射器だった。それを犯され続けている和久の腕に突き刺した。
「な、何するんですか」
そして、幸久は叫んだ。
「何するんだぁ!!」
栗山が振り返る、意外そうな顔をしている。
「あなたを選んだのです。私はあなたを気に入ってるのですよ」
和久の呻き声が小さくなる。
「和久、和久!」
幸久が弟を呼び続ける。和久は動かなくなっていた。うつろに開いた目が、何かを探すようにふらふらと漂っている。
「和久!」
その声に反応し、幸久の方に目を向ける。口が開く。その口が動く。そして・・・
「ぁぁ」
和久の口から出たその小さな声は、呻き声ではなかった。
「ぁぁぁぁ」
その顔が笑っているように見える。喘ぎ声だ。和久は喘いでいた。
「和久!」
和久がにたっと笑ったように見えた。もちろん、それは気のせいだ。でも、さっきまでの痛そうな、苦しそうな、辛そうな表情とは明らかに違っていた。それはまるで・・・
(呆けている・・・)
幸久はそう思った。が、すぐに頭からその考えを閉め出す。弟が、和久が呆ける訳がない。
「和久、しっかりしろ、和久!」
兄の呼びかけに答えるように、和久が幸久に顔を向ける。その口の端から涎が垂れた。そして、今度は本当に、にたっと笑った。
「な、何を・・・」
栗山を探す。栗山は窓側の壁を背にして立っていた。
「弟に何をしたんですか!」
「ですから、私はあなたを気に入ったのです。彼はあなたより美しい。だから、壊すのです」
「何言ってるんですか。分からないです」
その時、一際大きな声がした。和久は四つん這いになっていた。その後ろに熊田がいる。熊田は和久の尻に腰を打ち付けている。そして、熊田が腰を打ち付ける度に、和久は呻き声、いや、喘ぎ声を上げていた。
「や、やめろぉ!」
幸久は体を揺さぶり、彼を拘束している鎖から逃れようとした。しかし、それはじゃらじゃらと音を立てるだけでびくともしない。そんな幸久の目の前で、鎖で拘束されていなければ手が届く距離で、和久が犯されている。しかも・・・
「ああ・・・ん」
喘いでいる。喘ぎ声を出している。熊田の腰の動きに合わせて体を揺さぶっている。
「やめろぉ!!!」
幸久の目から涙が溢れていた。訳が分からない。何故、こんなことになったのか。何故、ここにいるのか。何故、誰も止めてくれないのか。何故、父様はここにいらっしゃらないのか・・・
回りの音が小さくなっていく。そして、目の前が暗くなった。
(だめだ、今、ここで気を失ったら、和久が、壊される!)
頭を左右に振る。唇とぎゅっと噛む。その痛みで頭をはっきりさせようする。しかし、頭がはっきりするにつれて、和久の喘ぎ声が大きくなる。
「か、和久・・・」
そんな兄に、弟はにやけたような顔を見せた。口が動いた。声は聞こえなかった。でも、幸久には分かった。
(気持ちいいって、なんなんだよ・・・)
今度こそ幸久の目の前が真っ暗になった。そして、何も聞こえなくなった。
幸久は目を開く。
(夢・・・?)
明るい色の天井。白を基調とした壁紙。薄く、何かツタのような模様が描かれている。そして、幸久は天蓋の付いた大きなベッドに横になっていた。
「お目覚めですか」
一瞬、自分の家にいるのかと思った。あの頃・・・まだ彼の父親が子爵としての地位を保ち、父と、母と、和久と幸せに暮らしていたあの頃かと。しかし、彼の視界に入ったのは柏木だった。
「お気分は如何ですか?」
何かを押してベッドに近づく。紅茶の香りが漂っていた。
「あの・・・」
夢だったんですかと尋ねようとして、馬鹿な質問だと思ってやめた。あんなことが実際にある訳がない。でも、幸久はここに使用人として引き取られたはずだ。何故、こんな部屋のこんなベッドに一人寝ていたのか・・・
ふと、左の手首を見た。そこには幅の広い、赤いなにか擦れたような痕が付いている。右手を見る。そこにも同じような痕がある。つまり、そういうことだ。
「和久・・・」
幸久はベッドから跳ね起き、部屋を見回す。和久の姿はない。床に飛び降り、ドアに走る。その途中で紅茶のカップを持った柏木にぶつかった。紅茶がこぼれ、カップが床で砕け散る。しかし、そんなことは目に入らない。
「和久!」
ドアノブに手をかけた。が、当然のように開かない。
「和久はどこですか」
振り返り、床にしゃがみ込んでカップの破片を拾っていた柏木に言った。
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」
柏木はゆっくりと立ち上がる。
「和久様はもう、壊れてしまいましたから」
「な、なに言ってるんですか」
幸久は少し笑いながら言った。そんな訳がない。あの和久がそんな筈はない。あれは夢だったんだ。夢に決まっている。幸久は現実から逃げようとした。が、彼の理性はあれは夢などではなかったことを知っている。手首に残る擦り傷、それが証拠だ。
「ご覧になりますか?」
柏木が言った。その顔に表情はない。しかし、その目。何かを期待するかのような、彼を蔑むような、そして、なにかを楽しんでいるかのような目。少なくとも幸久にはそう見えた。
幸久は怯えた。このまま、今日起きた本当のことから目を背け、知らないままでいた方が良いのかもしれないと思う。もちろん、理性は否定する。弟を放っておいていいのか。
(僕は松岡家の嫡男だ。兄として弟を助けなければならないんだ)
「弟のところに連れて行って下さい」
幸久は柏木に言った。
「旦那様の許可を頂いて参ります。少しお待ちを」
柏木が部屋から出て行く。ドアが閉まるとガチャリと音がした。幸久はドアノブを回してみる。案の定、ドアには鍵がかけられている。
(どうしよう)
幸久は混乱していた。昨日までの使用人としての生活。それが今日、突然・・・和久があんな目にあって、自分は鎖で繋がれて、そして、栗山にお前が気に入ったと言われて・・・
『彼はあなたより美しい。だから、壊すのです』
栗山の言葉を思い出す。弟を壊す。そして、柏木はもう壊れてしまったと言っていた。
「壊れるって、何?」
声に出して呟いた。ベッドに座り、頭を抱える。
(訳が分からない)
そう思うのは何度目だろう。とにかく、和久をなんとかしなければ、その思いが幸久を駆り立てる。立ち上がり、窓に近づく。鍵がかかってる。が、それは外せそうだ。鍵を外して窓から下を見る。幸久は、広い庭を2階から見下ろしていた。なんとなく見覚えのあるその庭。あの、全裸で窓拭きをしたときに見た庭だった。記憶を辿る。あの時見たもの・・・あの木。あの植え込み。
(あの時の部屋はあの辺りだ、たぶん)
建物で囲まれた中庭の向こう側の左の方。今はあの時より大分屋敷の奥にいるようだ。よく見ると、中庭を「向こう側」と「こちら側」に区切るように柵がある。今、幸久がいる「こちら側」は、あの部屋から見ると柵の奥になる。
(あの柵、たぶん、普通はあそこからこっち側には入れないんだ)
今、幸久はその入れない側にいる。そして、そこではさっきのようなことが行われている、ということなんだろうか。改めて窓から下を見る。2階といってもかなりの高さだ。ここから飛び降りることは出来る。でも、怪我とか、頭から落ちたら死ぬことだってありそうだ。左右を見てみる。途中に足踏み場に出来そうな所もない。そもそも、今ここから飛び降りても、和久がどこにいるのか分からない。この屋敷がどこまで続いているのか、部屋がどうなっているのかもよく知らない。ということは・・・
(待つしかないのか)
窓を閉めてまたベッドに座る。
(和久の所に連れて行ってもらって、あいつと一緒に)
逃げ出せるんだろうか。このままでは和久がどうなるのか分からない。あの注射でおかしくなったのは、たぶん、何かの薬のせいだろう。だったら、薬の効き目が切れたら元に戻るはず。とにかく和久を見つけて、あいつを連れて、隙を見て・・・
ドアが開いた。
「お待たせしました。旦那様が直々に和久様の所にお連れするそうです」
後ろから栗山が、いつものように背中で腕を組んで入ってきた。
「お体はもう、大丈夫ですか?」
「はい」
幸久は答える。そして続けて言う。
「弟は、大丈夫なんですか?」
すると、栗山が少し笑った。
「もちろんですとも。さあ、一緒に和久さんのところに行きましょう」
そして、まず柏木が、次に栗山に促されて幸久が、そして最後に栗山が部屋を出た。3人は廊下を奥に進んでいった。
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