スマホが震えていた。
孝典はベッドから起き上がり、机の上に置いてあるスマホを手にした。何気なく時間を見る。夜中の2時ちょうどだ。ロックを解除すると、メールの着信を知らせる通知が表示されている。
孝典はその通知をタップする。メールの画面が開き、その内容が表示される。
差出人は「U」、タイトルはなかった。本文にも何も書かれていない。ただ、URLが記載されている。
「なんだこれ」
そして、普段の孝典ならば絶対にしない行動をとった。そのメールのURLをタップした。
どこかの動画サイトが表示された。動画が再生される。ザーっという音がする。慌ててスマホの横のボリュームボタンを何度か押して、音を小さくする。少し暗い画面。初めは動画が上下逆さまなのかと思った。そこに写っているのは、足が上になって、体が下になった、逆さまの人の姿だ。背後は大きな木の板だ。ボリュームボタンを1回押して、少し音を大きくする。その状態で、スマホのスピーカーに耳を近づけた。
「うぅぅぅ」
呻き声だ。画像では、その逆さまになった人の股間が少しずつアップになっていく。
「これ・・・」
孝典には見覚えがあった。それもそのはず、顔こそは写っていないが、そこにいるのは孝典自身だ。だが、実際にこんなことをされたことはないし、そんな動画を撮られた覚えもない。でも、孝典はこの動画を知っている。いや、何をされているのかを知っていた。
それはあの悪夢の続きだ。夢の終わりの方。ここまで見たのは、確か2、3回。動画の中の孝典の睾丸は、背後の木の板に釘で打ち付けられている。そして・・・
金槌が写る。それが孝典の睾丸めがけて振り下ろされ・・・
その瞬間で動画は終わっていた。
「なに、これ」
孝典が知っているそれは、あくまで孝典の夢の中のことだ。実際にあった訳じゃないし、誰かに話したこともない。もちろん、そんな動画を見たこともない。それなのに、夢の中の話が、今、動画になっていた。
動画が終わったあと、スマホはメール画面に戻っていた。もう一度そのURLをタップしてみる。さっきと同じ動画が再生される。
「寝ぼけてた訳じゃない」
もう一度その動画を最後まで見る。間違いなくそれは孝典自身だ。見慣れた体、見慣れたペニス。そして、夢で見たその光景、その背後の木の板。疑う余地はない。孝典の夢に出てきた光景だ。
「なんで・・・」
動画が終わる。メールの画面に戻る。
「夢・・・なのに・・・」
と、またスマホが震えた。メール着信の通知が出る。新しいメールが受信トレイに届いていた。タイトルは何も書かれていない。差出人は「U」だ。
「な、なんだよ、これ」
少し不気味なものを感じた。そのメールをタップしようと指を伸ばす。が、その指を引っ込める。タップするのが怖い。
(もし、あの続きだったら・・・)
孝典の夢はあれで終わりではない。その先がまだある。孝典自身も、その先を見たのは1回だけだ。その、悪夢の最後がさっきのように動画になっているんだとしたら・・・
見たくはなかった。が、それを確かめたいとも思った。
指が震えている。その指を伸ばす。スマホの少し手前で一旦止める。呼吸が荒くなっている。そして、孝典はそのメールを開いた。

URLは書かれていなかった。
「今日15時本屋前」
それだけだった。孝典は、まばたきをすることも忘れてそのメールを見つめた。
(な・・・何なんだよ、これ)
そのまま、スマホを持って固まったまま、孝典は朝を迎えた。
そう、メールに書かれていた「今日」が始まった。

その「今日」は、孝典にとって長い一日だった。
授業中も時計が気になって仕方がない。そして、そんな日に限ってなかなか時間が進まない。と思うと、午後に入るとあっという間に時間が過ぎていく。正直に言えば、孝典にはあのメールに書かれていた時間、場所に行ってみる覚悟がまだ出来ていなかった。午前中は、敢えてそのことは考えないようにした。そして、午後に入ると学校が終わるまでに行くかどうか決めようと思っていた。それが、あっという間に学校終わりの時間だ。まだ決断できていない。どうするべきか・・・そもそもあの不可思議な動画とメール、断ることが正解なのか、あるいは断るとどうなるのか、全く想像つかない。でも・・・いや、だから、あのメールの時間にあのメールの場所に行ってみる必要があるように思う。
時間より、少し早めに商店街の入口にいた。今時、本屋はほとんどなくなった。だから、あのメールで指定されている本屋というのはこの商店街の本屋に間違いないだろう。脇道に立ち、なんとなく本屋の方を伺った。店の前には誰もいない。店の前まで行って、店内を伺ってみても店主以外誰もいない。また商店街の入口に引き返す。スマホを取り出して時間を見る。まだ少し時間がある。
(どうしよう・・・)
店の入口に来てからも、まだ迷う。このまま帰ってしまおうか、あんな動画を見たことは忘れて。でも、それも出来ないのは分かっている。夢は見続けている。あの動画のことを忘れられたとしても、夢を見ればきっと思い出す。そして、その度に不安になる。そうなることが分かっている。分かっているけど・・・
スマホが震えた。メールが届いていた。
「君は必ず僕に会う。公園のベンチ」
まるで、今の孝典の心の中が見えているかのようなメールだ。画像が添付されていた。恐る恐る、その画像を見てみる。何のことはない、普通の画像だ。見覚えのある公園。この書店がある商店街の外れにある公園だ。つまり、この公園に来いってことだ。
孝典は意を決し、その公園に向かった。公園の入口が見える。画像に写っていた場所はすぐに分かる。そして、そこから写したんだろうと思えるベンチに、誰かが座っていた。その誰かは孝典を見ていた。

孝典はゴクリと唾を飲み込む。ゆっくりと、その誰かに近づく。それは、孝典より少し年上の、高校生くらいの少年だった。彼はベンチに座って、ずっと孝典を見ている。その少年に吸い寄せられるように、孝典は近づいていく。
「やあ」
普通の少年だ。別に何か変わったところはなさそうだ。
「座って」
ベンチの隣を指した。そこに孝典は座る。
「来たってことは、あの動画がなにか分かってるってことだよね」
孝典は少し俯き、首を横に振った。
「あれは・・・あれは夢で、なんで夢が動画になってるのか・・・」
「そうか、むしろ分からないから来たっていうのが正しいか」
その少年は笑顔で言った。
「知りたい?」
はいと答えるべきか、いいえと答えるべきか。孝典は躊躇した。
「いや、君は知るべきだよ。あの夢は何なのか、そしてどうなるのか、孝典君」
少し間を置いて、孝典が言った。
「なんで、僕の名前知ってるんですか?」
「それも含めて教えてあげるよ。僕の家に来ればね」
この人の家に行く。別に悪い人ではなさそうだ。でも、初めて会った人に、それもあの動画を送ってきた人の家に行くなんて、少し不安だった。
「いやならいいよ。でも、今、君の身に起きていること、これから君に起こることは、ここじゃ話せない」
その人がすっと立ち上がる。孝典の方を向いて言う。
「それが知りたいなら、ついて来て。知りたくないならそのまま座っていればいい」
そして、2、3歩歩き出す。
「そしたら、もう二度と君の前には現れないから」
「ま、待って」
孝典は慌てて立ち上がる。
「知りたい、知りたいよ」
小走りで少年に追いつく。
「ウチ、すぐ近くだから」
そして、二人は小さなアパートに入っていった。

「お、おじゃまします」
孝典は素早く部屋を見回す。殺風景な部屋だった。ベッドと大きなモニター、パソコン、ローテーブルにクッション。そして部屋の隅にいろいろなものが小山のように積まれている。それくらいしか物がない。
「適当に座って」
少年はクッションを指差す。そして、キッチンの冷蔵庫からペットボトルを取り出した。
「このままで悪いけど」
ペットボトルのまま、孝典に差し出す。それを受け取る。
「相田、孝典君だよね」
少年は改めて確認するかのように尋ねた。
「はい」
「まあ、分かってるけどね」
そして、簡単に自己紹介する。
「取りあえず、僕のことはユウとでも呼んで」
そういえば、メールの差出人は「U」だった。
「もう少ししたら、ちゃんと自己紹介するから」
そして、何かパソコンを操作する。
「まずは、これを」
モニターを指した。動画が再生される。あの動画だ。
「こ、これ」
孝典は、慌ててモニターの前に手を差し出した。あのメールの動画だった。でも、少し違う。あのメールのURLから見た動画は、顔は写っていなかった。でも、今、この動画には顔もはっきりと写っている。それは間違いなく孝典自身だ。
「恥ずかしがる必要はないし、恥ずかしがってる場合じゃない」
ユウは孝典の手を押さえる。動画は釘で打ち付けられた孝典の睾丸がアップになっている。そして、そこめがけて金槌が振り下ろされようとしていた。
「送ったのはここまで」
そのまま動画は続く。睾丸に金槌が振り下ろされている。1回、2回、3回と続く。画面が切り替わり、涙を流しながら、何かを叫んでいる孝典の顔のアップ。誰かの手が、そんな孝典の頬を叩く。
そこで、ユウは動画をストップした。
「この先、どうなるかは知っているよね?」
ユウが尋ねる。孝典は何も答えない。だが、もちろんその先は知っている。男が庖丁を喉に突き刺し、孝典は血を噴き出しながら息絶える。
「分かってるようだね」
そんな孝典の表情を見てユウが言った。孝典は頷いた。
「いつからこの夢を見るようになった?」
「3、4ヶ月位前・・・だと思います」
「やっぱり」
ユウが言った。
「何か知ってるですか?」
孝典がユウを見る。
「なんで、なんでこんな夢見るんですか。僕、おかしくなったんですか?」
そして、堰を切ったように話し始めた。
「男にオナニーさせられたり、玉潰されたり殺されたりする夢を見るんです。そして、玉潰されて痛いのに、勃起してるんです、夢精してるんです」
そこで一息吐く。
「僕、僕、頭、おかしくなったんですか?」
「落ち着け」
ユウが言った。ユウは立ち上がって、部屋の隅に積み上げられているいろいろな物の山の中から、スケッチブックとペンを取り上げた。
「まず、君は別におかしくなってる訳じゃない」
それを持って、孝典の隣に座る。
「ただ・・・普通でもない」
「やっぱり、僕は」
「パラレルワールドって知ってる?」
急にユウは話を変えた。持っているスケッチブックに3本の線を川の字のように書く。
「こんな風に、今、自分がいる世界とは別の世界が、平行して存在するって話」
「聞いたことはあります」
ユウが、3本の中の真ん中の線を太く強調する。
「ここが、今、僕等がいる世界だとして、こっちの世界は」
左右の線をペンで指し示す。
「僕等の世界とは、何かが少しずつ違う、そういう世界」
孝典は頷く。
「ここまでは分かるよね」
「はい」
また頷く。
「ここから先は、信じてもらうしかないんだけど・・・」
ユウが、また部屋の隅でガサガサと何かを探した。その何かが見つかったらしく、孝典の横に戻る。
「まず、これを見て」
カードを差し出した。写真が付いている。高校の学生証だった。
「ほら、ここ」
ユウが指差す。名前が記載されている。
「え?」
孝典は思わずユウの顔を見た。そこに書かれていたのは、「相田 孝典」という名前だった。
「同姓、同名?」
「違うよ。僕は君、本人だ」

      


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