「相田」
佐竹先生が孝典を指す。
「はい」
孝典は黒板の前に進み出て、そこに書かれている数式を解き始める。チョークが黒板にカチカチと当たる音がする。そして、その音の終わりと共に、孝典が黒板に背を向け、教室のみんなの方に向き直った。
「よく出来たな」
「おぉ・・・」
佐竹先生が言うのと同時に、歓声のような、溜め息のような声が教室に溢れた。
「さすが学級委員」
誰かが言う。すると、佐竹先生が孝典の隣に立ち、孝典の背中に手を添えた。
「学級委員かどうかなんて関係ない。ちゃんとこの公式を覚えておけよ」
佐竹先生が黒板に書かれた計算経過の途中の式に、赤いチョークで丸を付けた。
「テストに出るからな」
みんなは黒板の数式をノートに書き写す。その中に奥本君もいる。奥本君は孝典が解いている最中からすでにそれをノートに書き取っていた。孝典なら必ず間違えずにそれを解ける、ということを知っているかのように。他の生徒達より早く顔を上げた奥本君と孝典の目が合った。奥本君は意味ありげに軽く微笑む。孝典は表情を変えない。
「ここからここ、授業ではこう教えたけど」
そう言いながら、先生が赤いチョークで黒板に書き加える。
「どうしてこう展開した?」
「前に、先生、言ってましたから」
(そこは仰ってました、だろ)
先生の公式についての説明を聞き流しながら、奥本君は心の中で突っ込みを入れた。孝典は頭はいいし、素行も優れている。目上に対する言葉遣いも丁寧だ。でも、たまにこんなミスをする。完璧じゃない。
(孝典らしいな)
いつからか、奥本君の中で、孝典が『相田君』から『孝典』に変わっていた。しかし、それを口に出したことはない。話すときは、相変わらず『相田君』だ。でも、二人の間の距離は、徐々に縮まっているのは確かだった。
みんなは佐竹先生の説明を聞きながら、ノートに何か書き込んでいる。しかし、奥本君はすでにそれを孝典から教えてもらっていた。今や、奥本君の成績は、このクラスでは孝典の次に良かった。しかし、孝典との間には、まだ壁がある。その壁が埋められないのか、埋めないのか、奥本君自身もよく分からない。それもまた、彼等二人らしい関係であった。
「よし。相田、戻っていいぞ」
孝典が席に戻ろうとしたその瞬間、佐竹先生が孝典にだけ聞こえるような小さな声で言った。
「さすがだな、学級委員」
(今言ったことと違うじゃん)
孝典は少し笑顔になる。そして、席に戻った。
「ほら、次行くぞ」
先生が次の問題を黒板に書く。奥本君が孝典を見ていることに気が付くと、孝典の目が微かに微笑んだ。そういう表情。孝典が実はこういう表情を見せるということはクラスのみんなが知っていた。そして、そういうところが、ただ頭がいいだけではなく、孝典が人に好かれる所以でもあった。
「まだ、夢見るの?」
孝典の家で、視線はノートに向けながら、奥本君が尋ねた。彼はもう、孝典に教えてもらわなくても十分上位の成績が取れるようになっていた。しかし、以前より頻繁に、彼は孝典の家に来るようになっていた。そして、二人で勉強をする。以前のように孝典が教えるのではなく、ただ、一緒に勉強をしていた。その間の二人の会話は少ない。そんな少ない中で、奥本君が孝典に尋ねた。
「うん」
孝典も顔を上げずに短く答えた。それ以外には何も言わない。が、奥本君は孝典がそのことを気にしているのを感じていた。そして、何かあった、ということにも気付いていた。
「話してくれない?」
相変わらずノートを見ながら言う。しかし、孝典は何も答えない。そのまま、しばらく沈黙が続く。
「最近、何かあったでしょ」
孝典は答えない。
「その夢に関係してること?」
一瞬、孝典の手が止まったのに奥本君は気が付いた。
「誰かに相談した方がいいと思うよ」
そのまま、顔を上げずに言った。
相談なんてする必要はない。
あの夢はパラレルワールドで実際に孝典に起きたことだ。そして、この世界でも起きるかも知れないことだ。そして、ユウを思い出す。
パラレルワールドの孝典は、あの夢で見た行為の後、殺された。他の世界でもそうなっている。それを、ユウは何とかしようとしてくれていた。でも、もうユウはいない。
その一方で、孝典はユウのM奴隷になった。その行為に興奮し、その行為に溺れた。それを、あの時から、ユウがいなくなったときから全くしていない。頭がおかしくなりそうだ。うずうずして、そわそわして・・・そんな孝典の様子は、奥本君の目から見てもおかしいと思えるものだった。だから、奥本君は・・・
(心配してくれてるってのは分かるけど・・・)
誰かに相談してなんとかなることじゃない。相談するとしても、一体、誰にあんなことを打ち明けられるだろう・・・
「大丈夫だから」
結局、孝典は奥本君にそう答えた。目の隅で動いていた奥本君の手が止まった。
「ホントに? 何があったのかは知らないけど・・・」
「ホント、大丈夫」
孝典は告げる。その一方で、ズボンの上からそっと股間を押さえた。
奥本君。孝典がみんなが思っているように、頭が良くて、ただ真面目なだけじゃないことを知っている唯一の友達。孝典だってオナニーしていることを知っている。孝典だってエロいサイトを見ていることを知っている。
チラリと奥本君を見た。奥本君はノートに向かっている。でも、一瞬、二人は目が合った。孝典の中で何かが脈打つ。慌てて目を伏せる。
奥本君も目を反らした。
「一応・・・さ」
奥本君が言う。
「友達だから・・・さ」
それだけ言った。でも、孝典にはその後に続く言葉が聞こえる。
(心配してるんだよ)
それから、二人は何も言わなかった。それぞれの課題を淡々とこなし、そして、奥本君は帰っていく。でも、その表情は孝典の目に焼き付いた。
(誰かに相談できるとしたら・・・)
夜、ベッドで横になって考えていた。奥本君はあんなに心配してくれている。それを何もせずに放置するのも、きっと良くないだろう。
「でも、あんなこと・・・」
親は絶対無理。あり得ない。友達・・・みんな、本当の孝典を知らない。相談したら、面倒が増えるだけだろう。奥本君なら・・・でも、これ以上話しても、奥本君も困るだけだろう。医者? 何科にいけばいいんだろう。精神科? でも、きっとストレスだとかそういうこと言われて、体動かしてストレス発散しろ、とか言われるんじゃないだろうか。
スマホで「悪夢 病院」で検索してみる。色々出て来る。リンクの一つを開いてみた。いろいろ書いてあるが、頭に入ってこない。当たり前だ。あの夢は悪夢じゃなくて実際に起きたことだし・・・こことは違う世界で、だけど。そして原因だってはっきりしてるんだから。
(ユウとセックスできたら、一発なんだけどな)
今、どんな世界にいるんだろうか。そして、その世界の僕とも出会ってるんだろうか・・・
(その世界の僕と、やってるんだろうか)
そう考えると、いても立ってもいられない。孝典はガバッと体を起こす。パジャマのまま、部屋を出た。家人はもう眠っているのか、どの部屋も灯りは消えている。そのままそっと家を出た。夜の冷気が少し冷たく感じる。夜の街をパジャマで散歩する。少し新鮮な感じだった。
特にどこに行こうなんて思っていなかった。気が付いたら、ユウが住んでいたアパートの前にいた。ユウのいた部屋を見上げる。灯りは点いていない。しかし、孝典は、すでにそこには違う人が住んでいることを知っていた。そのまま顔を伏せて、また歩き出す。駅の近くにはまだいくつか灯りが点いている店もある。コンビニか、お酒を飲ませる店だ。
(お酒とか飲めたら、忘れられるのかな)
そんな店の前を通り過ぎる。明るいコンビニの前も通り過ぎる。近くの公園に入ってみる。公園の明かりはもう消えている。暗い公園のベンチに座る。
「はぁ」
溜め息を吐いた。
(結局、ユウと出会ったのって・・・)
その先はあまり考えたくなかった。しかし、あれから孝典の人生の歯車がきしみ始めた。もし、ユウに出会わなかったら、ただの悪夢で終わっていたかも知れない。
でも・・・
「相田・・・」
誰かの声がした。孝典は驚き、声の方を振り向いた。
「やっぱり相田か」
佐竹先生だった。
「こんな時間に何してるんだ」
少し詰問するような口調だ。
「中学生が一人で出歩くような時間じゃないだろ」
「あ・・・はい」
孝典はベンチに座ったまま、頭を垂れた。それを見た佐竹先生が孝典の隣に座る。
「なにかあったのか?」
急に優しい口調になる。
「別に・・・」
「お前みたいな中学生が、そんな格好でこんな時間に一人でいるなんて、何もない訳ないだろ。どうしたんだ?」
孝典は隣に座る先生をチラリと見た。いつも、学校ではちゃんとした服を着ているけど、今はジャージだった。体の向こう側にコンビニの袋が置いてあった。
「ちょっと・・・眠れなかったから」
「そうか・・・」
先生はしばらく無言だった。
「時々あるのか? 眠れないことが」
それは教師として、夜、一人でいる孝典に対する当然の対応だったのかもしれない。
「初めて・・・です」
孝典としても、別に悪いことをしていた訳じゃない。こんな時間に、ということを除けば、だが。
「で、でも、もう大丈夫です」
慌てて立ち上がった。
「帰ります。おやすみなさい」
そう言い捨てて、早足でベンチから離れた。先生は少し腰を浮かす。が、またベンチに座り直し、そんな孝典の背中を見えなくなるまで見送った。
帰り道、考えていた。
成績優秀、真面目な学級委員が、夜中にパジャマで一人公園にいた。それが先生にどう見えただろうか。学校で何か言われたりするだろうか。今までのように先生に信用してもらえなくなるんじゃないだろうか。
ひょっとしたら、家出とか思われてないだろうか。
(それはないか。パジャマで家出なんて、な)
それよりも・・・
(ひょっとしたら、親が喧嘩して家にいられないとか、あるいは僕が虐待されてるなんて思われたりしないよな)
それはあまり良くなさそうだ。学校で呼び出されてあれこれ聞かれたりするんだろうか。
虐待なんて、否定すればするほど疑われそうな気もする。
(面倒なことになったかも)
あれこれ思い悩みながら家に帰る。親に見つからずに部屋に戻る。
(親を呼び出し、なんてなったらどうしよう・・・)
悪い予感しかしない。
(だったら、いっそ、先生に言っちゃった方がいいかもしれないな・・・)
あのことを相談出来そうな相手はいない。でも、先生なら・・・もちろん、全部を話すのは無理だけど、少しなら。そうやって理由を話しておけば、虐待だとか変なことにはならないだろう。
(それに、先生に相談したって言えば、奥本君も安心するかもしれないし)
悪くない考えのように思えた。
しかし、学校ではそのことを佐竹先生に切り出すことはできなかった。
その夜も孝典は眠れなかった。昨日と同じように頭の中を色々な思いが駆け巡る。
(また公園行ったりしたら先生に会っちゃうんだろうか)
毎日そんなことしていると思われるのは絶対に良くないだろう。
(でも、あそこでなら言えるかも)
孝典は身体を起こした。時計を見る。昨日よりは1時間くらい遅い時間だった。それでも孝典は家を抜け出した。
昨日と同じ公園で、昨日と同じベンチに座っていた。少し離れたコンビニの灯りが見える。
(今日はもう先生帰っちゃったかな)
何を期待しているんだろう。先生に会いたいのか、先生に打ち明けたいのか、それとも・・・
「相田」
その答えが出る前に、孝典を呼ぶ声がした。
佐竹先生だった。昨日と同じようにジャージで、そして少し息が上がっている。
「先生」
「やっぱり今日もいたな」
孝典は俯いた。
「お前、ひょっとして虐待とか」
「違います」
先生の質問に被せるように答えた。
「やっぱり・・・そんなふうに思われてたんですね」
そして、孝典は黙り込んだ。少し時間が過ぎる。
「ちょっと待ってろ」
先生が立ち上がった。そのままコンビニに歩いていく。そして、白い袋を下げて戻ってきた。
「腹、減ってないか?」
袋の中からパンを取り出す。そういえば、少し小腹が減っているような気もする。
「俺の家、すぐそこだから。こんなところで話するよりはいいだろ」
そして、二人は佐竹先生のアパートに向かった。
「少し散らかってるけどな」
確かに部屋の中は散らかっていた。しかし、足の踏み場もない、というほどではない。二人は小さなテーブルに向かい合って座る。
「ほら、腹減ったろ」
さっきの袋からパンとジュースを取り出して、孝典の前に置いた。
「ありがとうございます」
孝典は小声で言って、パンに手をつけた。先生もパンを食べる。二人はパンを食べ続ける。
「何も聞かないんですか?」
「言いたければ言えばいいし、言いたくなければ言わなければいい」
食べながら言う。
「教師だからって、中学生の悩みを全て解決できる訳じゃないしな」
そして、また食べる。二人とも何も言わない。
孝典はその部屋に入ってから感じていた。
(佐竹先生って・・・)
先程の公園では感じなかった、汗の匂い。おそらく佐竹先生のジャージの匂いと、そしてこの部屋の匂いだろう。
(男の・・・雄の匂い)
ユウとセックスした時の匂いと同じ匂いだ。勃起しかかっている。チラリと先生を盗み見る。
(佐竹先生って、こんな感じだったっけ・・・)
目の前の先生は、雄の匂いを発散している。細めだけど、ジャージが似合っている。
(筋肉質なのかな)
まるで視姦するかのように先生を見る。先生は気付かずにいる。少し息が荒くなる。
「先生・・・」
先生が顔をあげる。
「僕・・・その・・・」
先生の横に移動する。佐竹先生が少し横にズレて、孝典が座れる場所を開ける。そこに、佐竹先生に身体を押し付けるようにして孝典が座る。
「どうした?」
「僕・・・」
先生に抱きついた。そして、息を大きく吸い込む。
(ああ、この匂いだ)
「大丈夫か?」
佐竹先生が孝典の肩に腕を回した。その何気ない行為が孝典に火をつけた。
「先生、僕としてください!」
孝典が先生を押し倒した。
「おい、相田、何言ってるんだ」
ジャージの上から先生の股間に顔を押し付け、ぐりぐりとそれを感じる。
「先生」
そこを掴む。
「何やってんだ」
先生がその手を引き剥がそうとする。
「先生、僕、もう、だめなんです」
先生の顔を見た。その表情が、佐竹先生を怯ませた。
「な、何があったんだ」
孝典はそれには答えず、佐竹先生のジャージの下に手を滑り込ませた。
佐竹先生のペニスを孝典が咥えている。右手は自らのペニスを扱き、そして左手の指はアナルに差し込まれていた。
佐竹は教師としてこんなことが許されるはずがないことはもちろん承知している。が、今これをやめさせるとどうなるのか、そんな不安を抱く程、先程の孝典の表情は切羽詰まった何かを訴えていた。
「ああ、先生・・・」
(今日だけだ)
そう思いながら、佐竹は孝典のその行為を許していた。
「先生・・・」
孝典は佐竹のペニスを咥えたまま、体の向きを変え、佐竹の上に四つん這いになる。佐竹の目の前で、孝典の指がアナルに出入りしている。
「先生、入れて」
孝典が身体を起こし、佐竹のペニスの上に跨った。
「あ、相田、それはだめだ」
佐竹が上半身を起こす。すると、孝典がその体にしがみつき、口を押し付けてくる。
「相田・・・」
佐竹の口が、孝典の口で塞がれる。
「ああ、先生・・・」
そうしながら、孝典の手が佐竹のペニスを掴み、それを自らのアナルに導いた。
「だ、だめだ、相田」
孝典が身体を沈める。孝典の中に佐竹が入る。孝典が身体を揺らす。その間も佐竹を抱きしめ、口を押し付ける。
「あ、や、やめ・・・」
孝典は佐竹がいくのを感じた。それを感じて孝典も射精した。
僕は裸のまま、佐竹先生に抱きついていた。先生は射精した後、何も言わなかった。僕も何も言わないまま、ずっとそのまま先生の匂いを感じていた。
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