約束
−10−


中学に入って、今の塾に行くようになった。初めは塾なんか行きたくなかったし、それなりの成績だったから親も無理に行かせようとはしなかったけど、2学期になると少しずつ解らないところが出てきて・・・成績が下がったから、親との約束通り、塾に行くことになった。
そして、そこに涼君がいた。

初めて出会った時から、涼君は他のみんなとは少し違う雰囲気だった。なんというか・・・なんか暗いやつ、とか思った。だって、他の奴らとあんまり話とかしてなかったし、塾が終わっても誰かと一緒に帰るんじゃなくて、一人でいつのまにか消えちゃってたから・・・壁があるって感じだった。
でも、それは暗いとか人付き合いが悪いとかっていうのとはちょっと違うのが分かってきた。僕は途中から入ったから、前から行ってた奴はなんとなく座る場所とか誰と座るかとか決まってて、だから、空いている席もなんとなく決まっていた。そして、僕が空いている席に座ると、自然と涼君の近くになることが多かった。すると、話す気がなくても話さなきゃならなくなることがある。たしか、テスト前の追い込みの時だったと思う。僕は消しゴムを忘れたのに気がついた。というか、学校にいたときはあったから、どこかで落としたのか、机に出してたのをしまい忘れたのか・・・
こいつに「消しゴム貸して」とか言ったら、きっと僕の方を見て「持ってこなかったの?」とか何とか冷たい目で見て、それからしぶしぶ貸してくれるんじゃないか、なんて頭の中で考えた。そして、話しかけ難いなぁ、とか思いながら話しかけてみると・・・
「いいよ」
ってちょっと笑って言ってくれて、使い終わって返すと、涼君の机の、僕の座ってる方の端っこに消しゴム置いて、
「ここに置いとくから使っていいよ」
って・・・
(なに、こいつ、いい奴じゃん)
それが僕の涼君との最初の思い出だった。

でも、それで仲良くなったわけじゃない。その程度の話はするようになったけど、やっぱり涼君の周りには壁があった。その壁が少し低くなっただけだった。
僕が涼君と仲良くなったきっかけは・・・あるアニメ映画だった。

僕はいつも時間ぎりぎりか、少し遅れて塾に入る。だいたいもうみんな来ていて、涼君は当然のように来ていて、自分の席でノートとか広げて待っている。僕はその横に座って、急いで準備する。そんな感じ。
珍しく僕がかなり早めに行った時があった。別に早く行くつもりだった訳じゃない。ほんとにたまたまだった。教室にはまだ3、4人、ほとんど誰も来ていなかった。その3、4人の中に涼君はいた。まだ机の上にはなにも出していなかった。携帯にヘッドホンを付けて何か見ている。僕はいつものように涼君の隣の席に座ろうとした。そのときに涼君の携帯の画面がちらりと見えた。
「あっ」
僕が声を上げると、涼君が僕の方を見た。そしてヘッドホンをはずす。
「どうしたの、早いじゃん」
「別に」
そこまではいつもの感じだった。でも、そこから先、涼君が話しかけてきた。
「これ、知ってる?」
涼君が携帯の画面を見せる。ちょっと古いアニメ映画だった。お父さんが好きで家で何回も飽きるほど見てる。僕も何回かつきあわされた。僕等みたいな中学生が主人公で、昔は大ヒットしたとかいうことらしいんだけど・・・
「うん。お父さんが好きでよく見てる」
それから、涼君が今まで見せたことがない一面を見せた。授業が始まるまでの間、ほとんど涼君が一方的にしゃべってた。僕はたまに相づちを打つ程度。
「そうだよね」
とか
「お父さんもそう言ってる」
とか・・・
アニメの映画をこんなに熱く語るような性格だとは思っていなかったから、なんというか・・・呆気にとられた感じだった。って、あとで涼君にそう話したらすごく照れくさそうにしてたけど・・・だいたい、僕等の年代じゃ知らないはずのアニメだし、同級生でこのアニメの話が出来ることに少し興奮したみたいだった。
でも、涼君はアニメおたくじゃない。たまたまこのアニメが好きだった、というだけ。だから、他のアニメ、特に今時のアニメの話をすると、全然乗ってこない。というか、知りもしない。そのへんのギャップが僕にとってはおもしろいんだよな。他の奴は、涼君はアニメなんて見てないと思ってるだろうし、ましてやアニメについて熱く語るなんて知らないだろうし・・・僕だけが知っている涼君の秘密だった。別に涼君は秘密にしている訳でもないけどね。

そんなこととかがあって、僕は少しずつ、塾で見ている涼君以外の涼君を知るようになっていった。家に遊びに行ったり、アニメ映画を一緒に見に行ったこともある。今のアニメについて、涼君に教育するためだ。でも、あんまり興味はなさそうだった。そんな涼君のお気に入りが博物館だった。この街にも博物館はある。大きな街じゃないから、博物館も大したことはない。だから人も少ない。そんな人の少ない博物館で、昔の化石とか古い道具だとかをじっくり眺めてるのが好きだった。というか、博物館そのもの、博物館の少し人を選ぶような雰囲気、ひんやりした空気、そして学校や塾の友達にまず会うことはないであろうこととかが気に入ってるみたいだった。
涼君は別につきあいが悪い訳じゃない。友達を避けているわけじゃない。でも、お気に入りの場所に踏み込まれるのは好きじゃないようだった。
僕を除いて・・・

夏の暑い日、涼君と一緒に博物館に行った。その日、その夏の最高気温を記録した日は、道を歩いている人がほとんどいないくらいの暑さだった。二人ともTシャツに汗の大きなシミを作りながら博物館まで自転車を飛ばした。博物館の中は冷房が効いていた。僕にとってはそれだけで天国のような気がした。でも、涼君の目当ては違う。ゆっくりと博物館の中を無言で歩く。これが公園とかだったら散歩してるって感じだった。そして、時々立ち止まる。その横顔を見れば、涼君の気持ちが分かる。普通に見入っているのはちょっと興味があるとき。かなり興味を引かれたときは、この表情プラス眉間にしわが加わる。そして、どっちかというと、真剣な感じの顔。この表情が崩れて、あの携帯で見ていたアニメについて話している時みたいな少しにやけたような表情になったら、僕はそっとその場から逃げ出そうとする。
「慎ちゃん」
案の定、僕に声をかけてきた。これから、涼君の解説が始まる。展示されてる物のそばにあるプレートを見ながら、これは何年前のこういうもので・・・って話し始めると止まらなくなる。
いや、逃げ出そうとはしたけど、別に解説されるのがいやって訳じゃないよ。
ただ・・・
長い。
涼君の気が済むまで、あるいは僕がこの物のすばらしさを理解した、と涼君が思うまで解説は終わらない。そんな涼君の解説は・・・普段は絶対見せない表情で、きらきらした目で話す涼君の顔に見とれて、全然僕の耳に入らない。だから、ますます解説が長くなる。塾の涼君の、どちらかというとクールな雰囲気しか知らない人にとっては、絶対に双子の兄弟がいるんだ、と思うだろう。クールな涼君は少し年上みたいな雰囲気があるけど、解説している涼君は、むしろガキっぽくて、年下みたいに感じる。こんなときの涼君を、僕はたまに子供扱いしてみる。
「ふぅん、そうなの・・・すごいねぇ、よく知ってるねぇ、涼ちゃんは」
小さい子供に話しかけるように言ってやると、涼君は少しすねたような顔をする。この顔が・・・めちゃかわいい。最近は涼君をからかってもあんまりこの表情はしてくれないんだけど、でも、僕はそれを見たいからがんばってからかったりする。時々怒られるけどね。

涼君は、特に古代文明、インカ帝国だとか、エジプトだとかが好き。近くの博物館じゃ、さすがにそんなすごいのは展示されることはないんだけど、電車で少し行ったところにある大きな博物館だとたまにそういうのが展示されることがある。そのときは、必ず涼君から携帯にメールが来る。それ以外ではほとんどメールは来ないのに。

そんなふうにして、他の人が知らない涼君を知っていくうちに、僕はどんどん涼君に引かれていった。クールで頭のいい涼君もそうだけど、子供っぽい涼君も好きになっていった。

涼君には彼女がいるって噂だった。
それは、同じ学校の同じクラスの子で、それなりの関係になってるってことだった。
いつも涼君と一緒に遊んでいた僕は、その噂は嘘だと思っていた。でも、よく考えてみると、毎週必ず1日は、遊ばない日がある。それが、ひょっとしたら彼女と会ってる日なのかも知れない。そう思ったら、すごくくやしくなった。嫉妬・・・間違いなくそうだ。僕は涼君の彼女に嫉妬していた。自分の気持ちに気が付いたのはそのときが初めてだった。でも、彼女とは週に1日だけ、他の日は僕と一緒にいる。これって、僕の方が彼女より上ってことじゃないの? そう考えて自分をなだめようとした。でも、その週1回の日に、涼君がどんな子と一緒にどんなことをしているのか、すごく気になった。
だから・・・
普通だったらこんなこと絶対にしない。こんなことがばれたら、僕は涼君に嫌われる、でも、どうしてもやめられなかった。
その日、涼君が僕と遊ばない日、僕はこっそりと涼君の家の前に行って、見張っていた。家から出てきた涼君のあとをこっそりとつける。駅に向かう道を歩く涼君の後について、こそこそ隠れながら僕も駅の方に向かう。駅前のロータリーで涼君は立ち止まって、左右を見回した。僕は自動販売機の影に隠れた。すると、涼君は何かを見つけて、そっちのほうに小走りに走っていく。僕も後を追う。涼君は黒い大きな車のドアを開けて、その車に乗り込んだ。僕が追いつく前にその車は発車した。
(どんな人が運転してるんだろう)
僕はロータリーを回る車の中をなんとかのぞき込もうとしたけど、ガラスには黒いフィルムが貼ってあって、中の様子は分からなかった。
(彼女じゃないの?)
どういうことなのか、僕には理解できなかった。いろいろと考えてみる。彼女の親が迎えに来て、彼女の家まで送ってくれるとか・・・そんな関係は僕の頭が否定する。親が迎えにくるなんて、実際変な話だし。
他の可能性・・・親戚か誰かで、今日はたまたまその人と用事か何かがあって、どこかに行くんだ、とか。
涼君に直接聞きたかったけど、それはできなかった。だから、僕はそんなことを何回か続けた。
涼君は、ほぼ週に1回、あの車でどこかに行っていた。運転席には、サングラスをかけた男の人が座っていた。

涼君にそれとなく聞いてみたこともあった。
「昨日はなにしてたの?」
あんまりちゃんとした答えは返ってこなかった。「べつに」とか、「家に居たよ」とか・・・
嘘だ、と言うわけにもいかない。あとをつけてたなんて知られたら絶対嫌われるし。もし、親戚とどこかに行くのなら、嘘をつくような必要はないと思う。それに、彼女のお父さんだったとしても、他の人ならともかく、僕にまで嘘をつく必要はない。
だとしたら・・・



初めてしたのは、小学校6年の時だった。
そのときは、ホントに興味本位でだった。悪いこと、という意識はあった。でも、それをしようと思った時のどきどき感から、やがて病みつきになっていった。

万引き・・・

初めはコンビニで小さなお菓子だった。人の話やネットの掲示板に書いてあるのを見て、何となく自分もやってみた、それだけだった。
でも、次は違った。目の前にあるHな本。それが見てみたかった。だから、店の人が誰もいない時に、僕はそれを鞄につっこんで、その店を出た。小さな店だし、店の人も一人しかいない。監視カメラとか防犯カメラとかはなさそうだったし、それで捕まるなんてことは考えもしなかった。
公園のトイレで、僕はその本を見た。
思ったほどじゃなかった。
でも、そのときのどきどき感は忘れられなかった。それからは、そういうどきどき感を感じたくて、別に欲しくもない物を何度も万引きした。成人向けの本とかも、別に欲しくなかったけど、何冊か。
そういう本は公園のトイレに捨てていた。時には全く見もしないで捨てるときもあった。そんな風に公園のトイレに通うようになって、やがて同じようにトイレに通う人がいるのに気がついた。普通の会社員みたいな人が、夕方くらい、僕等が学校から帰って、そして僕がどきどき感を求めてまたあれをしてしまうような時間に、その人はいた。
別に気にもとめなかった。どう見ても警察とかそういう感じじゃないし、万引きしたところを見つかったわけでもない。
でも・・・
ある日、いつものように成人向け雑誌を万引きして、コンビニから出てきたところにあの人がいた。いつも同じ店で万引きするのはまずいから、いろんな店を適当に回っているので、その日はたまたまだと思った。
でも、そういうことが何回かあると、さすがにこの人につけられているみたいだってことに気がついた。その日も店の前にあの人がいた。そのままいつものように公園に向かい、トイレに入る。その人も入ってくる。
「なんですか、僕に何か用でもあるんですか?」
僕はその人に言った。
「それ、お前だろ?」
トイレの隅に置かれている本を指さした。数日分が溜まっている。
「毎日どっかで万引きしてきて捨ててるんだろ?」
「だからなんだよ」
僕は強気だった。
「学校とか家に知られたらまずいでしょ?」
「勝手にすれば?」
少しどきっとした。今までは、ある意味ゲームのようなつもりだった。学校とか家とか、そういうのは関係がないゲームだった。けど・・・僕は動揺を悟られないように虚勢を張る。
「まぁ、うちに来て」
その人は僕の服をつかんで引っ張った。
「離せよ」
その手をふりほどいた。でも、僕には逃げられなかった。
僕はその人の家で、初めて人に触られた。
でも、それだけだった。

それだけだったけど、あのどきどきする感じ以上のなにかがあった。
それ以来、僕は万引きはやめた。そして、その代わりにあのトイレであの人を待つようになった。
その人とはもう1回だけ会えた。また家に行って、さわられて、その人の手でいった。その人はそれ以上はしようとしなかった。
「俺を待っててくれたの?」
そう聞かれた僕は頷いた。そして、どきどきしたことを話した。ネットの掲示板を教えてもらったのはその時だった。あのトイレのことを書き込んでもらった。それ以来、あのトイレの一番奥が僕の居場所になった。

やがて、トイレで知り合った人と定期的に会うようになった。公園の前で待ち合わせて、車で相手の家に連れて行かれた。
そこで、僕は入れられることを覚えた。

中学入学のお祝いにパソコンを買ってもらった。
そして、僕は教えたもらった掲示板に自分で書き込むようになった。

いろんな人と会って、いろんなセックスをした。
そして、自分の体がお金になることも知った。
たいてい、「電車代がないから」とかいうと、相手の人はお小遣いをくれた。初めはそんな感じだったけど、やがて、「サポート」という言葉の意味を知った。お金でセックスすること、お金目当てのセックス・・・罪悪感はなかった。お金を払ってでもしたいって人と、したいことをしてお金をもらう。働いてお金を儲けるのと同じだと思った。
僕はそういうことを繰り返すようになっていった。

だから、ホントは涼君が車に乗って行ったときも、一番最初に考えたのはそういうことだった。でも、まさか僕と同じことをしているとは思わなかった。だから、いろいろと違う理由を考えた。あの涼君がお金で男の人とセックスしてるなんて思いたくなかった。


その理由は涼君のお母さんが教えてくれた。
僕が涼君の家を見張っていたときに、なかなか涼君が現れなかったので家の前まで行ってみたら、そこで涼君のお母さんとばったり出会っちゃったんだ。
「あら、涼は出かけてるのよ、ごめんなさいね」
そう涼君のお母さんが言った。
「今日はお父さんと会う日なのよ」
「お父さん、ですか?」
僕はあの人がお父さんだったんだと気がついた。でも、涼君のお母さんは少し違う受け止め方をしたようだ。
「あら、あなたならもう聞いていたと思ってたんだけど・・・」
要するに、涼君のお父さんとお母さんは離婚していて、週に1回、涼君はお父さんに会うことになっているってことだった。涼君のお母さんは僕と涼君が仲がいいのを知っているので、てっきり涼君はそのことを僕に話しているものだと思っていたらしい。
「あんまりお友達には言わないでね」
僕は分かりましたって返事をして、家に帰った。
涼君が僕と同じようなことをする訳がない、そうわかったほっとした。

でも、僕は・・・

      


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